第5話 入学前の自主練(トレーニングウエアを作ろう)
帰りの道中、父親が申し訳なさそうに言った。
「すまんな。お前が手にするはずの手当なのに。将来のためにも貯めておきたかっただろう」
どうやら、士官学園に通っている間は月々の手当をもらえるらしい。そりゃあ平民にしたら、おいしい話だよね。
「そんな。どうせ学園にいる間はお金がかからないのですから大丈夫です。毎月金貨一枚を支払えばいいのですから、全く問題ございません」
訳知り顔の店員が、月に金貨一枚と言ったからには、給付金は一枚以上もらえるはず。
普通に学園生活を送っただけで貯金ができるなんて幸せ!!
私は運命が変わっていく予感に胸をときめかせながら、入学に備えることにした。
脂肪も無い代わりに筋肉も無いカッサンドラの体で、スポーツ推薦で高校に入学するようなものだ。
一ヶ月しかないけど、入学までに体を作っておかなくっちゃ。
その日から早速、体力作りを始めた。
といっても、部屋の中で、タオルを巻いたレンガを持って筋トレするくらいだけど。
それでも一週間後には、腕立て伏せなら五十回くらいできるようになったんだから、頑張った方じゃない?
そんなある日の午後、私は応接室で父親と向かい合って座っていた。
浮かれ気分の私の真向かいで、父親はどんよりと表情を曇らせている。
悪いニュースが飛び込んできたのはわかるけど、一体何なの?
注文した剣の納品が遅れるとか? それなら事情を説明して授業は見学すればいいことだし。
それともジーナちゃんの方かな。彼女も中等部に入学するはずだから、こっちの方が物入りよね。
などと考えを巡らせていたら、ようやく決心したらしい父親が白状した。
「実は、悪いニュースがあるのだ」
それはもう、部屋に入った時からわかっていたから。なになに?
「その――。今回のこちらの申し入れがイレギュラーだったせいもあるのだろうが、今になって、編入試験を受けろと言ってきたのだ」
「へ?」
いやいや待って。
は? 入学の許可は下りたはずでしょ?
なんで? ってか、試験て何?
まさか魔物退治とか、そういうゲームっぽいクエストじゃないよね?
「お父様。それって」
「まあ、なんというか。やはり入学したものの適性がなく、早々に退学という事態を避けたいそうだ」
わかるけど!
「一応、事情を汲んで実技は免除してもらったのだが、面接は受けてほしいと言われてな」
面接かー。うーん。騎士の心得的なものとかを聞かれるのかな……。
でも、入学の三週間前に? ひどくない?
私が驚いて、それから少し腹を立てたことに気がついた父親が、なだめるように言った。
「おそらく、私に無理強いされていないかの確認だと思うのだが。こればっかりはわからぬ」
「え? 無理強いだなんて。どこからそんな発想が――」
まさか、家が貧乏だから? お金のために娘を士官学園に押し込めようとしていると思われたってこと?
あー。ごめんなさーい!
「お父様。良い機会です。私の口からキッパリ宣言させていただきます。私がどれほど士官学園に入学したいのかを!」
「そ、そうか。試験は来週だが、本当に大丈夫か?」
「ええ。お父様」
父親がほっとしたのを見て、私はなんだか燃えてきた。
士官学園への入学は、私にとっては文字通り「命」がかかっている。
そんじょそこらの「命がけ」なんて目じゃないくらいにね!
部屋に戻ってドレッサーの前で体を確認する。
薄っぺらな体が映っているだけで、まだ筋肉と呼べるものは見当たらない。
この一週間、慌てて体力作りをしたつもりだけど、このカッサンドラちゃんときたら。はあ。
花瓶よりも重い物を持ったことがなかったみたい。筋肉ゼロ。無から有を生じさせるほどの大変さだわ。
これは昔を思い出して、走って、体幹を鍛えて、筋トレにストレッチをしないと!
それから素振り! 素振り! 素振り!
ああもう。ランニングができないのが辛い。この世界にランニングという概念がないのが辛い。
そもそもあったとしても、貴族令嬢は走らない。こんな地面スレスレのドレスばっか着ているし。
うう。走りたい。走らねば。
騎士になるくらいだから、授業じゃ、みんな普通に走るよね。今のままじゃついていけない。
私は、鏡の中のカッサンドラを睨んで喝を入れた。
「やっぱ走らなきゃ駄目よ! 運動の基本よ、基本!」
よしっ。そうと決まれば、準備に取り掛かろう。
まずはトレーニングウエア。
腐っても男爵家。ワードローブを確認すると、小さくなって着られなくなったドレスが残っていた。
多分、着古した感がない綺麗なドレスは、ジーナちゃんに渡っているんだろうね。
乗馬服があればいいなと思って探したけど見当たらなかった。
この世界にそもそもないのか、カッサンドラちゃんが持っていないだけなのかは不明。
でも、これで布地は確保できた。あとは、切って縫うだけ。いや、その前に採寸か。どうしよう。
うーん。やっぱ頼むしかないか。
「お姉様。私にご用ですか?」
「ジーナ。そうなの。手伝ってほしいことがあるんだけど」
「はい。何でもおっしゃってください」
そう言ってジーナちゃんは青い瞳をキラキラと輝かせる。はあ。本当にいい子。
「あ、あのね。私、士官学園に行くんだけど、準備するものがあってね。わざわざ買うほどの物じゃないから、自分で作ろうと思うの」
「え? お姉様がご自分で作られるのですか?」
「そうよ。オホン。寮生活ではね、全部、自分でやらなきゃいけないの。今からその練習も兼ねて作るんだけど。お父様やお母様には心配をかけたくないから、二人だけの秘密にしてくれる?」
ジーナちゃんはものすごく感銘を受けたような表情で、瞳を潤ませている。
あれ? 何か感激するようなところがあった?
「はい。お姉様。約束します。誰にも言いません。是非お手伝いさせてください」
よしよし。頼むよー。
「じゃあね。まず、測ってほしいんだけど」
ジーナちゃんはものすごく恥ずかしそうにしていたけど、ちゃんと私の体のサイズを測ってくれた。
「ありがとう。助かったわ」
「そんな。また何かあればおっしゃってください」
いったい何を作るんだろうと気にはなっているみたいだったけど、よく躾けられているジーナちゃんは、私に尋ねたりしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます