第20話 むらくも作戦-Ⅲ-

 多くの場合、物事には順番がある。

 ほとんどの人は車に乗る前に自転車に乗るし、キスをする前に手を繋ぐ。あるいは、酒を飲む前に茶やコーヒーの味を知るだろう。

 だが、私は今日、馬に触る前に竜に触った。

 鱗の硬さは想像通りだったけど、思っていたより温かかった。

 小屋のような巨大な箱を二匹の竜――それぞれ胴体だけで十メートルはありそうな大物で吊しているのが五セット。

 つまり、ゲームであれば間違いなくステージボス級の大物ドラゴンが十匹。

 それとは別に、小振りな翼竜が体の横にいくつもの包みを提げている。

 イシュタルによれば、その数なんと五百匹。

 さらに、同じような小型の竜に跨る騎竜兵達が、百騎一組で十四組――つまり千四百匹。

 全部合わせて二千匹近く。

 これを……食わせるのか。

 私が頭を抱えていると、後ろからうぎゃあ! とはしゃいだ小学生のような声が聞こえてくる。

 前田さんだ。彼女は意外と騒々しい。

「り、竜だ! 竜! 竜ですよ石田さん!」

「そうですね、竜です。いや、これ、どれぐらい食べるんでしょうね」

「何仕事のこと気にしてんですか石田さん! 竜ですよ? うおー! すげー! 以外のリアクションがあるとか驚きなんですけど」

「あ、僕それ五分ぐらい前に済ませてるんで」

「五分? 五分で戻される現実かぁ。そういえば木更津電話してくれました?」

 木更津駐屯地と輸送ヘリの調整。竜に気を取られてできていない。

 まだでした、と応えると、お願いしますね! と叱咤の声。

「あ、あと陸自からお風呂借りてください。避難者の方も必要な物ですけど、こっちで衛生問題起きた方がマズイんで。銭湯なんか借りたらトラブル起きそうだし、のイメージも避けたいし」

 前田さんの勢いは止まらない。

 数十秒で現実に立ち返り、あっという間に追加タスクである。

「大事なことを。これ補給部隊ですよね? すぐ金貨の枚数確認してください。支払い能力次第で、関係各所の気前の良さが変わります。あ、他の仕事は一時間いらないですよね?」

 エ、エリート……エリートからの容赦無い攻撃が飛んでくる!

 大量のタスクを、短い期限で突然に!

