第43話 ニコレッタ先輩という人
ニコレッタ先輩を初めて見た時から、私はその笑顔の虜になった。
彼女が笑うと、目や口元がほころぶだけじゃなくて、顔全体が、いや、髪から何から、もう全てが優しくて慈愛に満ちているように感じられた。
……でもそれは。
私が勝手に作り上げた虚像だった。
……でも。
それでも――。
「……どうして?」
そう。
「どうして?」と聞かずにはいられない。
「どうして? ふふふ。そんなの決まっているじゃない。私があの男から
そっか。ダフネと繋がっていたということは――。
あのヤバいブツって、毒薬だか、毒草だか、いずれにしろ本当にヤバい代物だったんだ。
私の命を狙った理由は、死んだ男から既に聞いている。
それよりも私が聞きたかったのは、こんな悪事に手を染めた理由。
一連の計画を躊躇なく実行に移せたことへの、「どうして?」なのだ。
ニコレッタ先輩は、私が男と話した内容を知らない。
今も、私が命を狙われた理由を知りたがっていると勘違いして、饒舌になった。
「……あなた。あの夜以降、毎日のようにあそこを走っては私を探していたわよね。私の顔をはっきりと確認するためか、取引の現場を抑えるためか――。まあどちらにせよ危険なことに首を突っ込んでいるという自覚はあったのかしら?」
ニコレッタ先輩は、「今ならわかるけれど、そんな自覚はなかったのよね?」と、小馬鹿にするように笑って続けた。
「騎士は全員知っているから、騎士でないことはわかっていたの。もしやコルラード殿下の手の者かと思って探らせても、それらしい人物はいないし。正直、焦ったのよ。だから心底驚いたわ。入学式であなたを見た時はね」
あの壇上から、そんな風に私を見ていたのか……。
「まさか、あんな奇抜な格好をした人間が、貴族令嬢だったとはね」
やっぱり自由に生きているつもりでも、モブって結局は本編にからめ取られていくのかな。
「……でも。どうして先輩がそんな汚れ仕事を? あんなゴロつきのような男と関わるなんて。ダフネのためにそこまでやる理由って何なのですか?」
打ちひしがれている私を見て、ニコレッタ先輩は、心底可笑しそうに笑った。
「まあ。『どうして?』なんて。うっふっふっ。仕方がないでしょう? お母様やダフネには出来ないことだもの。危険な薬品は言うまでもないけれど、薬草やキノコ類まで、用途によっては危ない物も規制されているのよ? 高貴な家の人間が裏で毒草を買う訳にはいかないでしょう?」
「お母様?」
どういう意味?
ダフネに味方するということは、ニコレッタ先輩のご両親は急進派の派閥に属しているっていうこと?
ニコレッタ先輩の制服の襟は黒だった。私たちと同じ貴族用の部屋を使っていたし。
貴族の家のゴタゴタは、どうしたって人の口に上るもの。
でも学園内でそんな話は聞かなかった。
あの事件の後、ニコレッタ先輩の家はどうなったのだろう?
娘があれだけの事件を起こしたのだ。何のお咎めもないとは考えられない。
それとも、握り潰せるだけの実力者がバックにいるっていうこと?
そんな私の疑問にニコレッタ先輩が答えてくれた。
全部顔に書いてあったようで、彼女には簡単に読まれてしまった。
「私は平民の娘として育ったの。でも私の力が必要だからと、急遽、貴族の家に養子に入って士官学園に入学させられたのよ」
……え?
平民の娘じゃなくて、平民の
それに、そんなことが出来る人物って、やっぱり結構上の方の人間なんじゃ――。
……あれ?
『ダフネ』
ニコレッタ先輩は、ダフネのことを敬称もつけずに呼び捨てにしていた。
それに、ダフネと対等に会話をしていたような……。
ダフネ自身がそれを許していたということは……。
ニコレッタ先輩の言う「お母様」って……。
それなりの高位の方で、公爵家と並ぶか、あるいはそれよりも高位の――。
……それって。
……それって、王妃――様?
「おやめなさい。随分と馬鹿げた妄想をしているようだけど、その名を口にすることだけは許さないわよ」
ニコレッタ先輩が、一切の感情を無くしたような顔で言った。
それって――私の顔に書いてあることが正解だって言っているようなものじゃない!
……ちょっと!
シナリオライター!
ニコレッタ先輩って、私生児として生まれて捨てられた挙句に、汚れ仕事をさせるために貴族の家にやられて――。
それでも令嬢としては遇せられずに、文字通り捨て駒にされたってこと!?
