第40話 赤い頭痛-Ⅰ-

 市街地の状況確認を終えて河川敷に戻ると、輸送隊の兵達が慌ただしく動き回っていた。

 大型、小型両方の竜で運んで来た矢の荷解きだけでなく、今後物流の中継拠点として使うための設営もあるのだ。

 みんな、休む暇がない。

 何か手伝えることは……と思ったけども、まるで思い浮かばない。ろくにキャンプもしたことのない人間では、設営の現場に行っても邪魔になるだけだ。

 ということで、なんとなくわかっている風の顔をしながら、それらしく作業を眺めてみる。

 しばらくの間そうしていて、いい加減何かしないとなぁ、と思い始めた頃、忙しなく動き回る兵達をかき分けて、ドゥズが小走りでやってくる。

 そして総監殿! と言いかけた時。

 フミアキ! と呼ぶ声がする。

 このハリの有るキビキビとした声。その持ち主など、一人しかいないに決まっている。

「イシュタル、無事でよかった」

「ああ、お前もな。翻訳魔法が解けて大変だったらしいな。ナナルの奴が情けないと泣いていたから慰めてやったら、もっと泣かれた」

 あぁ、まぁ、うん。

 多分そういうタイプだろうな。

「ところでフミアキ。確認なんだが、ギュッシュディシュプは十分にあるのか?」

「ん? 何それ」

「酒だ。大きな戦闘やキツイ仕事の後にはこいつを振る舞うのが通例なんだが……ん?」

 酒の備蓄を聞くイシュタルに、冷や汗をかいて目を泳がせる、明らかに挙動不審なドゥズ。

 あまりに怪しいその様子を見て、彼女は失神寸前の輸送責任者に視線を向ける。

「ドゥズお前、どうした。ギュッシュディシュプはあるのか?」

「いえその、今その件で総監殿にお話をしようとしていたところで」

「あるのか?」

 第一王女直々の問いかけに、哀れな段列総長はうつむくと、掠れ声を震わせて――

「五分の四は、樽の中身が水でした」

 と、言った。

「ほう……それはどこから持ってきた物だ? 検品の責任者は?」

「お、王城の倉庫の物で、そこから引き渡された物でございます」

「偽りはないな」

「それだけは。命に代えても」

 長々とした、イシュタルのため息。

 察するに、納入業者の不正と王城側の補給兵の適当な仕事、あるいは両方の不正によって、酒の入っているべき樽はただの水で満たされていた。

 そんなところか。

 建設作業の喧騒の中三人とも押し黙り、ただ時間だけが過ぎていく。

 沈黙を破ったのは、イシュタルだった。

「ドゥズ。基本的に前の兵站総監の落ち度だ。お前のことは責めない。だが、対応は必要だ」

「はい」

「で、お前の手には余るな?」

「……はい」

 わずかばかりの沈黙に、イシュタルのキビキビとした声が続く。

「フミアキ。こちらの不始末で悪いが、何か代わりのものを探してくれ。兵の規律と士気を保つのに、酒と食事は必要だ」

 それはそうだろうと、私も思う。

 陸の兵士はもちろんのこと、歴史を紐解けばナポレオンの時代の英国海軍は必ずラム酒を積んでいて、水で薄めて飲ませていた。理不尽に配給をケチれば、それすなわち反乱のタネだ。

 兵士を労働者に置き換えても同じこと。

 モラルを保つには息抜きや、なんらかのがいる。生き物である以上、理念や責任感だけの頑張りは続かない。人間とはそういうものだ。

 そして、ブルム兵だって人間なのだ。

「わかったよ。ところでそのギュなんとかっていうのは、一体どういう?」

 その問いかけを受けたドゥズが兵站テントに向かうのを、イシュタルが呼び止める。

「待て待て、兵の物に手を付けるな。フミアキはテントに来い。ドゥズ、お前は設営の指揮を続けながらフミアキの指示を待て」

 そう言ってイシュタルは私を連れ、我々の寝床のテントに戻る。

 小田原城から拠点が移って寝る所も別になるかと思っていたけど、緊急時の便利さと密談のしやすさから、結局同じテントになったのだ。

 テントに着くなり、彼女は簡易ベッドの横に置いた箱から、布でぐるぐる巻きになった細長い物を取り出した。

 布が取られて姿を見せたのは、五百ミリリットルぐらい入りそうな透明なガラス瓶。

 中にあるのは、宝石を溶かしたような赤く透き通った液体。

「それがその、お酒?」

「そうだ。飲んでみろ」

 そう言いながら、彼女はテントの隅の紙コップを一つ取り出し、指一本分の酒を注いだ。

 手に持って香りを試してみると、ちょっとした紙臭さなんて簡単に突き抜けてくる芳香がある。

 透き通った赤から連想する通りの、甘酸っぱい果実系の香りだ。口に含むと、これまた期待通りの、いや、思った以上の味がする。

 当然知らない果実だけども、強いて言うならサクランボとなんらかのベリー類を合わせたような味だろうか。

 度数は結構高そうで、少なくとも三十度ぐらいはありそうだ。それなのに、無限に飲めそうな感じがしてしまう。

 甘みが強いけど程々に酸味もあって、飲み飽きるということがないタイプ。

 まさかブルムにこんな美味いものがあったとは……なんていう驚きと、案外難しい仕事じゃないか! と落ち込む気持ちが半分ずつ。

 今まで聞いた食事の話から、なんとなく食文化では我々が圧倒しているのでは? と思っていたけど、これは中々。

「うん……美味しいね」

「代わりの物はありそうか?」

「いやぁ、まったく同じ物は無いね。美味しすぎるよこれは」

 クランベリー、ラズベリー、イチゴにカシス。

 共通項が感じられて、ある程度流通してそうなのはその辺りか。

 例えばそう、カクテルのように混ぜ合わせればいける? いや、私にそんなセンスはないし、仮にレシピがあっても、手作業で一万人分を適正な比率で混ぜるのは難しい。

 だいたい、時間がかかりすぎる。

「イシュタル。確認するけど、優先事項は」

「似たような美味い酒を、出来れば夜までに」

「わかった、やってみるよ。ところで相談なんだけどさ……」




 やってみるぞ! と勇み足でテントを出て、十五分後にはもう空の上。

 私が乗る竜を駆るのは、上層部の不始末のために奔走する哀れな段列総長のドゥズ。

 そして私の後ろに乗るのは――

「さぞや美味しいお酒があるんでしょうね、フミアキ?」

「おいおい、趣旨がずれているぞナキアよ」

 四連座席の後ろ二つには、栄えある第一王女殿下と、凍てつく雷光。四人乗りの鞍があるなんて思いもしなかったけど、どうやら要人をまとめて運ぶ用らしい。

 今回は味見役、そう、ブルム人的な美味しさの判断をさせるべく、高貴な二人を乗せたのだ。

 別にドゥズや他の補給兵でも役目は果たせるけども、味見であまり酔いすぎても恐ろしい――

 実のところ、竜に乗る者は蛮勇を良しとするブルム人の中でも特に蛮勇で、飲酒騎竜ぐらいなんとも思わないらしい。

 だが、良識ある日本人たる私からすれば、酔っぱらいが操る竜なんて大変な恐怖だ。

 それに、前兵站総監と側近の問題とはいえ、兵站側のドゥズがあれこれ味見しては嫌な感が拭えないけど、イシュタルとナキアなら、誰も文句はつけられない。

 そんな打算を胸に秘め、向かう先は立川駅。

 小型竜は、積み荷が軽ければなんと時速にして百五十キロは出る。

 だから、一頭あたりの荷を軽くして高速で酒を運ぶために、三十頭の編隊を出動させた。

 立川であれば都心よりは近いし、同時に、腐っても東京。すぐ手に入る酒の種類も多い。

 そして……周辺に大手通販業者の物流倉庫が大量にある。

 そう、都市の利点を活かして様々な種類の酒を短時間で試し、近くの通販用倉庫にある物を大量に積んで帰れるのだ。

 どんな酒が気に入られるだろうか、というか小田原城での野菜や魚の受け渡しは上手く行っているだろうかと、ぼんやりと色々考えていれば、一時間も経たずに立川駅が見えてきた。

 竜が舞い降りるのは、伊勢島屋デパート、あの惨劇の舞台の屋上だ。

 あの地下の、思い出したくもない光景。

 出発前にイシュタルから、伊勢島屋に行くなら一言、すまないと言えないだろうか――と、言われた。

 少し違和感があったけど、言葉にもできなかったから、訪問を告げる電話でそのことを話した。

 そして、私が紡げなかった言葉で断られた。

 いわく、今店にいる者は逃げ延び、生き残った者達。皆ある種の事故であることは理解しており、早く敵を倒して帰ってくれることが一番の願いである。

 そして、死んでしまった者達のこと。

 これは、自分達では許すことができない。

 謝られたところで、どうしろというのか。

 事態は非常時、ブルム兵の士気と健康の維持のため、出来るかぎりの協力をする。我々は必ず王族も兵も満足させられる。

 別に、ブルム人達にしめやかにして欲しいとは思わない。

 気持ちがしぼんでは、勝てない。

 だから強者は強者らしく、鬨の声を上げながら前進して敵を打ち倒して欲しい。そのために出来ることがあれば、何でもする。

 そう、言われた。

 イシュタルにその言葉を伝えると、彼女は私から目を逸らすことなくとだけ言い、腰を上げたのだった。

 今、彼女は再び立川の地に降り立ち、彼女達がこの世界に与えた影響を、しかと噛み締めているに違いない。

「ナキアよ」

「はい、殿下」

「例の薬はあるな?」

 そう厳かに尋ねるイシュタルに、ナキアは恭しく頭を垂れ、自信に満ちた声で答える。

「もちろんです。あの薬は我が母が完成させた、天下の名薬」

「あの二人とも、薬っていうのは?」

 訝しげに問う私にイシュタルが返すのは、あの惨劇の現場にいるとは思えない爽やかな微笑み。

「ナキアの秘薬だよ。あれは凄いぞ、いくらでも酒が飲めるんだ。お前も飲め」

「君はこの場所でよくそんなことを……」

「ははっ、フミアキよ。暗く沈んだ態度でいれば、この国の民は許してくれるのか?」

「いや、それは無いよ。そもそも、多分だけど、全員から許されることはない」

「そうだろう! 戦争に許しは無い。勝とうが負けようが、民にとっては辛いだけだ。戦って勝てば何万、何十万の民が救われるが、それは一人一人にとってはどうでもいいことだ。さっき、改めてそう思った」

 護身用の短剣の柄に手をかけた彼女の瞳には、冷徹で、傲慢で、しかし真っ直ぐな光が宿る。

 謝りたいと言ったのは、この世界の民の気持ちに配慮しただけ。きっとそうだ。

 彼女は感傷に浸らないし、赦しを乞わない。

 何も思わないわけではないのだろう。

 それでも、彼女は暗い顔を見せない。

 多分、意味が無いからだ。

 泣いて謝って許しの言葉をもらっても、俯いて落ち込んでみせても、勝利には一歩も近づかないからだ。

 そう。そうだ、彼女は――

「我々は前進して勝利する。その準備だ。士気を上げ、武器と食料を揃えて前に進めば、魔族どもを殺せるんだぞ? 意気消沈してどうする。巻き込んだのは私だが、お前も兵の上に立つ身だ。俯くな。突き進め」

 天空の支配者は実に不謹慎で、不愉快で、そして頼もしい笑みを浮かべて、案内してくれと私に言った。

 これを頼もしいと思った私は、さて、に染まってしまっているのだろうか。

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