第18話 むらくも作戦-Ⅰ-
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東京湾の入口、太平洋から東京港と横浜港に向かう水路には、いくつかの無人島がある。
第一
そして、草木が生い茂る自然島の
これらの島は今でこそ役目を終えているが、日本という国が西洋の脅威に触れた幕末期、それに続く
その国防を担った島々の内の一つでは、皮肉にも極めて邪悪な存在が体を休めていた。
宵闇が迫る中でのことだ。
島を埋め尽くすような巨躯を横たえるのは、青味がかった灰色の鱗を持った大蛇。己と近しい色が落ち着くのか、コンクリートで塗り固められた第二海堡の上でとぐろを巻いている。
翼のような物も背に生えているが、それはぴったりと折り畳まれ、太い胴体に密着している。
その存在は鳥も船も寄せ付けず、聞こえるのは波の音だけ。いよいよ日が落ち、海は紺碧から
漆黒と、静寂。
それを切り裂いて、数発のミサイルが迫る。
人間が、効かぬとわかってもなお懲りずに打ち上げた物だ。
とぐろを巻いて眠っていた大蛇は鎌首をもたげ、高圧の水を吐いて眠りを妨げる小蝿をすべて撃ち落とす。
再び静寂が訪れた後、それは何を思ったか――何かを思うことがあるのかもわからないが、巨体とは不釣り合いな速さで海中へと姿を消した。
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「い、い、一万? 一万人って言った?」
この私、哀れな兵站総監の悲痛な問いかけに、栄光あるイシュタル王女殿下は、こともなげに、おう、と答えた。
「我々もウシュムガルも、お互いに決戦を意図してたからな。戦闘は始まっていたから、もちろん数は減ってるが」
なんでもこちらに飛ばされた時の戦いは、大カルカル島という、とても大きな浮島で行われていたらしい。
高度の低い大型の浮島で、地上の国々とブルム王国を結ぶ結節点だそうだ。
三年前、地上の大部分を占拠して
対するブルムのイシュタルは、天空群島国家の強み――交易と戦のために数を揃えた小型翼竜と騎竜人材を活用してゲリラ戦を展開。
地上から大カルカル島を繋ぐ浮島群や、その下に広がる地上の生産地域への攻撃を繰り返して補給線を破壊。
さらには、敵の警備をかいくぐり、決して無数に湧き出るわけではない大型翼竜を狙った作戦を何度も行った。
一方で、ブルムの国土を高度に要塞化して、竜王軍のそれ以上の上昇を阻んだ。
決戦を避け、生産と輸送の手段を奪い、三年かけて天空における竜王軍の力を少しずつ削ぎ落とした。
それに呼応するように、地上の国では勇者を名乗る存在が何人か現れ、竜王軍の本拠地を目指して進みだした。
そこで竜王軍の足並みが乱れた機を逃さず、イシュタルは一万の大軍を率いて大カルカル島奪還に向かったという話だ。
「ウシュムガルから見れば、勇者というものは軍事的にはなんの脅威にもならないが、統治のうえでは厄介だ。奴らは人間を家畜として使役するつもりだから、死を恐れぬ英雄が湧いて出るのは嬉しくない。だから勇者達に力を向けるために、先に大カルカル島決戦で我々の軍を潰そうとした。お互いに、決戦を望んでいたわけだ」
王女殿下は朝食用に茹でたイモを四分の一に切り、慎重に温度を見定めながらそう言った。
「殿下。冷めてますよ」
「そうか」
プラ皿のイモに塩をかけ、プラフォークを突き刺した殿下は、よく噛んで飲み下すとにこやかな笑顔を見せる。
「美味いイモだなフミアキ。大量に手に入れたようだが、よく栽培されてるのか?」
「ジャガイモは寒い所とか痩せた土地でも育つんだよ。保存も効くし」
「素晴らしい作物だ。ブルムのイモはもっとこう、ボソボソした感じでどうもな。スープ以外で食べる気にならん。こいつの種イモを持って帰りたいぐらいだ」
「いや、それはいいんだけどさ。一万人?」
「いいのか!?」
「え、あ、同じ世界の外国人はダメかも知れないけど、まぁ、異世界だから……じゃなくてさ、その一万人がここに向かってるの?」
「そうだ。ナキアの集合魔法に魔導師からの応答があった。お前らの電話やメールみたいな細かい話はできないが、パターン化された信号だ。各隊大きな欠損はないと言ってるから、無事各地で集まれたらしい。食料と寝床をなんとかしてくれ」
本日朝のご下命は、一万人分の寝食の確保。
今小田原城に詰めているのは百人強だから、人数にして約百倍。それだけでも大変なのに、イシュタルはさらにとんでもないことを口にする。
「騎竜兵と輸送部隊を合わせれば、翼竜が二千頭いるからな。雑食だが、肉があると嬉しいな」
「肉……何の?」
「なんでも食べるぞ。最悪魔族の死体でもいいから、戦線が前に進んでる時は楽だ」
「うぇ……で、竜はいつ頃ここに」
「急がせてるからな、もう来る。竜が山の獣とか畑の作物を勝手に食ったら、後が大変だろ?」
「それは、そうだね」
今のところ、人生最大級のこれどうすっかな、である。平時であれば日本国内に人間が一万人、デカイ爬虫類が二千頭増えたところで、食べる物はなんとかなるだろう。
しかし今は有事中の有事。
食べ物の絶対的な量が足りない。
兵を餓えさせるわけにもいかないけども、避難民の食料を巻き上げるようなことをすれば、風当たりがキツくなって後で困る。
困り果てて窓の向こうの空を見ていたら、階段を登る足音が聞こえてきた。
見えてきたのはリスっぽい茶髪のショートカットにライトグレーのスーツの前田さん。
その顔は、とても暗い。
「石田さん。アメリカ、オーストラリア、フランス、ドイツからの食料と衛生用品の緊急輸入が決まりました。信じられないことですが、近海を航行中の小麦輸送船が積荷まるまる日本に回してくれるようで、数日で東京港に入ります。荷主さんはアメリカ企業です」
「それは……凄いですね」
「本当に。あと、各国民からの義援金もめちゃくちゃ来てます。中国も海には軍艦並べまくってますが、寄付は多いです。
「そうですね。で、いいニュースですけど、なんでそんな暗いんですか」
「東京湾に変な化け物がいて、東京港にも横浜港にも船が入れないんですよぉ。名古屋、大阪は当然魔物だらけで使えないし、九州で荷揚げしてもこっちに持ってこれないし、輸入する量がすごいから、港ならどこでもいいってわけじゃないし」
「色んな港に分散して、少しずつ降ろすのだとやっぱり……」
「トラックもドライバーもまるで足りないらしいです。それに、護衛が難しいです」
「でしょうね。あぁ、まったく」
せっかく決まった緊急輸入。
命を繋ぐには不可欠なそれが目の前にあるのに、港が使えず届かない。
原因は、海路を塞ぐ化け物。
私と前田さんの視線が向けられる先は、当然のように決まっていた。
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