イシュタル王女殿下の兵站総監

鯖虎

第1話 戦姫と魔女と会社員-Ⅰ-

 白銀に輝く鎧を身に着けた王女イシュタルは、同じように美しく輝く鱗の翼竜を駆って、天空に浮かぶ島々の間を高速で飛んでいた。

 彼女は迫りくる矢を細長い剣で払いながら飛び回り、将兵に対して矢継ぎ早に指示を出す。

 小振りな兜からこぼれる髪は黒く輝き、琥珀色の瞳は、油断なく周囲を警戒している。

 一通り自軍を巡回した彼女は、雲を突き破って大きな浮き島――本隊が敵と対峙する大カルカル島に向かい、後方の指揮所に降り立った。

「本隊の状況は?」

 彼女がそう問えば、武官の長が駆け寄って、彼女の前に跪いて状況を報告する。

「万全です、殿下。弓兵の働きも期待通り。激戦ですが、槍兵隊も戦列を維持しています。重騎竜兵は、ご下命あらばすぐにでも飛べます」

「よし。ナキア! 呪詛じゅその防御は?」

「完璧です」

 自信満々に答えるのは、褐色の肌に銀髪を伸ばした女。紫のローブに身を包んだ彼女の顔には、余裕の笑みすら浮かんでいる。

「さすがだな、頼もしい。魔導師達も前に出せ。出し惜しみはなしだ。軍団長! 予備の長剣隊も中央に投入、魔導師と連携して突撃。中央を乱したら、重騎竜兵は敵左翼に突撃後、後方を襲撃。ここで一気に叩く!」

 彼女の指示で重装備の軍勢が一斉に動き、土煙が舞い上がる。机に広げた地図に目を落とせば、戦況はまさに理想的。

 鍛え上げた兵達は少しずつ敵の戦列を動揺させていて、機を見て突撃をかければ勝てる。なんといっても自軍にはまだ余力があり、敵は疲弊しているのだ。

 教科書に書かれるような、完璧な勝利。

 それがすぐそこにある、はずだった。





 三連休。

 たまにやってくるそいつは、私のような会社員にとっては素晴らしいものだ。

 学生の頃は、もっとたくさん休みがあった。

 なんなら、大学生の夏休みは史上最高の一ヶ月半を記録したのだ。

 それがどうだ、一ヶ月の休暇など、まるで手に入らなくなってしまった。

 いや、運良く大手メーカーにもぐり込んだ私には、盆と正月に七日だの十日だのの休みがある。

 それは日本では多い方であって、学生に御社の良いところなんぞ聞かれたら、まず稼働日カレンダーを見せる。

 それでも、大学の夏休みを失った悲しみは、絶対に癒せない。

 だからこそ、この三連休――疲れ切った私が、えいやっと有給休暇を使って生み出したこのオアシスが、たまらなく愛おしい。

 愛し合う者がいない私としては、愛おしい日々は、せめて愛おしい物と過ごしたい。

 そんな暇があるなら出会いを求めよというのは、愛される人間の傲慢だ。

 私はこの部屋、この王国で、財宝に囲まれて生きるべき人間なのだ。

 だから私は通販で買ったワインを開け、お気に入りのアニメの劇場版を大画面で見る準備をし、テレビの前のローテーブルに野菜系の惣菜を並べて、主役のチキンソテーを焼いている。