「いや、一気に忙しくなりますね」

「忙しい? いや、夜寝れますよね。別に普通じゃないですか?」

「え? まあ……とりあえず数えましょうか。補給部隊にも手伝ってもらえるといいですけど」

 一体何枚あるのか知らないが、いくらでもあると言わしめる金貨なら、数えるのも大変だろう。

 そんな心配をしつつ、イシュタルに声をかけてみる。兵を用事に使いたければ、彼女の許しがいるだろう。

「イシュタル。金貨数えたいんだけど、兵を借りてもいいかな」

「兵? 好きにしろ。輸送隊はお前の部下だ」

「は? 部下?」

 そう聞き返す私に対して、彼女が見せるのは呆れ返ったような顔。

「お前は兵站総監だぞ? お前の部下に決まってるだろうが。 総監としての器を示せ」

 私の部下。会社でも、まだいないのに。

 言われてみれば確かにまあ、兵站総監は兵站の責任者であって、輸送隊は私の配下だ。

 当たり前である。

 しかし一気に五百人超えとは……製造部を丸ごと貰ったような気分だ。

「あとあれだ、エルルは兵站総監付きの魔導師にした。上手く使え」

 部下がさらに一人増えたが、ここまでくると、もう変わらない。

 異世界でも組織は組織、さすがに十人とか百人とか、そういう塊で指揮官がいるだろう。

「あの大型竜の側の奴ら、兜に羽飾りが着いてるだろ? あれが隊長達で、青いマントの奴が段列総長だ」

「段列総長……偉そうだね。僕との役割分担はどうなるの? っていうか、そういえばさ、元々いたブルムの兵站総監って、どうなのかな」

「段列総長は輸送工程の責任者だ。細かい部分は総長の責任だが、全体の計画や人員配置、仕入先の決定なんかはお前の権限だ。それと、元の兵站総監は、今はいない」

「後方にいたから転移してないってこと?」

「首を斬った。出陣の前にな」

 彼女が言うからには、解雇の比喩ではなく、本当に首を斬ったのだろう。

 私は汚職か? 反逆か? と頭を巡らす。

 殺したなんて! とは思わなかった。

 死に対する感覚が、少し麻痺しているのか。

 少しショックだが仕方ない。

 そういうものだと、思うしかない。

「総監と側近連中は、私が前線で忙しくしている間に横領していた。今はお前にとって都合がいいぞ、生きてるのは実務側の人間ばかりだからな。側近に欲しい奴がいれば相談しろ」

 高官達は、皆処罰済み。

 新参の私に盾突きそうな、厄介な古参幹部はいなくて、かつ私が幹部人事に口出しできる。

 好都合というのは、確かにそうだ。俺を飛ばして総監になりやがってとか、俺が作った計画にケチを付けるのかとか、そういうことを言われずに済むのはありがたい。

 そして、私の側近――少なくとも生存率は上がりそうな仕事につきたければ、私の推薦を得るのが手っ取り早い。これは助かる。

 あぁ、合理的な思考だ――人が死んでいて助かるとは。

「お前を総監に任命したことは話しておいた。私はペスの様子を見てくるから、フミアキは仕事にかかってくれ」

「ペス?」

「私の竜だ! 騎竜兵と一緒にいたんだよ。私はそっちにいるから、用があれば呼べ」

 早足で立ち去るイシュタルを見送り、前田さんとともに隊長達のもとへ向かう。

 軽装の兵と同じように、胴と腰を簡単な鎧で覆い、頭の上には小さな兜。

 階級による違いなのか、青、赤、黒と違う色のマントを羽織っている。

 私の姿を認めると、彼らは直立不動の姿勢を取り、右の拳を左胸に当てた。

「総監殿!」

 私はイシュタルに教わった答礼として、軽く右手を挙げて応じる。

 現場責任者達との初めての会話。

 イシュタルからは威厳を保てよ、と念押しされているけども、どんな態度で接したものか。

 まあ、私は覇道型の人間ではないのだ。高圧的な仮面を被っても、どうせすぐに外れてしまう。

 ここは無理せず王道を行こう。

 威厳とは、怒声で保たれるのではない。

「イシュタル王女殿下の兵站総監、イシダフミアキです。まず、生きてここに来てくれて、ありがとう」

 怒声は好かない。もちろん必要であればいくらでも張り上げるけど、それは少ない方がいい。

「慣れない土地に戸惑っているでしょうが……戸惑いが大きいのは私も同じです。しかし、戸惑える、というのは贅沢なことです。この国ではもう何人も、戸惑う間もなく死にました」

 何人も死んだ。気分の良くないセリフ。

 彼らは皆、痛ましそうな表情を浮かべる。

 少なくとも、生死の感性はまともらしい。

「竜王軍の速やかな撃破には、確実な補給が不可欠です。力を一つに、頑張りましょう」

 少しトーンが低すぎるかもと心配したけど、隊長達からは力強い返事が返ってくる。

「段列総長は、君かな?」

「は! 段列総長のドゥズです、総監殿」

 四十を少し過ぎたぐらいのその男は、もさもさとヒゲを伸ばし、よく日に焼けている。長い間竜に乗って、空を飛んでいるからか。

「組織の構成を簡単に教えてほしいな」

「大型竜は二騎、小型竜は十騎で一つの塊です。小型竜は十騎で一班、百騎で一隊を形成します。それぞれ双竜隊長、十人隊長、百人隊長が指揮します。双竜隊長と百人隊長は同格です」

「段列総長っていうのは?」

「全体統括の臨時職です。今回のように大規模な輸送隊を動かす時は、百人隊長の人数が増えますので、段列総長を立てて統括します。私は段列総長と、一番隊の百人隊長を兼任しております」

