08:あなたのための子守唄(1)

 王都の東南部、貧民街近くにある宿屋『赤獅子亭』。

 名前だけは立派だが、この宿は外も中も驚くほどボロボロだった。


 しかし、リナリアの財布事情は大変厳しい。

 子どもの小遣い程度の額しか持っていない状態で男爵邸を追い出されたリナリアは行く先々で働いて金を稼いだ。

 ときには旅芸人に混じって歌ったり、仕事を手伝う代わりに無料で宿に泊まらせてもらったりもした。


 可能な限り節約してきたつもりだが、その金も残り少ない。ミストロークの街まで行く馬車の乗車賃を考えるとギリギリだ。


 よって、リナリアは今晩の宿をここに決めた。


(雨風を凌げる屋根と壁があるだけで十分よね。贅沢は言っていられないわ)


「3番」

「ありがとうございます」

 客商売をしているとは思えないほどに不愛想な宿の主人に部屋の鍵を貰い、奥の階段へ向かう。


 木造の階段はギシギシと不安な音を立てた。

 床板を踏み抜かないよう慎重に階段を上り、『3』と手書きで書かれた扉を開けると、簡素な狭い部屋がリナリアを出迎えた。


 塗装の剥げた茶色の壁。

 硬そうなベッドと燭台が置かれたテーブル。ヒビの入った鏡台と椅子。

 家具と呼べるものはそれしかなく、部屋はなんだか黴臭い。


 一応換気用の小さな窓はついているが、窓のすぐ外には隣家の壁がある。

 長いこと誰も触っていない証拠に、窓枠には埃が溜まっていた。もちろんリナリアも触る気にはなれない。


(うん。野宿に比べたら遥かに上等!)

 リナリアはトランクケースから手を離して部屋の鍵をかけた。


「ごめんねアルル、窮屈だったでしょう」

 鞄を鏡台の上に置き、アルルを抱き上げて床に下ろす。

 窮屈な鞄の中からようやく解放されたアルルは大きく伸びをした。


「ちょっと待ってね。夕食の準備をするわ」

 トランクケースを開け、アルル専用の皿に水を汲む。

 そして、市場で買った干し芋をちぎってアルルに渡した。


 小さな両手足で干し芋を掴んで食べているアルルを眺めながら、リナリアも椅子に座って干し芋を頬張った。


 食べながら考えるのは、カミラの言葉。


(カミラさんはきっと、アルルが鞄から頭を出したときに耳の形状を見て魔物だと気づいたのね。気づいていながら指摘せず、事実を伏せてくれていた。彼女には感謝しなければならないわ。でも……聖女に向いてないとか、歌は手段だとか、大事なのは心だとか……一体何の話だったのかしら?)


「……ねえ、アルル」

 アルルが干し芋を食べ終わったタイミングを見計らって、リナリアは声をかけた。

 呼び掛けられたアルルが二本足で立ち、床の上からリナリアを見上げる。


「カミラさんが言ってたでしょう、セレン王子は無事だって。あなたが一番知りたい情報だって――あれはどういう意味なのかしら。アルルには心当たりがある? セレン王子とは知り合いなの?」

 アルルは頷いた。


「あっ、わかった! あなた、セレン王子に飼われていたペットなのね!?」


 それならば、アルルがやたらと高そうな赤い宝石の耳飾りをつけていることにも説明がつく。

 ランプの光に照らされた赤い宝石はよく見ると中に金色の花のような文様が入っていて、得も言われぬほど美しい。


「普通の宝石ではないと思っていたのよ。これはセレン王子から贈られたものだったのね、納得したわ――」

 耳飾りに触れようと手を伸ばしたが、アルルは首を振った。


「あら? 違うの?」

 リナリアは伸ばしかけた手を引っ込めた。

 違う。さて、どこから違うのだろうか。ひょっとして前提からか。


「アルルはセレン王子のペットじゃないの?」

 アルルは頷いた。


「……? じゃあ、セレン王子とは無関係なの?」

 アルルは首を振る。


「うーん? 無関係ではないけれどペットでもない……なら、セレン王子の従者のペットとか?」

 またしてもアルルは首を振った。


「王宮にいる誰かのペットではない、ということ?」

 アルルは頷いた。

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