第2話 戦姫と魔女と会社員-Ⅱ-
「殺せって、いや、あの」
王女イシュタルとやらは、恥辱にまみれた顔で私を睨みつけている。呆気にとられていると、ローブの女が手を差し伸べて、イシュタルが起き上がるのを助ける。
同時に、気にしないでいいわと言った。
「殿下は天空を支配するブルム王国の誇り高き第一王女で、美しく、武芸に秀で、学問に通じ、芸術を愛する素晴らしいお方。ただ、あまりに
面白いって言ったな。
殿下と呼ぶからには臣下だろうに。
「あの、あなたは」
「あ、ごめんなさい。あたしはナキア。ブルム王国の筆頭魔導師。あなたは?」
「石田
「会社員? 何それ」
「えーっと、武州重機械工業っていう大きな機械を作る集団があって、そこに雇われていて」
「工房の下働きってこと?」
下働き。
工房の、下働き。
違和感はあれど、そうかもしれない。
機械メーカーというのは、複数の工房の集合体と言えなくもない。そんなこと言ったら、経営陣からは怒られそうだけど。
「あなたは工房で何の仕事を?」
「材料になる金属を買ったり、納入に問題があったら対応したり」
「そう。じゃ、あたし達で言うなら
兵站部。これまた物騒で大げさだけど、戦場だの竜王軍だの言っていたから、それが理解しやすい枠組みなのか。
というか、何だ竜王軍って。
強烈な妄想狂だと思いたいけども、彼女が魔法と言ったものは、魔法としか表現できない。
「ところでフミアキ、地図を見せてくれる? 日本ってどこなの」
紙の地図なんてしばらく買っていないから、タブレットで地図アプリを開いて彼女達に見せる。
なんだか驚いた顔をしているが、それは無視して、とりあえず日本の辺りを大きく映してやる。
「殿下、これは」
「大地の国じゃないわね」
「これ、別の世界なんじゃないですか。あらゆる物が違います」
「もしそうなら、驚きね」
「そうですね。しかし、召喚術がある以上、異世界の存在自体は実証されています」
「あの、何の話を」
そう聞きはしたが、だんだんとわかってきている。ただ、頭が理解を拒むのだ。
いや、異世界って、あのさぁ――と。
「ナキアさん、でしたっけ?」
「えぇ。あ、そう畏まらなくていいわ。工房の下働きとはいえ、あなたは異界の人。しばらく付き合ってもらうから、儀礼まで求めない。殿下、よろしいですか?」
誇り高き姫であるらしいイシュタルは、にこやかな笑顔で頷く。しかしまた、このナキアというのは気になることを言う。
「しばらく付き合う?」
「翻訳魔法って複雑だし、長時間かけ続けるから疲れるの。何人もかけられないから、悪いけど、しばらく面倒見てちょうだい」
嫌だなぁとか、面倒だなぁとか、そんな思いが顔に出たのだろうか。彼女はポーチに手を突っ込んだかと思うと、私の手に何かを握らせてくる。
「ほら、ね?」
手を開くと、そこにあったのはいわゆる金貨。
純度や量はわからないが、会社員が手に入れられる物ではなさそうだ。
交渉、というか買収の間、イシュタルはただ微笑んでこちらを見ている。多分、そういう役割分担なんだろう。
「そっちにも、金貨はあるんだ」
「あるわ。そっちにもあるのね」
気がつけば、自然に
さっき殺した、小鬼が臭い。
「ナキア。あれはどうする? 嫌な臭いがする。あと早く拭かないと」
「ちょっと待ってて」
彼女はローブの裾を揺らして歩き、小鬼の血溜まりの前に立つ。ぶつぶつ呪文を唱えると、死体も、血も、青い炎に包まれて消えていく。
不思議と、周りに引火する気配はない。
「フミアキ」
揺らぐ炎を眺めていると、イシュタルがそう呼びかけた。鎧には、まだ青黒い血が付いている。これもまた、あの青い炎で浄化するのか。
「すまないな。我々だけでなく、魔族も連れてきたようだ」
「あの、イシュタル……よくわからないけど、戦争の最中に飛ばされたのか? 軍勢ごと?」
「そうだ。だから、敵も味方も、もっとたくさん来ているかもしれない」
したくない想像だけど、現に小鬼がいた以上、魔族とやらもこの世界に紛れ込んでいるかもしれない。だとすると、何か騒ぎになっていないか。
緊急報道があるかと思って、リモコンを掴んでテレビを点ける。ちょうど、と言うべきか、画面には突如現れた未確認生物と、それによる被害の報道が行われていた。
「それ、遠見の水晶?」
「そんな物かな」
液晶は水晶ではないけども、遠見の、ではある。ちょうど液晶画面に映し出されているのは、淡路島に現れたらしい黒い、巨大な翼竜が、港で暴れている映像だった。