「わかった、ありがとう。で、早速で悪いんだけど、運んでる金貨の枚数はわかるかな? 大変かもしれないんだけど数を」

「は! 五十万枚あります!」

「早いね。ん? 五十万?」

「こちらの伝票に記載がありますが……はい、五十万枚です」

 思っていたよりも遥かに多い枚数に、ちょっと計算ができない。いやできるけど、びっくりして頭が働かない。

「ま、前田さん。金貨は五十万枚あるそうです」

「ええと、それはいくらなんですか?」

「あー、全部で五百億円」

「ごっ……! 見たい。見たいです。なんか、立ち会いとかじゃなくって、ぴかぴか見たい」

「さすがに袋とかに入ってると思いますけど」

「そうですかねー。ね、石田さん。うっかり何枚かポケットに入ってもバレないですよね」

「前田さん……」

「やだ、バカにしないでくださいよ。そんな」

 いやいやいや、と手を振る前田さんは、なんだか知らないがとてもそわそわしている。

 それはそれとして、前田さんの一応の職責を果たすためにも、現物の確認はしたい。

「ドゥズ。運んでる金貨はこれと同じかな?」

 私がポケットから金貨を取り出すと、前田さんがあ! ずるぅい! と声を上げる。

「いや、これは最初ナキアが世話になるからってくれたもので」

「私もすっごくお世話してると思うんですけど」

「いや公務員は……そういうのは」

「会社員もダメですよ」

「僕はほら、会社の仕事と関係ないんで」

「ちぇー、いいです、いいですよもう。はい、早く現物見せてください」

 猛烈な勢いで拗ねる前田さんに気圧され、私はドゥズに早く金貨を見せろと指示を出す。

 だが、彼の表情は随分申し訳無さそうなもの。

 ご説明しますと連れて行かれた先は、巨大な二匹の竜に吊るされていた大箱。

 よく見ると、一メートルぐらいの箱が三段重ねになっている。継ぎ目の金具は取り外しできそうだけど、かなり頑丈そうだ。

「今からこれの金具を外して、竜を使って箱を横に並べていく作業があるのと、並行して物資集積所の設営がありまして……」

「わかった、すぐには無理だね」

 残念だが仕方が無い。現物確認は後にしてもらって、私と前田さんは天守閣へと引き返す。

 城に来てからたった二晩で、天守閣五階はすっかり我々のねぐら兼事務所になってしまった。

 借りてきた備品の長机にはノートパソコンが二台並び、モニターが置かれ、充電ケーブルがうねうねと這っている。

 まだ紙の書類はあまりないが、それでも何枚もの地図やメモ書きがぶちまけられ、申し訳程度に置かれた書類トレー――昨日三友金属からの帰りに百円ショップで買った物により、すぐに処理が必要な物が仕分けられている。

 パソコンの電源を入れて、立ち上げるのは皆が大好きな表計算ソフト。

 画面に映し出されるのは、私が疾風のごとく食材を数え、怒涛の手作業で作成した在庫管理表。

 今の在庫で何人分の食事になるかも自動計算される、大変なスグレモノである。

 平均して必要な一食のカロリーと、その食材の平均的なカロリー。

 この二つで計算しただけだから専門家から見れば穴だらけだろうが、無いよりマシだ。そして、計算結果を何度見返しても、今の在庫では到底足りない。

 まぁ、さすがにあれだけ立派な輸送隊なら、食料だってあるだろう。

 彼らの荷解きが済んだら食料がどれだけあるか聞くとして、先にヘリと風呂だ。

 風呂の誘惑は、強烈そのもの。

 発:ブルム王国軍兵站総監

 宛:第一後方支援連隊長殿

 我ガ方男気ムンムンニシテ汗臭ク、極メテ重大ナル衛生上ノ問題発生スルノ恐レ有リ。

 至急貴隊ノ野外入浴セットヲ貸与サレタシ。

 なんて連絡をしたくもなるが、私は大人なのでぐっとこらえて、ヘリの手配のために木更津駐屯地へ電話をかけた。

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