第21話 むらくも作戦-Ⅳ-

「ぴかぴかできれー! きれーだよ石田さん!」

 知的なようでいて、実は小学生程度の知能しか有していないのではないか――そんな不安を抱かせるようなはしゃぎ方をしているのは、我が国きってのエリート、外務省出身の前田さんである。

 あんまり無邪気にはしゃぐから、二頭身ぐらいにデフォルメされて見える。

「ぴっかぴか♪ ぴっかぴか♪」

「前田さーん、もう片付けて大丈夫ですかー?」

「え、もう? ケチ! バカ!」

 彼女の知性と人格をここまで破壊してしまったのは、五十万枚、日本円にして五百億円、重量にして五トンのブルム金貨である。

 特定不明勢力対策本部の果てしなく広い業務範囲の中には、ブルム王国の支払い能力の確認も含まれていた。

 そして、輸送隊が手際よく並べていった大量の小箱には、ギッチリと金貨が詰まっていたのだ。

 一箱で百枚入りの箱がズラリと並び、フタが外され、無数の金貨が陽光を反射するのだ。

 できるだけ長く眺めていたいのは、わかる。

 しかし、金貨を見て呆けてる時間はないのだ。

「前田さーん! 神主さんとお坊さんの方は大丈夫ですかー?」

「仕事の話! まったく、もうちょっと見てようとか思わないんですか?」

「十五分も見たらもういいですよ……私の方ですが、ヘリとお風呂は都合がつきました。それと、魔導師のエルルが伊勢島屋に魔物の死体を回収に向かってます」

「うわぁ、そんなん集めてどうするんですか」

「竜のエサの足しにするんですよ。もう二の丸広場の方に転送し始めてると思います」

 前田さんは思いっきり顔をしかめて、なんか臭い気がしてきたと言った。

 気分を変えるため、人間の保存食も大量に積んであったから数日は食べられると言ってみると、これまた疑わしそうな目を向けられる。

「それ、美味しいですかね」

「いくつか見せてもらいましたけど、いけそうでしたよ。硬めのパンにナッツとドライフルーツ練り込んだやつとか、干し肉とか、乾燥豆とか。あとチーズみたいなのとか」

「思ったより悪くないですね、生きる希望が湧いてきました。そういえば、ドラゴン達のご飯は大丈夫なんですか? 伊勢島の死体で足ります?」

「足りないんで、ホームセンターの本社に電話してペレット大量購入ですよ。竜のエサって言ったら、いたずらだと思われましたけど」

 あれは、今日の午前中で特にストレスの溜まる一幕だった。

 木更津の司令官は心得たもので、富士山頂に神主と坊主を運ぶヘリを出せと言っても、驚く素振りも見せなかった。

 しかし、ホームセンターの担当者はこの期に及んで私の正体を疑い、竜なんているわけないでしょうと言い、電話を切ろうとした。

 なんとかウェブ会議にこぎつけ、カメラ越しに実物を見せてやっと納得してくれたが、大変なやり取りだった。

「あれ、エサのメーカーじゃなくてホームセンターに電話したんですか?」

「あー、いや、確証はないんですけど、今メーカーにある在庫で、まったく買い手がついてない分ってそんなに無いんじゃないかと思って。それ譲れって言っても、小売業者との調整じゃないですか。ホームセンターは売り先なんて決まってないんで、売ってくれるかなと。物流も強くて、今日中にここまでトラックで運んでくれます」

「なるほど、侮れませんねホームセンター」

 正直あまり買い物をしたことのない場所だったけども、今私が欲しい物が色々と売っていることは間違いない。

 エサも色々な種類がありもっと栄養価の高そうな商品もあったが……ワームやらコオロギやらネズミやらを大量にストックするのもおぞましいので、ペレットだけにしておいた。

「後はテントですよテント」

「あれ、軍隊なんだから、それぐらい持ってるんじゃないんですか?」

「輸送隊が敵と遭遇して、逃げる時に捨てちゃったらしいです」

 彼らがこちらに飛ばされてすぐ、騎竜兵と合流する前の出来事だ。

 護衛がいないタイミングで敵に襲われ、テントやいくつかの荷物は遺棄。

 とにかく食料、金貨、矢の三つは死守せねばと、命がけで飛んだらしい。

 それ自体は責められないが、しかし寝床の確保が大仕事になったのは間違いない。

 なんせ、百人の部隊が急に二千人ちょっとになり、最終的には一万人になってしまうのだ。

 二段ベッド導入のような、小手先での解決はできない。

 最悪プライバシー的なものは我慢させても――つまりしっかりしたテントがなくても、マットと毛布か、せめて寝袋ぐらいはいるだろう。

 それと、何らかの雨よけだ。

 多分数日は野宿もアリだが、これから寒くなるのにずっと野ざらしでは、兵達が風邪をひく。

「まあ、これもホームセンターに聞きまくるのが早いですかね」

「でも石田さん、テントの広げ方とか全部バラバラだと大変じゃないですか?。陸自のテントとか寝具の仕入先、確認しますよ」

 そう言うなり、前田さんはどこかに電話をかけ始めた。




 むらくも作戦。

 東京湾の海路を確保する作戦は、そう名付けられたらしい。

 天守閣で諸々の手配をかけていたら、隣に座る前田さんが、インスタントコーヒーに異常な量のハチミツを入れながら教えてくれた。

 作戦名から連想するのは、やはりアメノムラクモノツルギ、神代じんだいの頃にスサノオノミコトが龍神ヤマタノオロチを打ち倒し、その尾の中から取り出したと言う宝剣だろう。