報道を聞く限りは数時間前に現れたらしく、緊急出動した海空の自衛隊が攻撃を加えている。
よくこうしたシーンでは撃つか、撃たないかを巡る政治家の議論が題材になるし、実際にそんなこともあるだろうと思っていた。
だが、出現後数時間で発砲というのは、もはや攻撃を即決したとしか思えない。それか、命令の前に撃ってしまったか。
まあ、相手は人間ではないし、あの根源的な恐怖をもたらす存在を前にして、引き金を引かずに耐えるなんて無理な話だろう。
なにより、目の前で街を破壊しているのだ。
画面を見る限りでは、ミサイル群は近くに群がる小鬼達は殺せるようだが、竜自体はまるで無傷に見える。
「あんな、あんな生き物がいるのか」
「サラムトゥ。あれの鱗は硬くて厚い。あれがいるのはどこ? 遠い?」
「この地図の、ここ。すぐに行ける所じゃない」
多分、あれは直前までイシュタル達が戦っていた敵の一部なんだろう。さっきの笑顔からは想像できない、険しい顔をしている。
私はもう一度画面を見る。
もっと慌てたり、怖がったりしてもいい気がするのに、妙に醒めている。事態があまりにも大きすぎて、処理が追いつかないのだろうか。
繰り返される攻撃。
依然として健在な黒竜。
アナウンサーの言葉通りなら、大小含めて、他にもこんな化け物がいるらしい。
これに、この国は滅ぼされるのか?
ぼんやりとそんなことを考え始める。それが現実味を持った予測になり、背筋が寒くなってきた頃に、画面上ではある変化が起きていた。
上から降るミサイルではなく、下から放たれる何かが黒竜に向かって飛んでいる。
光を反射しながら、放物線を描きながら。
「私の弓兵隊だ!」
「ゆ、弓矢? あの化け物に?」
そんな馬鹿な、と思ってしまうが、彼女達はあれと戦っていたのだ。現に画面の向こうでは、密集して放たれた矢が黒竜に突き刺さり、傷を与えているように見える。
何度か矢と黒竜の吹く火炎との応酬があり、化け物はその翼をはためかせて空へ上がった。
切り替わったニュース画面では、槍を持った男達が、牛頭の大男の屍とともに映し出される。どうやら化け物は、関西と中部に集中して現れているらしい。
そして、槍を持った男達は、多分イシュタルの手下の兵士なんだろう。
「こう分散していては……なんとかして、私の指揮下に置かないと」
外の様子が気になってカーテンを開けると、いつも通りの夕焼けが広がっている。
もしかしたらどこかで恐ろしいことが起きているかもしれないけれど、さっきの竜のような大物は近くにはいないらしい。
「しかし殿下、もう日が暮れます。私が集合用の信号魔法を使ってみますので、後は明日考えてはいかがですか」
「そうだな。フミアキ、何か敷物とか貸してもらえるか? あと、食べ物とか」
「いいんだけど、そんな悠長にしてられるかな」
「多分、大丈夫だ。魔族が集まれば嫌な気配があるが、ここにはない。それに、その水晶板で見る限り、小物ならお前らの軍でも抑えられてる」
彼女がそう話している間に、ニュースの画面が切り替わる。いつの間にかナキアも小鬼の死体の浄化を終え、食い入るようにテレビを見ていた。
画面に映し出されたのは――
天下の名城、姫路城。
「ひ、姫路城だ。なんで」
アナウンサーの口から、ウシュムガルと名乗る存在が姫路城を占拠したことが伝えられる。
そして、ウシュムガルが日本政府に対して、以下の声明を発表したと伝えた。
自分達は別世界で人間至上主義を掲げる王に対し、非人間種族の権利のため立ち上がったこと。
戦闘停止を条件に、住民の避難を認めること。
自分達の目標はイシュタルという人間が率いる軍勢の撃滅であり、それを達成したら元の世界に戻るつもりであること――
イシュタルに求められ、アナウンサーが読み上げたことを彼女に伝える。
「ふん、勝手なことを言ってくれる。フミアキ、あれはお前の国の城か? 堅いのか?」
「昔のお城で今は使ってないけど、まあ、凄く堅いよ。それに大きい」
「時間を稼いで、城に手勢を集めるつもりだな。しかし、一方的に悪者扱いでは分が悪い。フミアキ、この国の王に会いたい。どうすればいい?」
答えに窮していると、さらに画面が切り替わる。普段のイメージからすると驚くべき速さで、首相官邸に特定不明勢力対策本部が置かれたらしい。有益な情報提供のための連絡方法も案内されている。
「まず、あれかな」
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