第17話 賢い豚野郎

「なんというか、学がないのね。フミアキ」

 天よりも高い志を持ち、海よりも深い叡智をたたえた偉大なる筆頭魔導師であるナキア様は、小馬鹿にしたような声で私をなじり、大きくため息をついた。

「いや、違うよ? 僕は比較文化論が専門で、工学は専門外なだけだよ。日本人と外国人の飲食習慣の違いだったら、ここで一番詳しいよ?」

「それがなんになるのよ」

「え? まぁ、うん。いいんだよそんなことは」

 まったく、これだから戦争だらけの野蛮国家はいけない。モノ作りと国防は自然科学の王国だろうが、政治に外交、サービス消費やコンシューマー製品の企画には人文学が活きるのだ。

 技術は革命のコアだが、欲望を刺激し、または今まで気付かなかった需要を掘り起こし、あるいは倫理的な暴走に歯止めをかけるのには、人文学の知見も役に立つ。 

 もっと言えば、平安時代の貴族の日記は日食、月食、彗星等天体に関する記述もあり、天文学の研究資料になったりもする。

 しかしそれは恐ろしく崩した毛筆でもあり、誰がいつ書いた物かの判定も必要になるから、史学的な考証なしには使えない。

 大体、実益の有無だけで学問の価値を問うこと自体、哲学が欠落しているではないか。

 なんてひたすらに文系学問の意義を説いてはみたものの、そんなことをしても仕方がない。

 だって、眼の前の課題に対処できないから。

 そもそも、無学だなんて酷いことを言われた発端は、十分前から始まった、ナキアによるサムサンバルの解説だった。

 こちらでは鉄に炭素を混ぜて鋼として利用しているとか、ブルムではそれは千年前の話だとか、炭素以外にクロムやモリブデンを混ぜてステンレスだとか、そんな話をしている内はよかった。

 ナキアの言ってることもまだわかったし、小谷さんの言ったことを私が話せば、適切なブルム語になっていたらしい。

 だが、具体的な製法に話が移ってからがいけなかった。今まではナキアが発した言葉は頭の中で日本語として処理されていたのに、いきなり理解できない言葉が大量に混ざり始めたのだ。

 鉄を■■■■■■■と■■■した後に■■を■■■■■といった具合で、もはやなんとなくの理解もできない。

 おかげで私は通訳としての機能を果たせなくなり、ナキアに毒づかれるに至った。

「あぁ、もう。翻訳魔法って疲れるから増やすの嫌なんだけど。仕方ないわね」

「一瞬僕にかけたの解除するとか?」

「かけ直すのも大変なの」

 ひとしきり文句を言ったナキアは、例の妙な魅力のある瞳で小谷さんの目を見据え、ぶつぶつと長々とした呪文を唱えた。

 詠唱を終えたナキアが小谷さんに声をかけ、小谷さんは驚いた顔でそれに答える。

「これは、凄いですね。会話に違和感がない」

「そうでしょう? かけるのも維持するのも大変だから、サムサンバルができるまでね」

 そう言って彼女がニコリとした瞬間から、この場での私の役割は失われた。

 暇をしているのもなんとなく寂しいから、秋月さんと取引の話をすることにした。

「秋月さん。この間にちょっと量産化した後の話をしたいんですけど」

「わかりました。邪魔になるとあれですから、カフェスペースに移りましょう。ここじゃお茶もお出しできませんし」

 彼女の親切な提案に、カフェスペースなるものが存在するという衝撃を押し殺しつつ賛成する。

 向かった先は暖色系の小洒落たイスやテーブルを備えた、明るく開放的な空間。

 紙コップのコーヒー自販機がタダで使えるばかりか、水道に電気ケトル、インスタントコーヒーにティーバッグまであるではないか。

 某製菓メーカーの菓子が詰め込まれたボックスは、多分お菓子のサブスクとかそういうやつだ。

 弊社の安いテーブル、安いイス、白いパーテーションの面談室とはまるで違う。

 これが、これがエリートの世界なのか。

 秋月さんも私ここ来るの二回目ぐらいなんですよー、と言いながら飲み物をと菓子を物色しているから、まさしくトップエリートにしか許されない特権なのだろう。

 華族制が廃止されても、階級がなくなるわけではないとよくわかる。

 そんな忸怩たる思いを抱きながら菓子箱を覗くと、カカオ含有率の高いチョコレートが私を取れと訴えかける。

 直感に従ってそれを手に出ると、うわぁ堅実、と秋月さんの声。

「こんな色んな味も食感も選び放題の中で、迷わずにそれですか」

 そういう彼女の手にはブラックペッパーベーコン味のスナックが握られ、あろうことかその袋に描かれるのはグラスに注がれた黄金のビール。

 ビールの手前にはフレーバーを示すために黒胡椒とベーコンが配され、労働意欲を削ぎ落とすこと甚だしい。

 これは、私の集中力を落とす作戦だろうか。

 しかし私とて訓練された会社員、その程度で意思が揺らぐことはない。会社員ならば、そんなものはカウンターの材料だ。

「秋月さんそんなの持ってたらビール飲みたくなりません?」

 小手調べ、あるいは威力偵察のつもりで突っついてみたが、敵は余裕の表情を崩さない。

 観測射は大外れ、狙い所はどこだ。

「いえいえ、もう飲み会ぐらいでしかお酒飲まなくって、もはや仕事の道具なんですよね。ツマミはよく食べますけど。そういえば石田さんウィスキーお好きでしたよね。チョコとウィスキー、いいですよねー」

