第39話 瓦礫

 対岸の堤防を越えた先は、酷い有り様だった。

 砲撃で崩れた家の瓦礫の山に、それに押し潰された敵の死骸が混ざっている。

 惨状。

 つい最近までここで人が幸せに――幸せか不幸かは知らないし、それがいつも通りの平穏な日々だったかもわからないけど、とにかく人が暮らしていた。

 家があって、家具があって、服があって、本やら玩具やら手紙やら、時計や酒のコレクションとか、記念品とか、あるいは子供の頃に図工の授業で作った小棚とか、家族の絵とか、何十年も書き続けた日記とか、そういう物があった。

 それが今や、破片と灰と塵芥ちりあくた

 暮らしも思い出も何も無い。

 道路やコンクリートの破片にこびりついた青い血だけが、現状を正当化してくれる。

 仕方がなかったのだ、こうしなければもっと死んでいたのだよ、と。

 日は天頂に至っていて、瓦礫や廃墟の落とす影は濃くて短い。空気は冷たく乾いていて、風の音や瓦礫を踏む音がよく聞こえる気がする。

 正直こんな所歩き回りたくないのだけども、次の前進に備える数日の間は富士川にいるから、周辺確認は入念にしないといけない。

 あまりよく見たい景色ではないから、足元に視線を落として歩く。

 気を付けて歩かないと危ないからで、別に目を逸らしてるわけじゃないと言い訳をしていると、私の十歩先ぐらいを大きな影が高速でよぎる。

 軽騎竜兵がローテーションを組んで周辺警戒をしてるから、その一騎だろう。

 もっと先には抜刀した長剣兵がいて、生き残りや待ち伏せを警戒している。静かだなと思っていたら、何人か慌ただしく走り出す。

 思わず顔を上げて目で追うと、崩れた家の下敷きになったクラプトゥの上半身があった。

 兵達はそれを取り囲むと剣の切っ先を地面に向けて振り上げ、首や頭を何度も刺した。

 グッともギッともつかない断末魔。

 また青い血で街が汚れる。

 安全確認で隊列が足を止めると、私に向かって誰かが歩いてくる音がする。

 嫌々そっちに顔を向けると、グレーのスーツとスニーカー。

 前田さんだ。

 小田原城から輸送隊と一緒に竜でこっちに来ていたのだ。

「石田さん」

「前田さん、工程管理ありがとうございました」

「矢は、無くて済みましたね」

「それでいいんです。僕らの仕事が凄く褒められるのって、あまりいい状態ではないので」

「まーそうですね。私もね、外務省の前田のお陰で日本が救われる状況はちょっと、嫌です」

 喋りながら話す前田さんは、しっかりとした足取りでまっすぐ歩いている。

 目線を上げて、ちゃんと前を見て歩いてるんだろう。多分。こんな酷い物を正面から眺められるなんて、大したものだ。

 しばらく黙って歩いていると、石田さぁん、と気の抜けた声が聞こえた。

「めちゃくちゃ気が滅入るから、ちょー軽い話しますね」

「どうぞ」

「私絶対公務員辞めようと思ってたんですけど、やっぱ続けることにしました」

「それは……一大決心ですね。正直、前田さんが民間で、それこそ外資の大手か日系のノッてる所でガンガン働けば、結構貰えると思いますけど」

「マジですかー? とか言いつつ、自分でもそう思ってますけどね」

 今そんなこと言われてもなぁ、なんて思いながらも、意識が逸れるのは少しありがたい。そんな不純な動機で、前田さんの声を聞き続ける。

「就活してる時とか、仕事始めてすぐとかはね、やりがいってもっと大事なものだと思ってたんですよ。でも、五年とか六年とか経って、あ、私って普通に労働者だなあって思っちゃって。別に日の丸背負わなくてもいいんじゃないかなって」

 社会に出るか出ないかの頃の自己イメージと、実像のズレ。

 まあ、わかる話だ。

 私はかなり早めに自分が労働者タイプだと気付いていたけど、それでも、もう少し壮大な世界観を持てると思っていた。

 もっと純粋に、というもののために頑張れるものだと思っていた。

 今だって仕事に対して哲学はあるし、組織人として、あるいは労働市場の参加者としてのプライドは持ってるけども、それはリスク管理と損得勘定の観点から修正されたものだ。

 今はもう、あの青臭い苦いモノは噛めない。

「でもこれ見て……こんなんなっちゃった街を見て、なんとか復興出来るなら、したいなって思っちゃった。日本だけで復興するのは絶対無理だから、国際社会の支援は絶対にいる。その役に立つんなら、今の仕事もいいのかなって」

 確かに、そうだな。

 すでにある被害。

 これからある被害。

 自動車なんかを長期間輸出できない機会損失。

 膨大な防衛費。

 避難者や企業に対する巨額の支援金。

 支援無しでは、日本は完全に経済的な落伍者になり、立ち上がるのは途方もない未来の話になってしまう。

 そうした支援は経済とか、防衛とか、そういう面の損得勘定も関わるだろうけど、ベースになる日頃の信頼関係の構築あってこそだろう。

 前田さんが果たす役割は、きっと大きい。

「こんな瓦礫になってるのは、今はこの辺りだけですけどね。多分、これから増えるから。そういう所にもう一回、ちゃんと日が昇るまで、ちょっと外務省辞めらんないなぁって」

「前田さん……」

 私が足元ばかり見て歩いていた時に、彼女は瓦礫の山を真正面から見据えて、明日の空まで見ていたのか。

 そんな彼女の告白に、思わず顔を上げて――

「その話、クソ重くないですか?」

「あー、やっちゃったー」

「少なくとも、ちょー軽くはないですね」

「まあまあ。石田さんも公務員やろうよぅ。潰れないよ? ちょいブラックだけど」

「あ、僕は輸出して外貨稼ぐ係なんで」

「ケッ、ホワイト企業めが」

「えぇ……」

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