26:私はあなたと結婚したいんです!

「……。……全部言われた……」

「お前の言いそうなことくらいお見通しなんだよ」

 イスカは俯いたセレンの頭に軽い手刀を見舞い、リナリアとエルザは無言でセレンを見つめた。


 やがて、皆からの視線に耐えられなくなったように、セレンはため息をついた。苦笑する。


「……わかったよ。降参だ。私もリナリアが奇跡を起こしてくれると信じて待つよ」

「はい。私は『光の樹』を蘇らせ、フローラ様をここへ連れてきてみせます。必ず」

「ありがとう。もし無理だったとしても気に病む必要は……」

「だから。せっかくリナリアがお前のために頑張ろうとしてくれてんのに、萎えさせるようなこと言うんじゃねえよ。心配しなくてもリナリアは絶対にやり遂げてくれるよ。何しろおれの運命を変える女だからな。《予言の聖女》のお墨付きなら疑う余地はねえだろ?」

 イスカは腰に手を当て、エルザを見た。


「セレンのこと頼むな、エルザ」

「はい。お任せください」

「……すまない、エルザ。君には……いや、君だけではない。バークレイン家には迷惑をかける」

 セレンは申し訳なさそうに目を伏せた。


「迷惑だなんて思わないでくださいませ。わたくしはセレン様が生きておられるだけで幸せですわ。こうしてまたセレン様のお傍に居ることができるなんて、夢のようです」

 エルザは身を乗り出してセレンの右手を両手で包み、微笑んだ。


「ありがとう。本当にエルザは優しいね。将来君の夫となる人は幸せだろうな」

「そ、そう……でしょうか」

「もちろんだよ。不安なら私が保証しよう。君ほど優しく、心映えが素晴らしい淑女は他にいない。どうか君に相応しい素敵な男性と幸せになってくれ」

「……努力しますわ……」

 セレンに微笑まれたエルザの顔は微妙に引き攣っている。

(これは演技ではなく、本当に、全く気づいておられないのね……)

 どうやらセレンは信じられないほど鈍感らしい。


「あの、セレン様。つかぬことをお伺いしますが、お好きな相手とかおられたりしますか?」

 いい加減、じれったくなってリナリアは口を開いた。


「え?」

「何を言いだすんですの!?」

 エルザはリナリアの腕を掴み、引っ張った。


「特にはいないよ。王子というのは肩書きだけで、王宮でもほとんど存在を忘れ去られ、いつ死ぬかもわからない私に好かれても困るだけだろうし……」

「セレン様。無事フローラ様の協力を得ることができれば、セレン様はすっかり健康になることでしょう」

「……健康……」

 セレンは未知の単語であるかのように呟いた。


「健康になったら、セレン様はどうしたいですか? 国王になりたいですか?」

「……いや。生まれた順番は私のほうが先だけど、国王にはきちんと教育を受けたウィルフレッドのほうが相応しいと思う。私は……困ったな。一日一日を生き延びるのが精いっぱいだったせいで、自分が将来何をしたいかなど考えたことがなかった。でも……そうだな。私は国民の血税によって生かされてきた。恩を返すためにも、国民のために何かしたい。医療院を作ったり、孤児院を作ったり……王子としての責務が果たせるよう頑張りたいな」


「セレン様。受けた恩を返したいと願われるのならば、ここに一番恩を返すべき女性がいると思うのですが」

 リナリアは立ち上がり、エルザの両肩を掴んで前に押し出した。


「ちょっと、リナリア!? あなたさっきから何を――」

「ご存じなかったかもしれませんが、半年ほど前から王宮はセレン様の薬の支給を止めていました。代わりに陰から手を回し、薬を提供していたのはエルザ様です」

 リナリアは早口で暴露した。


「リナリア! 止めなさい、わたくしは恩を売りたいわけでは――」

「いまの話は本当か、エルザ」

 真顔で尋ねられて、喚いていたエルザはぴたっと口を閉じた。

 困り果てたような顔をした後、観念して頷く。


「……何故そんなことを?」

「何故って、その……お慕いしておりましたので……」

 蚊の鳴くような声での返答だったが、セレンの耳にはしっかり届いたらしい。


「……。エルザ。知っての通り、私は病弱で、王宮での立場も弱く、君に差し出せるものは何もない。君にはもっと相応しい人がいるだろう。教養と財産があって、どんな困難からも君を守ってくれるような――」


「いつかどこかで聞いたような台詞ですね、イスカ様。何故似なくて良いところが似てしまったのですか」

 長々としたセレンの台詞を聞きながら、リナリアは小声でイスカに尋ねた。


「知るか」

 イスカはそっぽ向いたものの、いかにもそれらしい、言い訳じみた言葉を並べ立てる双子の兄を見て堪らなくなったらしい。強制的に台詞を止めた。


「――私は君に幸せになってほしいと心から思って――」

「あーもういい。そういうのはどーでもいいから本心を言えよセレン。お前はエルザのことをどう思ってるんだ?」

「どうって……。だから、これ以上ないほど素敵な女性だと――」

「結婚したいのかしたくないのか、どっちだ」

 再び台詞を断ち切ってイスカは問い詰めた。


 エルザは涙目で俯いている。

 好きな相手から暗に「お前とは結婚したくない」と言われたようなものなので、この反応は当然のことだった。


「……それは……その。できることなら……」

「できることなら?」

 イスカは曖昧な返事を許さなかった。


「……。結婚したいけど」

「えっ!?」

 決定的な呟きを聞いて、ぱあっとエルザの表情が輝いた。


「いや、でも。私の父上と君のご両親がなんと仰るか」

 逃げるようにセレンは目を逸らした。その顔はほんのり赤い。


「大丈夫ですわ、お母様はわたくしの味方ですし、お父様の許可も得ております! というより、これだけの金を使っておいて王子の妃になれなかったら許さんと脅迫されておりましたの!」

「え? でも、エルザ様はウィルフレッド様の妃選考会に参加されていましたよね?」

 余計なことと知りつつ気になって、リナリアは口を挟んだ。


「あれは形だけですわ、形だけ! 婚約者のいない結婚適齢期の公爵家の娘が参加しないわけにはいかないでしょう!? お父様はとにかく王子の妃になれれば嫁ぐ相手がウィルフレッド様でも構わないと思われておられたようですが、セレン様の妃になれるのならばそれが最高に決まっています! 良かったですわ、大至急お父様に報告しませんと!! 失礼いたします!!」

 早口でまくしたて、エルザは一陣の風のような速さで退室した。


「……王宮でおれとはまた別種の地獄みたいな生活を送ってんじゃねえかと心配してたけど、実はめちゃくちゃ愛されてたんだな、お前。安心した」

「……そうみたいだね。私なんかを好きになってくれるとは……エルザも物好きだなぁ。彼女ならもっと素敵な相手がいくらでもいるだろうに……」


「セレン様、ご自分を卑下するのは止めてください。セレン様を好きになったエルザ様も侮辱していることになります」

「ああ、すまない。つい癖で……」

「癖なら治せ」

「はい……」

 ぐうの音も出ないらしく、セレンは小さくなった。

 しかし、すぐに気を取り直したらしく、顔を上げて扉のほうを見る。


「それにしても、エルザも気が早いな。たとえ公爵が許したとしても、父上が許すかどうかわからないのに」


「それだけ嬉しいんですよ、セレン様」

 リナリアが言うと、セレンは何とも言えない顔をして口を閉じた。


「心配するな。許可ならお前の代わりにおれがもぎとってきてやるよ」

 セレンの肩を叩き、自信たっぷりにイスカが言った。

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