第16話 さむさんばる!
翌日、午前八時五十分。
私は立川駅前のタクシー乗り場に立っていた。
といっても、大急ぎで車や電車に乗って、混雑に耐えてやって来たわけではない。
朝食にイモカレーの残りを食べた後、横に立つ筆頭魔導師様、あるいは偉大なる魔導師長殿であるナキアの魔法で私の家に飛んだ。
転移の所要時間は、わずか数分。
そこから歩いて十五分で駅に着く。
通勤もこれだけ楽だと嬉しいのに、などとしょうもないことを考えたくなるぐらいには便利だ。
時間に余裕があれば、
白いシャツ、青地に白いピンドットのネクタイ、ライトグレーのスーツ。金属バンドのそこそこの腕時計に、革靴とベルトはどちらも黒。
嫌味も奇抜さもなく、さりとてモッサリともしない、完璧な会社員スタイル。
もっとお洒落にすることは当然可能だが、それはファッショニスタ的正解ではあっても、サラリーマンの最適解では、ない。
これから会う相手は取引先の営業所長、格としてはヒラの私よりもエライのだ。
先方がなんだかパッとしない格好をしていた場合に備えて、あまりいい服を着てはいけない。
そして午前八時五十五分。
約束していた九時のぴったり五分前に現れたのは、明るい水色の丸っこいクルマ。
それは私の眼の前で停まり、中から微笑む鋼鉄の異名を持つ秋月さん――三友金属商事の東京西営業所長が出てきた。
明るさとタフさを誇る彼女は、土曜に連絡、日曜に休日出勤という労働者として最悪のコンディションにもかかわらず、少し緩やかなデザインのベージュのスーツに高そうな薄ピンクのブラウスでキメて来ている。
いつも通りのニコニコ笑顔と、その奥に潜む鋭い眼光も健在だ。
「秋月さん! おはようございます! 日曜なのに申し訳ありません、まさかあんなに早く連絡がつくとは」
「そりゃもうこんな、超緊急事態ですから。スマホは常時オンですよ。私の仕事、営業所のメンバーの安否、子供の学校と。ま、石田さんの百人の兵隊には負けますけど。ところで、そちらが?」
興味深げな視線の先には、銀髪に緑の瞳の女。
その身に纏うは、紫のローブのような衣装。
案の定、ものすごく注意を引いたらしい。
「彼女は筆頭魔導師のナキアです。イシュタル殿下は小田原で兵の指揮を」
「フミアキ。この者は?」
「製鉄所の人間だよ。技術者じゃなくて売る側の人だね」
そんな会話をしていると、秋月さんがぎょっとした目で私を見ていることに気がつく。
「石田さんそれ、何語ですか」
「何語……なんでしょうね。というか、私は外国語を喋ってるように聞こえるんですか?」
「え、違うんですか」
「気持ちは日本語喋ってます」
なるほど、私はブルムの言葉を口に出していたのか。確かにナキアの言葉は押し込めるとは言われていたから、私の意識の中では日本語、口から出る時にはブルム語でも別に不思議では――
いや、不思議だ。やっぱり意味がわからない。
とりあえず、秋月さんにはそういう便利な魔法です、と言っておく。
秋月さんもまた会社員を極めし者。
少しだけ怪訝そうな顔を見せたが、そういうものですかとだけ言った。
「それじゃ研究所までお送りするんで、早速乗ってください」
立川駅から車に乗って、混雑した道路を進むこと二時間ばかり、埼玉県の田んぼの中に巨大な建造物の群れが見えてくる。
だだっ広い農地の中に突如として現われる工場の群。その中でも一際大きな白色のビルこそが、三友金属の知の結晶たる中央研究所だ。
大量の金属を精錬する炉は東京湾の工業地帯にあるが、試作や研究開発はこの緑豊かな――アフターファイブや華金といった概念の存在し得ない場所で行われている。
埼玉の田んぼで中央とは片腹痛い、なんて笑ってはいけない。
社員駐車場を眺めれば、高級車、高級車、一つ飛ばして高級車……車をよく知らない私でも、高いとわかる車ばかり。高給取りのニオイがする。
まあ、近くにあるのは居酒屋チェーンと脂っこい以外に特徴のないラーメン屋ぐらいだから、嫌でも質素倹約が身につくだろうけども。
守衛所を抜けてビルに入り、さらにカードキーによるセキュリティを抜けた先には真っ白い廊下が続き、それぞれのドアの横にもカードキーをかざす所がある。
そのドアは、秋月さんのカードでも開かない。
彼女はそこでスマホを取り出して、小谷さんを呼び出した。
小谷さんとは三友金属の研究者で、自ら新技術の売り込みに来たこともある熱心な人だ。
秋月さんに聞いた話では、東大で工学博士を取得して入社、学閥と実力の両輪でのし上がり、つい先日室長――つまり課長の座に着いたという。
