第19話 むらくも作戦-Ⅱ-

「どうしたフミアキ。敵か?」

「海になんか化け物が」

「何もわからん!」

 そうピシャリと言ったイシュタルは、それでもナキアを呼んで、昨日前田さんが書店から買ってきた日本地図を持ってこさせた。

 床の上で広げられた地図は、小田原のあたりが赤丸で囲われていた。

 それを見た前田さんは深く息を吸って、カバンから手帳を取り出した。

「石田さん。地図を見ながら説明するので、内容を殿下に伝えてください」

 彼女は私と一緒にイシュタルとナキアの正面に座り、ボールペンで東京湾の入口を指した。

 豪胆にあぐらをかいたイシュタルは、海か、と小さく呟いた。

「ここにある小さな島に、巨大な蛇のような生物がいます。海上自衛隊がミサイル攻撃を試みていますが、水の高圧噴射と推定される攻撃により、すべて撃ち落とされています。上陸する動きは見られませんが、この東京湾を塞いでいるため、船が港に入れません。なので、諸外国からの支援物資を日本に入れることができません」

「他の港や空はどうなんだ?」

「大きな港は竜王軍の支配下か、この九州という地域にあります」

「断絶してるな。空は?」

「使えますが、十分な食料を運ぶには輸送力が足りません。日本の人口は一億を越しますが、食料も燃料も輸入に依存してるんです」

「一億人? それは多いな。お前らのあれ、ヒコウキだったか? それでは足りないんだな。敵の詳細はもっとないのか」

「えっと、とにかく体が非常に大きくて、羽のようなものが左右合わせて六枚あるとか」

 羽を生やし、高圧で水を吐き出す巨大な蛇。

 その説明を聞いたイシュタルとナキアは、お互いに沈痛な表情を浮かべて顔を見合わせる。

「そんなものまで来ていたとは」

「殿下。これ、倒さないといけないですかね」

「大きな港がこいつに塞がれていて、食料は輸入依存とくる。この山だらけの国土を見れば納得だがな。燃料もないなら、サムサンバルも作れないだろう。この海路を打通しなければ、我々に勝機はない」

「あの、イシュタル。凄い深刻な顔してるけどそんなに厄介なの?」

「まあな」

 彼女の鋭い目線と声は、私の問いへの十分な答えだった。

「多分、それはマウダイムだ。魔族というより、もはや古の神に近いな。大カルカル島の湖にいて、二千年前に大魔導師アダプが封印したんだ。殺すには強すぎたからな。ヒメジに向かわないのもウシュムガルの命令じゃなくて、そこを縄張りだと思ってるんだろう」

 神。

 これまた、とんでもないモノが出てきた。結界ごとこちらに転移して、封印が解けてしまったんだろうか。

「それ、倒せるの?」

「やりようはある。昔と違ってサムサンバルがあるから、刃も通る。あとは、昔と同じやり方が再現できるかどうかだな」

 琥珀色の澄んだ瞳が向けられるのは、固い顔をした当代の筆頭魔導師。

「湖が海に変わったって理屈は同じですからね、まあ、理屈の上ではできますよ。理屈の上では、条件が揃えば、といくつも言葉が重なりますが」

「必要なものを言え、ナキア。ウシュムガル相手に古の勇者じみた暗殺は無理で、軍勢を率いて戦うしかないからな。海路の確保は必須だ」

 イシュタルに強く促されたナキアは、諦めたように首を横に振り、口を開いた。

「ここにいるすべての魔導師、この湾口を見渡せる強い気脈。それと、この国で気の修練を積んでいる者を、できるだけ多くその場に」

「だ、そうだ。いけるか? フミアキ」

「いや、後半がちょっと」

 気の修練を積んでいる者って、なんだ。

 気脈という概念も理解はできるが、いわゆるパワースポット的な場所で本当にいいのだろうか。

「この世界に魔法がないってことはわかってるけど、それでも何か、力を感じることはあるの。ここにいると、そうね、向こうの方に特に大きな気脈があると思うんだけど。何か心当たりない? 海が見える所だといいんだけど」

 そう言って彼女が指し示すのは、小田原城から西の方向。気脈、気、パワースポット、海が見えそうな場所――頭の中でそう念じながら地図を眺め、神社や寺を探していく。

 どうにもぱっとしないので、前田さんにも聞いてみた。すると、大して考える様子もなく富士山のてっぺんとかですか? と返ってきた。

「海は、まあ雲の量にもよるとは思いますけど」

「なるほど……そういえば、山頂に神社ありましたもんね」

「あとは、修練を積んだ人間をできるだけ多くその場に、と言ってます」

「それは、えっと」

 この世界に魔法はない。

 オカルトじみた物を狂信する者はそれなりにいるが、どうにもこうにも使いにくい。全国民の注目を集めながら、税金を使って動かすのだ。

 だいたい、そういう集団を大量に集めたところで、統制を取れる気がしない。

 精神的な修練を積んでいて、比較的国民が見慣れていて、数が多くて、統制の取れた集団。

 あっ、とひらめきの神が降り、私と前田さんの声が重なる。

「お坊……さん?」

 救世主さながらに、袈裟を着て後光に照らされたシルエットが脳裏に浮かぶ。

 キャバクラに出入りする坊主や、寺に停められた高級そうな車も見たことはあるが――僧侶は僧侶、修行はしているのだ。

「後はまあ、神社ですし、神主さんですかね。前田さん、神主さんとお坊さんって、集められるんですか?」

「宗教法人ですので命令、ということはできませんが……交渉あるのみですね。石田さん。そちらは私が動きますので、陸自と輸送の調整をお願いします。連絡先はこちらに」

「あの、輸送って」

「お坊さんと神主さんです。何人集まるかわかりませんが、富士山のてっぺんまで完全自力で登ってください、とはちょっと」

 そう言いながら、前田さんは手帳に何やら書きつけてページを破る。

 渡された紙片に記されていたのは、指揮官らしき肩書が付いた人の名前と連絡先。

「輸送ヘリは木更津の第一ヘリコプター団に配備されてます。その佐田陸将補が司令官です。上位組織の陸上総隊へはこちらで連絡しておきますので、石田さんは木更津まで直接お願いします」

「わかりました」

「あ、それと」

 バッグからノートパソコンを取り出しながら、前田さんは慌ただしく喋り続ける。

「国会で竜王軍対処のための臨時特別予算が承認されましたが、ブルム王国の――つまり皆さんの食料や武器等にかかった費用は、まずはブルム王国への借款しゃっかんとして処理されます」

「借金の扱いなんですね」

「そうです。自衛隊の武器弾薬に燃料、道路や建物の修繕、避難者の支援はもちろん、企業に対する支援金だって必要ですからね。後でまた説明しますが、皆さんの戦費についてはブルム金貨を当てにしてます」

 淀みなく金が無いと語った前田さんは、スマホを取り出してどこかに電話をかけ始めた。口振りからして、対策本部のメンバーのようだ。

 私も早速木更津に……と思ったところで、イシュタルが大声で私の名を呼んだ。

 どこにいるのかと思えば、外で備え付けの双眼鏡を見ているではないか。

「輸送隊だ! 騎竜兵もいるぞ!」

 お坊さんと神主さんの輸送手段の調整に、追加の人間達と竜の食料。

 ああ、まったく。

 一体どこから手を付けたものか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る