11:ショックの後で

 ふと気づけば、リナリアは大きな大理石の浴槽に浸かっていた。


 浴槽に浸かっているのだから、当然、裸である。

 立ち上る湯気のせいで少々曇った広い浴室内にはユマがいた。


 ユマはリナリアの右腕を取り、泡のついた乾燥ヘチマで丁寧に優しく汚れを取り除いてくれている。


 一瞬、状況が掴めず混乱した。


 そういえば、エルザが言っていたような気がする。とりあえず王子云々は置いといて、汚いから入浴しろ、そのボロボロの服は捨ててしまえと――いや、もちろんエルザはこんな直接的な表現はしなかったが。


 あまりのショックで思考停止状態にあり、反応できなかったリナリアをユマは強制的に浴室へ連れて行った。


 そして現在に至る。


「………………あの」

「あら、リナリア様。意識が戻ったのですね。現実への帰還おめでとうございます」

 ユマは頭を下げ、ついでにお湯でリナリアの右腕についた泡を流した。


「ありがとうございます? いえ、そうではなくてですね。アルルがこの国の王子様だという話は本当なのでしょうか」


 温かいお湯の中に浸かっているというのに、リナリアの顔色は真っ青だった。


「一介のメイドに過ぎない私に詳しい事情はわかりませんが、真実でしょう。お嬢様は不敬な冗談を言われるようなお方ではございません」

 リナリアの左側に回り込み、ユマはリナリアの左腕を洗い始めた。


「…………。ここは現実ですか? 夢ではなくて?」

「残念ながら現実でございます。この通り」

 ユマはリナリアの左腕をぴしりと指で弾いてみせた。

 痛くはないが、軽い衝撃はちゃんと感じた。


「………………ユマさん。私の罪の告白を聞いていただけますか」

「はい。一国の王子を鞄の中に入れて持ち運んでおられましたね。遠慮なく抱きしめてもおられました」

「……。それだけではありません。添い寝もしましたし、頭にキスもしました」

「あらまあ」

「それにっ……それに、何よりっ……」

 息が詰まる。声が震える。


 旅の道中、リナリアは滝つぼの近くの川で水浴びをした。


 そのときアルルは木の下で寝ていたのだが、リナリアが川から上がったときにちょうど目を覚ました。


 全裸のリナリアを見たアルルはまるで誰かに殴られたかのような勢いで身体ごと顔を背け、両前足で目を覆って丸まった。


 その日一日、アルルはどこか様子がおかしかった。


「私、アルルに裸を見せちゃったんですよ!!」


 濡れた頭を抱えて叫ぶ。


「王室不敬罪に誘拐・略取罪、さらに公然わいせつ罪も追加されましたね。他にも余罪があるかもしれません。果たして何回首が飛ぶことになるのでしょうか」

 ユマは冷静に言って、泡塗れになったリナリアの左腕にお湯をかけた。




 用意されていたワンピースはエルザの古着らしく、リナリアが着ると少々胸元が余った。


「いかがでしょう」

 入浴を終えて案内された公爵邸の客室。

 鏡台の前に座り、しげしげと自分の姿を眺める。


 髪は後頭部で緩くまとめ、黄色のリボンを結んでもらった。

 入浴により薄汚れていた肌は元の白さを取り戻し、頬はほんのりと赤く色づいている。


 小花模様のワンピースは可愛らしいデザインで、袖口とスカートの裾には控えめなフリルがついていた。

 襟元で光るのはリナリアの瞳と同じ色合いのエメラルドのブローチ。


 これならばアルルに――もとい、イスカに会っても恥ずかしくはない。はずだ。


(……よし)

 こくり、と一つ唾を飲んで、腹を括る。


「大丈夫です。ありがとうございます」

「では行きましょう。お嬢様とイスカ王子は居間でお待ちです」

「はい」

 リナリアは立ち上がり、ユマに誘導されて居間へ向かった。


 落ち着いた茶色のカーペットが敷き詰められた床。豪華なシャンデリア。

 ガラスの嵌め込まれた大きな窓からは白い陽光が射し込み、 ソファに座る姫君の美しさをより一層、引き立てていた。


 優雅に紅茶を飲んでいるエルザの姿を見て、リナリアは一瞬、呼吸を忘れた。

『バークレインの赤薔薇』と人々が讃えるわけだ。

 まるで絵画を見ているような気分だった。


「失礼致します」

「どうぞ」

 リナリアは一礼して居間に足を踏み入れた。

 淑女としての正しい足運びと姿勢を思い出しながら、一歩一歩、重厚な絨毯を踏みしめて進んでいく。

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