37:彼女が悼んだその相手は

 翌日、目を覚ますと時刻は既に正午近くだった。

 侍女に手伝ってもらってドレスに着替え、朝食兼昼食を済ませたリナリアは急いで王宮の中庭へと向かった。


 空には灰色の雲が立ち込めている。

 雨が降り出す前に、《光の樹》に改めて昨日のことを詫び、出来る限り歌っておきたかった。


 警備中の兵士に目礼し、よく手入れされた花壇の前を通過したそのとき、リナリアは樹木の剪定をしていた中年男性に目を留めた。


(あっ!! この人だ!! 昨夜、《光の樹》の芽を摘もうとした犯人!!)

 男を見た途端、吐き気を催したのだ。しかも、その男は剪定用のハサミを左手に持っていた。


 リナリアは直ちにその男を兵に捕まえてもらった。

 男は「俺が犯人だと言うなら証拠を出せ!」と元気に喚いていたが、リナリアには証拠などなくとも犯人だという確信がある。


 間近で男の顔を見た《光の樹》が左手の《光の花》を通じて教えてくれたのだから、間違いはない。


 男が連行された後は曇天の下で《光の樹》のために歌った。


 すると、リナリアの歌声を聞きに色んな人がやってきた。

 侍女、侍従、庭師、兵士。謁見の間で鉢植えを抱えていた騎士サリオンやデイジー。忙しい政務の合間を縫ってウィルフレッドやイスカも来てくれた。


 二人の侍従に挟まれ、歌うリナリアを遠巻きに見ていた彼は、セレンとして微笑みながらも左手の親指と人差し指を素早く二回合わせてくれた。


 愛している。そのサインに、リナリアは微笑みを返した。


 イスカが去った後、ほどなくして雨が降り始めた。

 集まっていた人々がぼやきながら解散していく。


 リナリアも《百花の宮》に戻ることにした。歌い続けて喉が痛くなってきたところだったのだ。


《百花の宮》を目指して歩いていたリナリアは、王宮の外苑でふと足を止めた。

 計算されつくした美しい中庭と違って、外苑はある程度自然に任せた作りになっている。


 花壇や噴水もあるが、広大な敷地のほとんどを占めるのは雑木林や雑草だ。濁った人工池には苔が生えており、長らく放置されているのが窺える。外苑では鹿やリスといった動物が出るのも珍しくないらしい。


 そんな外苑の一角――雑木林の中に誰かが立っていた。


 小雨が降る中、幽鬼のように佇んでいるのは見覚えのある枯れ草色の髪の侍女。クロエだった。

 リナリアは死角となる背後からクロエを見ている。

 距離が開いていることもあり、クロエはこちらに気づいていない。


(何をしているのかしら)

 怪訝に思い、眺めていると、クロエはしゃがんだ。

 右手を動かし、何か作業をしているようだが、ここからではよくわからない。


 リナリアはその場から移動して大きな木の陰に隠れた。

 数分もしないうちにクロエは歩き去った。最後までリナリアに気づく様子はなかった。


 激しくなってきた雨に打たれながら、リナリアは雑木林に行った。

 クロエが立っていた場所には手のひらくらいの大きさの石と白い花があった。


 石は、何の変哲もないただの石だ。その辺にいくらでも転がっている。

 ただ、クロエが丁寧に磨いたらしく、その表面は綺麗だった。


 石の下半分に重なるように置かれた白い花を見て、リナリアは軽く目を見張った。


(この花は、よく葬儀に使われる花だわ)

 ノースポール孤児院の前院長が老衰で亡くなったとき、幼いリナリアも他の子どもたちと葬儀に参列したため知っていた。


(クロエはこの石を墓石に見立てて死者を悼んでいたのかしら? どうして隠れて、こんな寂しい場所で? 隠れて悼む必要がある死者――不適切な関係にあった恋人? 生前悪事を働いた犯罪者? クロエはその人とどういう関係だったの?)


 クロエの動作を思い出す。地面に向かって右手を振るような……あれは土を掘る動作だったのではないだろうか。


 罪悪感と申し訳なさを感じつつ、石を退けて地面の下を木の枝で掘ってみると、黒い紐が見えた。

 掘り出してみれば、それはブレスレットのようだった。

 絡み合う蔦のような模様が彫刻された金色の輪がついている。

 輪をひっくり返してみたが、持ち主を示すイニシャルや名前の類はなかった。

 

 絶え間なく降り注ぐ雨が目に入ってきた。

 雨に急き立てられるように、リナリアは急いでブレスレットに土を被せ、出来る限り元通りにして立ち去った。

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