 東京湾には、ヤマタノオロチの代わりに巨大なヘビの化け物。

 食料や物資の補給の障害だし、イシュタルも言っていたがこいつがいると燃料輸入も滞り、サムサンバルの量産もできなくなる。

 これを倒せば輸入が再開でき、イシュタル達は十全の状態で活動ができる。

 大蛇を倒せば宝剣アメノムラクモノツルギ――サムサンバルを持ったブルム王国軍が手に入る。

 それをもって、竜王をほふるという計画、あるいは願いが見え隠れする作戦名だ。

 むらくも作戦の鍵となる聖職者達だが、前田さんが近い、すぐ来れる、数が多いことを条件に、片っ端から連絡を取っていった。

 そして、明治神宮や大国魂神社のような大きな神社を中心に神主が集まり、僧侶の方もまず成田山新勝寺が名乗りを上げ、真言宗系の仏僧が次々と加わった。

 集まった神官と僧侶は、その数三百。

 陰陽師でもいれば、さながら平安時代である。

「石田さん。とりあえず、近くのビジネスホテルの部屋も全員分押さえてあるんですけど……何させるかって聞いてます? 関東圏の鉄道は復旧してるんで、今日の夜にはだいたい揃いますが」

「いえ、ナキアがサムサンバルのために三友金属に行っていて、細かい話が聞けてなくて。あ、食べ物は!」

「ホテル側に協力依頼しました」

「よかった! じゃあ今日はホテルに泊まってもらって、明日の朝に城集合でいけますね」

 朝から恐ろしい程忙しかったが、なんとか必要な物を揃える目処はついた。後はナキアが戻ってきたら、自衛隊の担当者達と会議を設定し、段取りの詳細を詰めるだけだ。




 翌日正午。

 富士山頂、氷点下一度、日本晴れ。

 風強く、雲少なし。

 山頂に静かに佇む浅間せんげん大社の近くの岩場で、私は寒さに震えていた。

 臨時で組まれた木の足場に座布団が敷かれ、そこにナキアがあぐらをかいている。その周囲にはしめ縄が巡らされ、清浄な気に満ちている。

 東京湾の方角を向いた彼女の表情はうかがえないが、その背中はどこか神々しい。手には一本の縄が握られていて、それには無数の縄が結び付けられていた。

 枝分かれしたそれぞれの縄は、魔導師、神主、僧侶達の手首にくくりつけられている。

 縄を通じて、全員の気の力を彼女に集め、作戦に必要な魔力を確保しているのだ。

 この場で一種異様な存在感を放つのは、複数設置されたテレビのようなモニター。そこには、中継ヘリが撮影している映像が映し出されていた。

 二つのモニターには、東京湾に浮かぶコンクリート造りの第二海堡と、そこにとぐろを巻く灰色の大蛇が映されている。

 両隣のモニターには、灰色の艦隊。

 翻すのは自衛艦旗。そして、米国海軍旗。

 短い時間で集められる、最大限の戦力だ。

 残りの画面に映るのは、V字の隊列を組んで空を舞う無数の騎竜兵。

 先頭を行くは、黒髪の戦姫。

 随伴する兵が掲げる青い旗には、王家の紋章なのか、二本の剣を持つ白竜が描かれている。

 デパートの時とは違う、と言うべき集団。

 画面越しでも感じられるその威容が、私の肌を粟立たせる。今、この瞬間のために、我々は仕事をしてきたのだ。

 昨日の午後、陸海空の自衛隊や海軍を中心とした米軍メンバーと共に、イシュタル、ナキア側との作戦のすり合わせをした。

 そして、輸送ルートを確認し、神主と僧侶達の到着を確認し、兵達への食料の配給を行った。

 広いエリアを跨いでの指揮統制のために、無線を中継する場所を選定した。

 情報収集とナキアが魔法を使う手助けのために、報道ヘリによる撮影と中継を手配し、受信機とモニターを手配した。

 万が一大蛇マウダイムが領海の外へ出た場合の備えや、自衛隊、米軍の活動による不意の軍事的な緊張を避けるため、外務省を通じて周辺諸国へ参加艦艇や行動計画を事前に通達した。

 沿岸部の住民への被害を避けるため、警視庁、神奈川県警、千葉県警は総力を上げて住民の一時避難を指揮した。

 そして、消防隊と救急隊は近隣地域からの応援も含めて、全力出動できる体制で待機している。

 一人一人が責任を果たし、こうしてすべての用意を整えることができた。

 それを成功に導いたのは、一人一人が自分の仕事に専念できる環境を作ったのは、注目も称賛もされずに社会を支えるさらに多くの人々――この状況の不安や緊張に耐え、食料や工業製品を作り、物を運び、売り、人を癒やし、街の清潔を保ち、混乱する街に秩序をもたらす、無数の無名の普通の人々。

 子に、孫に、語り継がれない人々。

 その仕事が今、実った。

 命を賭けて死地に赴く者達――永く語り継がれる者達が、仕事にかかる準備ができた。

 花を散らせる、とは言わない。

 できるだけ死ななくて済むように作戦を立て、準備をしたつもりだ。少なくとも、私は。

 一体何人残せるか。

 緊張と不安が、腹の底から背中を伝って全身に染み渡る。冷たい風が吹いているが、多分、この震えにはもう関係ない。

 胃袋がひっくり返りそうになった時、連絡要員として随行する多田陸曹の無線が鳴った。

 応答して無線感度の確認をする声には、緊張も弛緩も見られない。

「準備完了了解。終わり。総監殿。自衛隊、米軍、ブルム王国軍、いずれも配置完了しました」

「わかりました。こちらも準備完了しています」

「了解。特殊作戦班より司令部。特殊作戦班は配置完了。爾後じごの指示、送れ……作戦開始了解」

 無線機を置いた多田陸曹は、一度だけ、深く息を吐いて肩を落ち着けた。

「総監殿。むらくも作戦を開始します」

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