年齢は三十半ばだが、その歳での室長任用は、人事制度上の最短コースらしい。
東京生まれ、東京育ち。
公立の名門中高一貫校出身。
東大現役合格。
一年も遅れずに博士号を取得。
名門企業で最短コースでの出世。
話を聞いているだけで尻がムズムズするようなエリートだ。おまけに去年結婚したらしい。
まさしく、この世の格差の詰め合わせである。
近くのドアが開き、中から小谷さんが現れた。
身に着けているのは清潔の保たれた白色ベースの作業着で、ヒゲは剃られ、髪も整っている。
一つぐらい、見苦しいところがあったっていいではないか。
小谷さんと爽やかに挨拶を交わすと、そのまま会議室に案内された。絵や置き物みたいな調度品はなく、シンプルな部屋だ。
「早速ですが石田さん。そのサムサンバルというのはどういうものなんですか?」
「合金鋼ですね。軽くてよく切れます。これは彼女、ナキアの物なんですが」
そう言ってナキアから護身用の剣を借り、ゆっくりと鞘から引き抜く。
照明を反射し、白銀の刃がギラリと光る。
「この大きさで、包丁ぐらいの重さです。小谷さん、お願いしていたサンプルはありますか?」
「こちらに試験用の丸棒が。言われた通り、包丁メーカー向けのモリブデン鋼です」
「ありがとうございます。秋月さん確か剣道部でしたよね。これ、切ってください」
「はい? いや石田さん、何を……」
「試してみてください」
秋月さんに短剣を掴ませて、三十センチぐらいの金属棒を手にとって横に突き出す。
真剣を手にした彼女は、さすがに血の気が引いている。
「ま……間違って腕切り落としても恨まないでくださいねぇ」
「あんまり怖いこと言われると手が震えるんで、無心で行ってください」
そう声をかけるなり、彼女は深く長く息を吐き、その瞳から揺らぎが消える。覚悟を決めるのがここまで早いと、それはそれで怖い。
そんな微妙な恐怖心はまるで無視して、風切り音とともに白銀の刃が振り下ろされる。
金属の棒は難無く切り落とされ、破片が会議室の床を少しだけ転がる。
「うぉ! うおおおっしゃあっ! 斬れたっ!」
謎の雄叫びを上げる秋月さんとは対称的に、小谷さんの表情は凍りついている。
「そ、それは、そのクロムモリブデン匠壱号は私が改良を加えた物……そこらの脆弱なステンレス鋼とは一線を画す物……」
「あ、小谷室長すいませんはしゃいじゃって」
「秋月所長は悪くないですよ。悪いのはこの私の頭、頭、頭が悪いだとぉ……? 石田さぁん、次はこいつ、こいつでどうです?」
なにやら不気味な呟きとともに小谷さんが取り出したのは、ギラギラ光る別の棒。
それを反射したわけでもないだろうけども、眼鏡のレンズが怪しく光る。
「まだ開発中なんですがねぇ……この私が心血を注いだ金剛スーパーなら」
「小谷室長止めたほうがいいです。これマジで斬れます。斬りますよ。プライドごといきますよ」
「ははっ、やってみたらいいですよ秋月さぁん。あんな安物包丁向けと一緒にしないでください」
来いやっ! と意気込み確かに金剛スーパーの棒を構える小谷さん。秋月さんはさっきは両手持ちだったのに、今度は自信満々に片手で構える。
上段から振り下ろされた刃は、容赦なく金剛スーパーを切断した。
「金剛ぉっ! これが……これがサムサンバルなんですね、石田さん」
「そうです。これが作れないと、日本は終わります。作れれば、産業史に名が残ります」
打ちひしがれたスーパーエリート小谷さんは、わたしの言葉にピクリと肩を震わせた。
その手には、綺麗な断面を見せる技術の結晶、金剛スーパー――小谷さんの人生の意義を証明しながらも、サムサンバルに屈した物。
金剛スーパーの輝きは、サムサンバルにも劣らない。それを生み出した小谷さんもまたサラリーマンだが、しかし私とは仕事に対する熱意の種類が、多分違う。
「サムサンバルの製法、教えてください」
この人の名前と仕事は世に残る。
きっと、それが原動力の一つなんだろう。
日本版サムサンバルを開発すればイシュタル達は本来の戦い方ができるし、大量生産すればサムサンバル弾を撃ち出す銃すらもあり得る。
まさしく、世界が称賛する仕事だ。
その裏で多くの人間が話をまとめ、物を運び、検品し、金を支払い、加工しているのだが、それは多分忘れられてしまう。
別に、それでいい。
我々に与えられる最大の褒め言葉は、特に何もなかったね、だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます