第38話 女神の盾-Ⅵ-

 双眼鏡越しに見えた敵の姿は、右腕の肘から先を失っていた。ナキアがさらに光線を放つが、光線の威力が足りず、敵が生み出した蒸気の壁で霧散する。

 反撃の恐怖が体を駆け巡るも、来るべき攻撃は無く、敵は砲弾が降る中を走って逃げている。屋上から建物の中へ入ろうとしているのか。

 再びナキアが光線を放つのに加え、上空から矢が降ってくる。

 軽騎竜兵だ。

 上空は未だ騎竜兵のぶつかり合いが続いているが、軽騎竜兵が対地攻撃に回るぐらいの余裕は出てきたらしい。

 敵は――光線、砲弾、矢の猛攻をかいくぐり、追加の傷も負いながら、屋上から姿を消した。

 浄水場上方に敵の矢が集まり、攻撃に降りてきた軽騎竜兵達は再び高度を上げていく。

 その行く手には、敵味方の重騎竜兵。

 散り散りになりつつある敵に対して、ブルムの兵は統制のある編隊を保ち、速度を乗せた突撃を繰り返している。

 中でも一番大きな編隊の中央後方に、白竜と白銀の鎧。味方の間を縫うように二騎一組で飛んでいるのは、彼女が放った伝令か。

 地上に目を戻せば、そこは完全な拮抗状態。

 例の化け物は数を減らし、生き残りも足を止めているけども、こっちから強気に押し込む材料がない。さっきの魔導師も死んではいないし、そもそも他にも魔導師はいて、今も攻撃を続けているのだ。

 矢と騎竜兵の傘。

 魔導師の盾。

 これが無ければ、迂闊な前進はできない。

 攻勢の必須要件である追加の矢は、さすがにまだ来ない。このまま歩兵がぶつかり合えば、お互いに大損害は免れない。 

 思考が加速し意識が沈みかけたところで、気味の悪い赤い発光。

 敵陣から来るそれは、何かの信号のようにチカチカと点滅している。

 それを合図にするかのように、敵陣から無数の氷の矢が打ち上げられる。飛んでいく先は、ブルム重騎竜兵の編隊。まさに突撃をかけようとしていた彼らは、その攻撃に進路を変えさせられた。

 その隙を突くように、敵の騎竜兵は一斉に身を翻して急降下し、対岸の敵陣へ引き返していく。

 化け物の後ろに隠れながら渡河とかしていた小鬼達も、慌ててきびすを返す。

 これが攻め時なのか、罠が待ち受ける偽装退却なのか。その判断は難しく、こちらはあくまで砲弾と魔法、そして貴重な矢での追撃だけを行う。

 そして、急降下してきた敵騎竜兵が地表に近づいて、同じ場所での旋回を始める。敵が密集した今こそ好機と、戦車連隊と特科団が全力で砲撃を加え、数多あまたの砲弾が対岸を目指して風を切る。

 続くのは、無数の爆発。

 対岸は呆れる程に大量のエネルギーと鉄片で溢れかえっている。

 だが、それが損害を与えることは無かった。

 弾着直前、薄黄色い閃光とともに、敵が姿を消したのだ。

 大規模な転移魔法――腕一本吹き飛ばされているのに、まだそんなことができるのか。

「まずは小手調べ、ということか。見事な撤退行動だな」

 敵が忽然こつぜんと姿を消した対岸を見ながら、陸将はそう言って小さくため息をつく。

 河原はさっきまでの喧騒が嘘のように静かで、風の音すら聞こえてくる。頭上ではブルムの軽騎竜が周囲を警戒し、重騎竜兵は再び住宅地の道路に降りるつもりなのか、縦隊を組んで高度を下げている。

 編隊から離れてこちらに来るのは、多分イシュタルだろう。双眼鏡越しだけど、相変わらず堂々と飛んでいるのが感じられる。

 アダプは弓兵、槍兵、長剣兵を整列させて、損害を報告させている。

 魔導師達が敵の矢や魔法の防御をしていたから、死傷者は少なそうだけど、それでも、損害なしというわけには行かないだろう。

 最も功労あると言えそうな魔導師達は、みんな疲労困憊だ。その長であるナキアは、珍しく疲れ切った様子で堤防の道路にしゃがみ込んでいる。

 そして、集まってきている魔導師達に、何やら言葉をかけていた。

 何やら言葉を、何だ?

 彼女は私に生気のない顔を向け、アナークアナーフ、フミアキアタラーアタシャマーム? とかそんな感じの、まるで理解できない音を発した。

 翻訳魔法が……解けている?

 私がキョトンとしてるのを見て何かを察したのか、彼女はナナルに手招きする。

「ナナル! アティフミアキタギュムキシュプ」

 まあ、わからない。

 ナナルの後に、なんかフミアキって言った気がする。実際ナナルがアンナーとか言いながら走って来ているから、そうなんだろう。

 しかしなんだ、このナナルの顔は。

 ためらい、戸惑い、不安、あるいは一種の恥ずかしさ、そんな物が入り混じったような不思議な表情に、なぜかはにかみまで足されたような――

 私の前に立ったナナルは、ちょっと伸び上がるようにして私の目を覗き込む。

 透き通った緑の瞳にじっと見られ、耳に届くのは早口の長々とした呪文の詠唱。これは、翻訳魔法を使っているのか。

 状況から察するに、ナキアが全力を戦闘に注ぎ込んだことで、魔法が解けてしまったのだろう。あの青い衣の魔導師、多分ダムエントゥは、それだけの強敵だったということだ。

 そして、疲れ果てたナキアは一時的にでもいいから代わりに翻訳魔法を使えと、出来のいい姪に命じたわけだ。

 確かにナキアはあれは疲れるとよく言っていたし、ナナルも難しいと言っていた。

 難しい。そう、難しいのだ。

 その難しさについて、前にナナルが何か言ってた気がするけど、さて何だったか。

 ぼんやりとそんな考え事をしていると、ナナルが呪文を唱えるのを止めて、確かめるような顔で私を見ながら口を開く。

「スカラトゥ、私の言葉はわかりますか?」

「す、すか……?」

「アヤーブはいなくなりましたね。あぁ、ギュバートゥにお怪我が無いといいですけど」

「あや……ぎゅ?」

 なんだなんだ、意味のわからない言葉が紛れこんで来るぞ。

 確か、翻訳魔法は魔導師の頭の中の辞書と文法書を私に押し込むようなもので、どこまで押し込めるかは術者の実力次第とか、そんな感じだったはず。

 つまり、実力が不足していれば不完全な翻訳ソフトになってしまう。

 実際、全然話を飲み込めていない私を見て、我らがナナル――恐らくかなり頑張って魔法を使ったであろう彼女の顔が、だんだんと半ベソ寄りになってきている。

 あぁ、頑張らねば。なんだか、彼女に恥をかかせてはいけない気がする。

「わかるよ! ちょっとわかるよ!」

 ん? なんだろう、彼女に向かっては、なんだか上手に喋れない。

 ちょっと目を逸らされたし、ナキアはおや? という感じで私を見ている。

「スカラトゥのマートゥのカックは凄いですね」

「あ、うん……うん」

 うんと言ったけど、わからない。

「エルをヒムトゥして動いてるらしいですね」

「うん」

 わからない、わからないけど、うんと言う。

「スカラトゥ……フミアキ元気?」

「元気!」

 やったぁ通じたぞ、と思ったけど、ナナルの顔は耳まで赤い。

 いつの間にか隣に立っていたナキアが、玩具でも見るような目つきで私を見て、楽しげにその口を開いた。

「フミアキ、ベギュ?」

 べ? なんだそれは。

「まんま?」

 ご飯? 腹なら当然空いている!

「まんま!」

 元気いっぱいの私の言葉にナナルは顔を真赤にしてうつむき、ナキアは盛大に笑い声を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る