 大砲は、撃つと敵に居場所がバレる。

 酒飲みたくならない? という観測射――敵に弾が当たるか確かめる試し打ちは、我が砲兵隊がアルコール方面に展開していることを露呈させ、強力な反撃を許してしまった。

 痛打を受けた私の脳裏をよぎるのは、ロックグラスに注がれ、氷とともに美しく光を反射する琥珀色の液体。

 強いアルコールと濃い芳香は、チョコレートによく合うことだろう。竜王軍が来なければ、多分今日あたり飲んでいた。

 おかげでまったく仕事をする気分ではなくなってしまったが、そうも言っていられない。

 ああ飲みたいなぁ、と騒ぎ始める小文明こふみあき達に向って警棒を振り上げ、仕事の時間だ! と叫んで持ち場に戻らせる。

 そんなくだらない脳内イメージとともに、サラリーマン・兵站総監としての意識を回復する。

「それもいいですね。で、サムサンバルができた後の話なんですが」

 革新的な新素材になるサムサンバルの優先供給や開発費のことともなれば、話が大き過ぎて、恐らく秋月さんが決められる範囲を超えている。

 そもそも秋月さんは販売会社の三友金属の人間で、開発や製造、製品の企画に関する権限はない。

 普通なら秋月さんから関東地域の本部長、そこから営業を束ねる役員、三友金属商事の社長に上げられ、三友金属本体の取締役会の議題に乗り、長く慎重な審議が待っている。

 それはそうだ。

 せっかく手にした新技術、三友金属としては、あちらこちらに売って回りたいのが本音だろう。

 サムサンバルを急いで作る。

 量産して敵を倒す。

 この部分は前田さんパワーで日の丸を振り回して押し通せるだろうが、彼女は武州重機械工業のために働いてくれる人間ではない。

 だから秋月さんへは同業他社への供給制限ぐらいの、比較的受け入れやすい線で話を切り出す。

 今回話すのは、あくまで窓口役の秋月さんを通じて温度感を確かめるのが目的。

 それはお互いにわかっていることだから、この場ではサラリーマン物ドラマであるような、ガチガチの対立はない。

 むしろ、できるだけ相手に気持ちよく、素直に話してもらった方が好ましいと、お互いに言葉を引き出し合う。

 パワハラまがいの恫喝調の交渉なんぞは時代遅れであり、そもそも三友金属は脅して従えるには強すぎる相手だ。

 そんな訳で、カフェスペースには極めて穏やかな時間が流れ、順調に菓子が減り、二杯目のコーヒーが淹れられる。

 お互いに抑制を効かせたコミュニケーションが順番に取れたぞ、と思い始めた所で、秋月さんの社用スマホが鳴った。

 ちょうどよく、ナキアと小谷さんの方も一段落したらしい。

「それでは会議室の方に戻りますから。え? こっちに来る? そうですか。いえ、まぁ、別にどちらでも……はい、わかりました」

 秋月さんは怪訝な顔を見せながらも立ち上がり、コーヒーやお茶が収まった棚に足を向ける。

「ナキアさんってコーヒー飲むんですかね。お茶の方がいいですか?」

「昨日インスタントコーヒーも飲んでましたね。一応、美味しかったらしいですけど」

「じゃ小谷室長と同じやつにしときますか。なんかこっちに来るみたいなんで」

 なんとなくこちらがまた会議室に向かうものだと思っていたけども、まぁ、散々頭を使った後だから休憩したくもなるだろう。

 そんなふうに思ってナキアの食べそうな菓子を選んでいると、コーヒーの準備を終わらせて椅子に座っていたはずの秋月さんが、うぇ、と不思議な声を上げた。

 不思議に思って振り返ると、思わず私もうぇ、と言ってしまった。

 視界に飛び込んできたのは、研究所の廊下を四つん這いで移動する小谷さんと、その背中に乗っかって、器用にあぐらをかいているナキア。

 小谷さんは公立中高一貫校から現役で東大に入り、一年も遅れずに工学博士となり、天下の大企業三友金属で人事制度上最短で課長の座につき、清潔感のある見た目で、最近結婚した、およそケチをつけるところのないエリートである。

 それがなぜ己の背に女を乗せて、四つん這いで廊下を歩いているのか。

 私と秋月さんの無言の視線が意味するところを感じたのか、小谷さんは妙に嬉しそうな顔をこちらに向けた。

「いやぁ、ブルムの技術をもっと教えて欲しいと言ったら、下僕になれと言うから」

「小谷さん。大変な熱意ですが、下僕は……仕事ですか? 趣味ですか?」

 私がそう尋ねると、小谷さんは満面の笑みで、どっちもですよ! と言い放った。

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