第13話 茶色の救世主-Ⅰ-

 バスから降りた私の頭は、降って湧いた難問に悩まされていた。

 軍勢の食糧としては、百人ちょっとなんて大した量ではない。

 それでも、今日の分をすぐとなると話は別だ。

 小田原市も避難者向けの食料確保に動き、自衛隊も中部方面隊が失った備蓄の穴埋め中だ。

 そんな都合よく食べ物が転がってるだろうか。

 そして、物があったとして、買えるだろうか。

「前田さん。対策本部から資金提供って、あるんですか」

「ありません。予算申請中です」

「えぇ……どうしたもんですかね」

 イシュタルとナキアのポーチに金貨が入っていたはずだけど、スーパーや八百屋に金貨を叩きつけて、果たして野菜が買えるだろうか。

 そもそも日本円でいくらになるか、まるで見当もつかないじゃないか。

「フミアキ! 私達の寝床はどこだ!」

 上司にして現場であるイシュタル殿下は、寝て起きたばかりなのに寝床の心配だ。

 まぁ、移動が済んだら防御、食う物、寝る所というのは、指揮官としては普通かもしれない。

 一応テントや寝具は自衛隊の予備を貸してもらえるようで、イシュタル、ナキア、私の寝床は天守閣に用意し、兵士達の分は本丸広場にテントを張るらしい。

 テント張りは、一緒に移動してきた第一師団第一普通科連隊第二普通科中隊――ニシニシ君の所属部隊がやってくれるという。ご苦労なことだ。

 寝床はそれでいいとして、やはり問題は食料。

 だけども、とりあえずこの二人を居室に落ち着けないと、次の仕事が始まらない。

 というわけで、兵達にはテントが張れたら四人ずつ入るように指示してもらい、イシュタルとナキアを天守閣五階に連れて行く。

 大半の城と同じように、小田原城の天守は昭和に再建された物で、中はほぼ展示室だ。   

 だから、基本的に生活空間はない。

 だが、五階は広い板の間があるから寝具や机も置けるし、必要なら個室に区切る余裕もあるし、思ったより快適にできそうだ。

 そして、姫様のご注文通り偉そうな外観。

 おかげで彼女はとても機嫌がよく、ナキアと一緒に仁王立ちで相模湾を眺めている。

「いい眺めだ! ブルムでは空と雲ばかりだからな。たまには海もいい」

「気に入ってもらえてよかったよ。ところで、当面の食料調達をしないといけないんだけど、ちょっと、国のお金を使えなくて。食料を買うお金、あるかな」

「おう。輸送隊が合流すればいくらでもあるんだが、今は私とナキアの手持ちぐらいだな。これでなんとかなりそうか?」

 そう言って手渡されたのは、ずっしりと、ペットボトル飲料ぐらいの重さの布袋。

 中身を見ると……全部金貨だ。純度やら質やらがどうなのかはわからないけど、まともに換金してくれれば、結構な金額になりそうだ。

 ちゃんと使えれば、の話だけど。

「それと、食料を買い込むなら輸送の手配も大変だろ? その程度なら、魔導師が一人いれば済むはずだ。ナキア、エルルを貸してやってくれ」

「エルルですか? まぁ、そうですね、それぐらいなら問題ないでしょう。他の魔導師を休ませないといけませんし」

「よし。フミアキを案内してくれ。その後に警戒任務の割り振りだ」

「かしこまりました。フミアキ、行くわよ」

 ナキアの後を追って広場に出ると、大量のテントの部品が並び、隊員が組立てに勤しんでいた。

 イシュタルの兵士達は広場の端に寄って、物珍しそうにそれを眺めている。

 少し離れた所には、石垣を見て盛り上がっている魔導師の一群。ブルムでも特に学のある階層だから、石の積み方でも調べているのだろうか。

 随分熱心に話し込んでいたが、ナキアの姿を認めた瞬間、全員が彼女に向けて姿勢を正した。

「エルル! エルルはどこ?」

「は、はい、師長殿! こちらに!」

 慌てた様子で駆け寄るのは、色白でなんだか頼りない感じの黒髪の少年。

 小柄で細くて、ナキアの方が強そうに見える。

「兵站総監が食料調達に出られる。総監に随行して、購入した食材をここに転送するように」

「かしこまりました!」

「では総監。後はよろしく」

 彼が背筋を伸ばして声を張るのをほとんど無視して、ナキアは私に声をかけた。

 なんというか、冷たい。

 それにしても、兵の前だとフミアキではなく総監になるのか。声の調子もいつもより固い。

 私や彼女とそれ以外の身分の違いを、ハッキリと示しているわけだ。

 中々、馴染まないな。

 さて、食材の輸送手段は魔法があるとして、店までの移動手段はどうしようか。

 そんなことを考えていると、遠くから前田さんがこちらに手を振っているのが見えた。すぐ横には、格好よさげな車が一台。

