第3話 任命-Ⅰ-
特定不明勢力対策本部とやらに早速電話をしてみたら、中々繋がらなかった。やっと繋がったと思えば、案の定、電話口の女性の声はかなり混乱していた。
当然と言えば当然だ。
職場はさっきできたばかりの組織で、管轄するものは異世界の化け物だ。
そして、こんな時にも役所に意味不明な電話をする人間は、いる。
電話越しに聞こえる言葉には、思わず同情を覚えてしまった。
「先程も私がイシュタルだとか、イシュタルらしき人物を見たという電話がいくつも。失礼ですが、何か証拠になるような物はございますか?」
「あのー、申し訳ないんですが、例えばWEB会議とか入ってもらうことって可能ですか。見て頂けると早いんですが」
「わかりました。では、会議IDをお伝えしますので、入室をお願いします。お電話は切らずにお待ち下さい」
会議システムをいじっているのか、クリックやタイピングの音が聞こえる。
私は通話しながらパソコンを開き、伝えられた会議IDを打ち込む。
電話の声の主とその上司だろうか、中にはすでに二人の参加者がいた。電話を切って、会議のカメラに顔を映す。
相手もカメラを表示に切り替えて、疲れた顔の若い女と、さらに疲れた顔の中年の男が映し出される。
その後の会話は、随分と不思議なものだった。
パソコンの前にイシュタルとナキアを呼び寄せ、自己紹介をさせる。当然相手は何を言っているかわからないから、私が通訳する。
架空言語ファン、あるいはマイナー言語ができるコスプレイヤーのいたずらと思われては困るから、ナキアにいくつか魔法を使ってもらう。
「石田さん。例えばそのコップの水を凍らせるというのは」
いたずらかどうか、念入りに確認しているのだろう。事前準備なしで、不可思議なことができるのかと。
「ナキア、この水を凍らせるのは」
「できる。待ってて」
彼女がコップに手をかざして呪文を唱え、水が氷へ変わっていく。
言葉を失っている二人に向けてイシュタルが話しだしたから、私がそれを通訳する。
「聞こえるだろうか。迷惑をかけてしまったようで、すまないと思っている。我々はウシュムガルと同じ世界の住人で、ブルムという、天空を統べる王国の者だ。私は第一王女のイシュタル、彼女は王国第一の魔導師ナキア。竜王ウシュムガルの軍勢との戦の最中に、この世界に飛ばされた」
彼女が堂々とした調子で喋ると、頭の中に奔流のように意味が流れ込んでくる。私は置いていかれないように必死になって、彼女が話すそのままの言葉を口にする。
「ウシュムガルはさも道義的な理由で戦を起こしたように語っているが、奴らとて家畜を喰らい、森を切り倒し、人を殺す。まず、私達の戦いは、生存のための闘争だと理解して頂きたい。そして、私を殺せばすぐにあちらに戻るというのは、嘘だ」
「なぜ、そう言い切れるのですか?」
上司だろうか、疲れ切った顔の中年の男がそう問いかける。WEB会議には、長谷川として参加している。
「我々は直前まで戦をしていた。帰り方がわかるなら、軍を集めてすぐあちらに戻り、空になった都を攻めるさ。空間転移の魔法は、思いの外自由が利かないものでね」
「では、我々はあれと戦う他ないと?」
「私としては、ぜひそうして欲しい。軍を率いる身なのでね」
「すぐには受け入れ難いですが、しかし、
無音。
彼らがなんらかの結論を出す間、黙って待つしかない。別にマイクを切って喋っていたっていいのだが、なんだか落ち着かないし、楽しい話題があるわけでもない。
お待たせしましたと、男の声がする。画面には、再び疲れた顔が二つ映る。
「お住まいは立川ですよね? 今から、こちらの前田がお伺いします。交通事情がわかりませんから時間は読めませんが、夜中にはならないかと」
「いらっしゃるんですか? なんか、安全とか、大丈夫ですかね」
「今陸上自衛隊を中心にして、主要な道路の安全を確保しています。前田にも、警護を付けてもらいます。事前にお食事など済ませておいて頂けると助かります」
そんなことを言われた後、細かい住所や連絡先を確認して、担当の彼女を待つことになった。
食事といえば、この珍奇な来客は何を食べるのだろう。
「あの、二人はさ、そのテーブルにあるようなのは食べる?」
「それか? おぉ、見慣れた感じだな。それは鳥の肉だろ? 私もナキアも好きだ」
「足りない分は後で作るから、一緒に食べよう」
「すまないな」
あまり活躍していない来客用のクッションを二人に勧め、ナイフとフォーク、コップを取りにキッチンに向かう。
こんな私でも、万が一に備えて食器は何セットかあるのだ。
冷蔵庫を漁ってみると、ハムの塊があった。多分これも食べるだろう。
一通り持ってリビングに戻ると、イシュタルは鎧を脱いでいる最中だった。ナキアの手伝いで留具が外されて、長袖の白いワンピース姿へと変わっていく。浮き上がる体の線が恐ろしく美しい。
平常心、平常心、平常心。
三回唱えれば、だいたいのことは大丈夫だ。
二人にナイフとフォークを渡し、皿にハムを乗せ、ワインを注いでやる。
なんとなくグラスを持ち上げて二人と目を合わせると、似たような作法があるのか、二人も同じようにグラスを掲げ、三人同時に口をつける。
「美味い酒だなフミアキ、実は貴族か?」
殿下、私めは独身貴族でございます。
笑えない冗談はしまっておいて、気に入ってもらえたなら嬉しいと、至極無難な言葉を返す。
そして空の皿を二人に渡し、一枚しかないチキンソテーをナイフとフォークでざっくり三等分にする。それぞれ自分の皿に一切れずつ持っていったが、なんだろう、ナキアは横目で私の手元を見ている。
私が普段通りナイフで肉を切り、普通にフォークで食べていると、あらぁ殿下、と、楽しげな声が聞こえる。
声につられてイシュタルを見ると、彼女はナイフとフォークで肉を全部切り、切った肉を指でつまんで食べていた。
「フミアキをよくご覧ください殿下。この世界ではこのように、肉はフォークで刺して食べるのがしきたり。それを殿下ともあろうお方が、あぁ! 手で!」
「ぶ、ブルムではお前もそうしてただろ! 肉はフォークで押さえてナイフで切って、手で!」
「私はナイフとフォークが人数分出てきたところで、怪しいと思いましたね。やはりブルムの高貴な血を引く者としては、いついかなる時も美しくあらねば」
「くっ、くぅっ…………くっ!」
「殿下ったら、はしたなぁい」
「くっ! 殺せ!」
羞恥のあまり顔を真っ赤にして騒ぐ王女様と、なにやら興奮気味に小鼻を膨らませる魔法使い。
これは、どういう関係性なんだ。
鼻息の荒くなったイシュタルは深呼吸をしてから、サラダの皿にフォークを伸ばす。名誉挽回といったところか。
しかし、フォークの先に待ち構えるのは、思いの外硬くて丸いひよこ豆。その尖端が皮を貫くことはなく、豆が皿の外にすっとんでいく。
「殿下!」
「くっ、くぅ…………さてはウシュムガルの手の者か! フミアキ!」
「殿下、いかに恥辱のあまり取り乱しているとはいえ、それは無礼に過ぎるかと。それが高貴なお方の振る舞いとは、とてもとても」
「くっ…、うぅ」
「あの、まぁ、食事は楽しくね」
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