『カトリーヌ・ファンタナーとクラウス・フォンタナーの話①』
――ずっと流されて生きてきた。何を決めるのにも、いつも他人に決められていた。
しかれたレートで、しかれた相手と、しかれたルールの中でしか生きられなかった。
だから、私ずっと流され続けていた。
でも……今は違う。
「カトリーヌ」
最愛の夫であるクラウス。彼は私を愛してくれる。大切にしてくれる。そして、私の意見を聞き入れて尊重してくれる。
クラウスは私を流さないでいてくれる人だった。だから私は彼を愛し……彼も私を愛するようになったのだろう。
最初出会った頃とは考えもつかないほど、私は幸せな日々を送っている。だってまさかクラウスと結婚するだなんて夢にも思っていなかったから。
……今思えばクラウスと結婚したのは自分の意思ではなく、これもまた他人に流された選択だったと思う。
自分の意思で選択する権利も、決定権も私にはなかった。でも、この選択肢は間違っていなかったと断言できる。
だってクラウスは私を見てくれるから。私の意見を尊重してくれるから。
そして何より、私を愛してくれているのだから……。
これ以上の幸せはないし、私はこれからもクラウスと共に人生を歩んでいきたいと心の底から思っている。だから、この件だけは意図的に流された。
否、意図的だなんて計算高く言うのは変かもしれない。……でも、結果としてそうなってしまったのも事実だし。
「お母様っ」
タッタッタと後ろから駆け寄る音が聞こえた。私はゆっくりと振り返る。
「あら、どうしたの?アル」
息子であるアル・フォンタナーは今年で五歳になる。アルは優しく、それでいて強い子に育っている――と思う。親バカかもしれないが、私はそう確信している。
「お母様、ここの部分教えてほしいです」
アルは私に本を見せてくる。私はアルの隣に座り、そう言った。キラキラした目で私を見ているアル。世の嫌なところを知らない可愛い我が子。
私の選択が間違っていなかったかどうかは分からない。でも、クラウスと出会い、アルを授かったことに関しては間違いではなかったと胸を張って言える。
だってこんなに可愛くて愛おしい我が子がいるのだから。
「アル様!勝手に出られては困りますっ!」
バンッと扉を勢いよく扉が開き、教育係のメイド――マーヤが焦りながら部屋に入ってきた。
「申し訳ございません。奥様……!」
「マーヤ。私は大丈夫よ」
申し訳なそうに頭を下げるマーヤに私は優しく声をかける。
マーヤは一年ほど前まで私の身の回りの世話をしてくれていたメイドだ。彼女はとても優秀なメイドで、私の信頼している侍女でありアルの教育係でもある。
「ごめんなさい。マーヤ……」
しゅんとした表情でマーヤに謝るアル。マーヤはうっと言葉を詰まらせ、
「べ、別に怒っていません。ただ、勝手に部屋から出られては困りますので今後はお気をつけください」
とアルに言い聞かせるマーヤ。その頬は若干赤みがかっていた。五歳児にたじたじになっているマーヤは何だか微笑ましい。
アルはそんなマーヤの心情などつゆ知らず、
「ありがとう!マーヤ。大好き♡」
小悪魔。そんな言葉が似合いそうな笑顔でマーヤに抱きついた。マーヤの頬は更に赤みを帯びていく。アルはそんなマーヤの頬に手を当て、 パチンとウィンクをする。
……うん。我が息子ながら末恐ろしいわ。将来有望ね。色んな意味で……。
私は心の中でそう呟くのと同時に、
「カトリーヌにアルに……マーヤ?」
不意にそんな声が部屋の入り口から聞こえてきた。
声のする方を見ると、クラウスが不思議そうに私達を見ていた。
「だ、旦那様!お、お帰りなさいませ!」
マーヤは慌てた様子でクラウスに挨拶をする。マーヤは慌ててアルを引き剥がすと、アルは不満そうに頬を膨らませた。
……前々から思っていたけども、アルってマーヤのこと好きよね。
アルは基本的には誰にでも礼儀正しく接する良い子だけど、マーヤに対してはより甘えん坊な気がする。
……まぁ、アルも五歳だし、お姉さんに憧れる時期よね。まだ恋愛的な意味の好意ではないはず……ない、よね?そんなことを思いながら私はアルとマーヤのやり取りを見ていた。
△▼△▼
二人っきりになった部屋。私とクラウスはベッドに腰かけていた。
「久しぶりの夫婦水入らずですね」
ポツリと私がそう呟くと、クラウスは笑いながらこう言った。
「そうだなぁ。……悪いな、俺が仕事ばかりで」
「仕事熱心が悪いことだとはいいません。ただ、無茶はしないでくださいよ」
「分かってるさ。お前に心配かけさせたくはないからな」
クラウスはそう言うと、私の頭を撫でた。そして彼はこう言った。
「そういや、アルはどうなんだ?マーヤに任せているのは別にいいが……あの様子はどうなんだ?あいつ真面目に勉強してんのか?何というか……マーヤを振り回していてめちゃくちゃ不安なんだが……お前から見てどうなんだ?」
クラウスは心配そうにそう聞いた。クラウスの心配する気持ちは痛いほどわかる。分かるが――。
「大丈夫ですよ。クラウス。アルは真面目ですし、マーヤの教え方もわかりやすいと言っていましたし」
アルは真面目に勉強しているし、マーヤの教え方もわかりやすい。教育係としてこれ以上の適任はいないと思う。
「……そうか。いや、それならいいんだが……」
不安そうにクラウスはそう言った。何が不安なのだろうか……?と不思議に思っていると、彼はこんなことを聞いてきた。
「まぁ、アルは五歳だし伸びしろはあるか……」
「そうですよ。五歳なんて遊び盛りの年頃なんですから」
本当は勉強なんてせず伸び伸びと遊んでいて欲しいのだが……と思うが貴族社会だとそうも言ってられない。子供だろうがなんだろうが、勉強をさせられる。それが貴族社会だ。
「………まぁ、いいんだけどさ。アルは愛おしい俺の息子。どんなことを選択しても、俺はアルの味方だし」
「それは私もですよ」
私はクラウスの言葉に同意した。アルは私とクラウスの子供だ。どんなことがあっても私たちは彼の味方である。
「……ところで子供を増やしたくないか?そろそろ」
クラウスはゴホン、と咳ばらいをすると、そんなことを聞いてきた。顔は赤く、照れているのが分かる。まぁ、子供を増やすのは不自然なことではないし、私もクラウスとの子供は欲しいので、是非ともそうしたい。したい、のだが……
「今日はダメです」
「……何でだ?」
「……あれです。察してください」
私は顔を背けた。
クラウスは私の態度に察したのか、頭をポリポリとかくと言った。
そして――。
「……ごめん。今日は寝よう。な?」
そう言って、彼は私の頭を撫でた。
……クラウスの頭を撫でられるのは好きだ。とても気持ちがいいし、落ち着く。だから、ついつい私はもっと撫でてと彼の身体に擦り寄ってしまうのだ。子供っぽいな、と思いつつも止められない。
夫婦で二人っきりの気楽な時間。それは、とても楽しいものだった。
「……来週になるまで待ってください」
そう言って私は微笑む。――今日はキスの一つもしない、ただの夫婦の時間を過ごすのだった――。
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