 エルルと一緒に走っていくと、彼女の手には車のキーらしきものが握られている。

「レンタカーを借りました! スーパーとか行かなきゃですよね? 私運転するんで、打ち合わせも兼ねて一緒に行きましょう!」

「え! 助かります! 実は運転苦手で……」

「そうですか! じゃあ、運転代われとか言わないですね? 丁度いいですねぇ。そちらの方は」

「エルルという魔導師です。食材を買ったら、ここまで魔法で送ってくれます」

「えぇ、なんですかそれ。陸自も国交省も羨ましがりますよ。ま、とにかく急ぎましょう。調理道具も借りられましたから、後は食材だけです!」

 私は彼女に促されるままエルルを後部座席に座らせて、シートベルトを着けさせてから、助手席に腰を下ろす。

 キーを挿して、と思っていたら、彼女がボタンを押すとエンジンがかかった。噂には聞いていたけど、運転をしなさすぎて初めて見た。

 彼女は私物らしき三眼カメラの高そうなスマホを取り出して、カーステレオを操作している。

 ドライブ、人様のスマホ、音楽。

 なんとも言えない緊張感だ。

 とりあえず流行りの歌なのか、接待調で好みを聞くのか、己の趣味に走るのか。

 趣味に走るとして、それは何なのか。

 これは人間性が垣間見える瞬間であり、趣味嗜好が露呈する瞬間でもある。

 なんて言いつつどうせJPOPだろうと思っていたら、やけに攻撃的で、それなのに妙な哀愁の漂うギターが飛び出し、シャウト、未知の言語によるおどろおどろしい歌唱が続く。

 これはヘヴィ、いやデス……何メタルなのか。

 ビートが高まり、ギターが唸り、前田さんは機嫌よくアクセルを踏む。

 業者用の狭い道路を抜けて普通の道路に出た瞬間、周りの景色が恐ろしい速さで動き出した。

「ちょ、あの、そんな飛ばす必要あります?」

「御用なんで!」

「いや、速度違反とか」

「御用なんで! 急ぎ食料確保が必要ですよね? 国のためにね?」

「まぁ、はい」

「っしゃぁ! 御用だぁ!」

 戒厳令こそ出てないが、住民は不用意な外出を控えている。だからか知らないが、下道は高速道路の混雑が嘘のように空いている。

 それをいいことに恐ろしい速度で車を動かす前田さんは、この世のすべてから開放されたような安らかな顔だ。

 ストレスか、ストレスが彼女にこんなことをさせるのか。霞ヶ関は、かくも恐ろしき所なのか。

 それとも――彼女は元々なのか。

 ブーンだのキキィーッだの聞きたくもない音が繰り返され、前後左右上下に激しく揺れる。

 そんな苦行の末にたどり着いたスーパーは品薄で、百人超えの食材は賄えそうになかった。

 おまけに金貨に対しては個人的な興味は示したが、支払いとなると首を傾げるばかりだった。

 大手で金貨は無理かと個人店に行けば、店が小さくなった分、棚に並ぶ物も少ない。

 最恐ドライブに耐えてこれとは、ひどい話だ。

 どうやら近隣の住民は外出を控えてはいるが、隙を見てまとめ買いをしに来るらしい。

 さらにはこの混乱で、末端の小売店への物流は停滞気味とくる。

 こうなったら物流の根本だ。

 車に酔ったエルルが駐車場でしゃがんでる間、ダメ元で食品卸の市場に電話をかけてみる。

 というのも、本来は業者だけが出入りする場所で、個人が買い物をする場所ではないのだ。

 電話口の担当者は困惑気味だったが、兵士の食べ物がなくて困っていると言うと、気の毒そうにお待ちしてますと言ってくれた。

「前田さん、青果市場に向かってください」

「わっかりましたぁ! 金貨使えそうですか?」

「それも考えがあります。あ、運転はゆっくり」 「よっし! 行きましょう!」

 勢いよく車に乗り込む前田さんには、多分ゆっくり行ってという願いは届いていない。

「そ、総監殿……彼女は騎兵か何かなのですか」

 よろめきながら立ち上がった少年魔導師は、か細い声でそう問うた。

 竜だの転移魔法だのが存在する世界の人間でも、やはり前田さんの運転はキツイのか――と、妙な感動が生まれてしまう。

「いや、エルル。彼女は王の役人だよ」

「役人! 役人があんなにも荒ぶるとは! いいなぁ力強くて、格好いいなぁ」

 格好……いい?

 貧弱な少年は僕も頑張らなくっちゃ! と殊勝なセリフを口にして、勇んで車に乗り込んだ。

 すぐに私も車に乗ったけれども、また爆音でメタルを流す前田さんと、なにやら真剣な眼差しで彼女を眺めるエルルのノリには、正直なところ乗り切れなかった。

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