聡い先輩のことだ。自分の末路がどうなるのかなんて、とっくにわかっていたはず。
それなのに――。
自分を捨てた母親のために――。
……ちょっと。
泣けてくるんですけど。
……でも。
今、考えるのはそこじゃない。
たとえどんな背景があったにせよ、彼女は許されない罪を犯した。
それについて、彼女の口からはっきりと言ってもらわなければならない。
「先輩やダフネは、フランコ殿下のために、コルラード殿下を亡き者にしようと計画されていたのですね。先輩が入手した毒をダフネに渡して、彼女は毒入りのチョコを作り、コルラード殿下へ渡す手筈を整えた」
ダフネのことを思い出したらしいニコレッタ先輩は、「ふん」と、鼻先で笑った。
「ダフネは馬鹿ね。まあ、自分と同等かそれ以上の人間でなければ、敬意を払う必要はないと教えられて育ったようだから、貧乏男爵家の娘なんて同じ人間として見ていなかったのでしょうけど。まさか事前にあなたを使って試すほど愚かだとは思わなかったわ。毒殺事件が発覚すれば、動きづらくなるのはこちらなのにね」
それについては激しく同意したい。
「あなたはダフネの抱えていた駒の一つに過ぎないと思っていたのに。まさか反旗を翻すとはね。そんな風に髪をバッサリ切ったのは、その意思表明といったところかしら?」
そこは違いますけど。
「ふっ。いけない。私ったらこんなおしゃべりをするつもりはなかったのに。あなたがダフネの駒として士官学園に入学していたなら、可愛い後輩として可愛がってあげられたのにね。本当に残念だわ」
口先だけで「残念」と言ったニコレッタ先輩は、既に冷え切った表情をしていて、それこそ、もう私のことを人間として見ていないようだ。
「闇の中で息づく己が力を自覚せしものどもよ。我が手の上で強く結びつくがよい」
ニコレッタ先輩の詠唱は、いつかのミケーレさんの詠唱とはちょっと種類が違うように感じられた。
……それでも。
離れていても、何かのエネルギーがニコレッタ先輩に集まっていくのがわかる。
……ヤバい。これ、絶対にヤバいやつだ。
うわっ。
と、とにかく防御!
何をされても大丈夫なように鉄壁な防御!
意図的に想像した訳じゃないけれど、私は瞬時に眩しい光に覆われた。
なんというか――ひっくり返したお椀の中に立っているみたい。
ドーム型のバリアだね。
とりあえず念の為。
うーんと頑丈なイメージを、いかなる物理攻撃も魔法攻撃も受け付けないイメージを、しっかりと描いておこう。
光の膜を通して、ニコレッタ先輩が見えた。
その顔には驚愕の表情が浮かんでいる。
そうだよね。モブがこんな魔法を使うなんて思わないよね。
ニコレッタ先輩の手の上には、野球のボールほどの黒っぽい塊が出来ている。
先輩にも私が見えるようで、私としっかり目を合わせたまま、唇の端を上げてニヤリと笑った。
次の瞬間、野球のボールほどの大きさだった塊がギュッと凝縮して、ゴルフボールくらいになった。
――と思ったら、ドームの表面に不規則な波紋が起きた。
おそらく――。
ニコレッタ先輩の攻撃を受けたドームの膜が、小石を投げ入れられた水面のように揺れているのだ。
あの黒い塊から、エネルギー波のようなものが打ち付けられているのだろう。
ドームの中にいると、なんの衝撃も感じない。
どうやらニコレッタ先輩の攻撃からは、しっかりと守られているらしい。
この中にいれば安全だけど、ずっと閉じこもっている訳にもいかない。
――お前からは一度も攻撃を仕掛けなかったな。
――いつになったら本気を出すんだ。
ついさっき言われたばかりのマヌエル君の言葉が、脳内で私を責める。
……でも。
この手で誰かを傷つけるなんて……。
ましてや命を奪うなんて、そんなこと想像すら出来ない。
そこはまだ前世の概念が、倫理感が残っている。
……なので。
私は懇願することしかできない。
「誰かー! 早く誰か助けに来てーっ!」
「ニコレッタ! そこまでだっ!」
ニコレッタ先輩の後ろに、マヌエル君やナタリアちゃんたちの顔が見えた。
ああ、これって――。
あの夜の橋のふもとの光景と同じだ。
ロレンツォもシルヴァーノもいる。
みんな、ものすごく怖い顔をしているけれど、中でもナタリアちゃんが一番怖い。
ヒロインがしちゃいけない顔をしている。
「あ!」
いきなりナタリアちゃんが剣を抜いて、ニコレッタ先輩に切り掛かった。
え?
ナタリアちゃんて、そんなに好戦的だったっけ?
ヒロインなのに、武闘派?
シナリオライターは何を考えてんの!
これでどうやってラブラブのエンディングを迎えられるの!
やっぱりこのゲームのシナリオライターは信用できない。
――などと考えていると、ニコレッタ先輩の体が突然、硬直した。
そして彼女の体は、まるでロッカーにでも押し込められたように、光が充満する立方体の中にあった。
ニコレッタ先輩そのものを邪悪な存在と見做して、ナタリアちゃんが結界に閉じ込めたんだ。
……や、やるねー。
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