 実にいい夕方だと思う。

 季節がめぐりようやく涼しくなってきたから、窓は開け放っている。風が部屋に入ってくれるから、フライパンを強火にかけても暑くない。

 機嫌よくフライパンを握っていると、破裂音とともに油が襲いかかってくる。

 加熱されて跳ねる油は恐ろしいが、皮をバリバリ言わせてやるためだ。中火でいいという話もあるが、パリパリよりバリバリにするには、これぐらいの方がいい気がする。

 というより、料理してる感があって楽しい。

 しっかりと火が通ったところで、火を消してアルミホイルを肉にかぶせる。

 おまじないレベルかもしれないけども、こうして休ませた方がいいはずだ。

 タイマーをセットして、とりあえずテレビの前に座る。テレビ番組を見ることは減ったけど、大型モニター兼災害時の情報収集用としては、それなりに役に立つ。

 肉を休ませている間に、サラダでも食べてようかな。クッションの上であぐらをかいて、そんなことを考えていた時だった。

 地震――いや、少し揺れたが、何か違う。

 なんだろう、何が異物が入り込んだような、変な感じがする。

 片膝を立てて身構えていると、聞き覚えのない言語とともに、リビングの扉が勢いよく開いた。

 怖い。

 緊張が極限まで高まって、何も考えずにコードレス掃除機を掴んで大剣のように構える。

 混乱の中で目の焦点が侵入者に合わさると、私の混乱はさらに深まった。

 侵入者は女の二人組。

 一人は紫色のローブを纏った、銀の髪に褐色の肌の女。緑色の瞳が妖しい。

 もう一人は色白で、見事な白銀の鎧を着ていて、おまけに剣を持っている。兜からこぼれる黒髪は見事だけども、とにかく鎧の印象が強い。

 コスプレ外国人が、どうして私の家に侵入しているのか。

 何かこっちに向かって叫んでいるが、言っていることがわからない。マ行とラ行がやたら多いが、何語なのか検討もつかない。

 二人とも物凄く美人だけど、緊急事態なのか? 

 変な男にでも追われているのか。

 だからって、侵入していいわけではないけど。

 黙って様子を見ていると、鎧の女の方が剣を床に置いて、両手を上げて見せた。それに応じて私も武器、いや、コードレス掃除機を床に置く。

 するとローブの女が静かに歩いてきて、私の目を見てぶつぶつと呪文のような物を唱えだした。

 薄気味悪いのに、緑の瞳に見つめられると、なぜか目をそらしてはいけない気がしてくる。

 三十秒ぐらいは経っただろうか。彼女はぶつぶつ唱えるのを止めると、疲れた様子で銀色の髪をかきあげた。

「あたしの言葉がわかる?」

「え、え? なんで?」

「あら、わかってるじゃない。ここはどこ? いきなり飛ばされてきて、困ってるの」

 なんだ、これは。

 向こうは明らかに知らない言葉で話しているのに、意味がわかる。不慣れな英語みたいに半ば翻訳しながら聞くのではなく、日本語のように意味が直接流れ込んでくる。

「ねぇちょっと、ねぇ、なに馬鹿みたいに固まってるの。ここはどこ?」

「え、に、日本の、東京の、立川」

 馬鹿と言われた気がするが、そんなことまで気が回らない。

「ニッポン。そう、そういう国なの。初めて聞くわ。ここはどういう街?」

「どういう? えー、あー、東京は日本の首都で、立川はその一部」

「王宮が近くにあるの?」

「王……宮? あ、もっと東に皇居が」

「ブルム王国はどの方角にあるのかしら」

 ブルム? そんな国は知らない。

 英語名と現地語名の違いとかかな。ジャパンはわかるけどニッポンはわからない、みたいな。

「大カルカル島の上にあるんだけど。ここ、もしかして大地の国? 浮き島見たことある?」

「浮き、は? ていうかなんですかこれ。なんで普通に話せてるんですか」

「なんでって、翻訳魔法に決まってるでしょ」

「いや魔法って、いや、うん」

 馬鹿はどっちだと言いたいけれど、魔法じゃなきゃこれはなんだ。催眠術? いや、仮に実在しても、催眠術で通訳はできないと思う。

 しかし、私は極めて常識的な会社員。

 魔法で納得しろと言われても、無理な話だ。

「魔法なんてこの世にないですよ」

「ちょっとふざけないでよ。あ、大地の国ならもしかして、ウシュムガルの支配下? ねぇ、あなたおなじ人間なら協力を」

 そこまで言って、彼女は言葉を止めた。

 多分、私が引きつった顔をしていたからだ。

 混乱と、恐怖のあまり。

 だって彼女の肩越しに、醜い小鬼が見える。

 右手には小さい体に似合わない、禍々しい斧。

「殿下!」

 振り返った彼女がそう叫ぶと、鎧の女は剣を拾い、切っ先を小鬼に向ける。廊下の奥を覗くようにしているのは、敵の数を確認しているのか。

「殿下、敵は奴だけです」

「わかった!」

 言うが早いか、彼女は剣を構えて走り、小鬼が斧を振り下ろす隙も与えずに刃を突き刺す。

 剣を引き抜くと青黒い血がほとばしり、恐ろしい小鬼が肉塊に変わる。

 フローリングに、小鬼の血が広がっていく。

「お見事です」

 そう言われ、鎧の彼女は小さく頷く。腰のポーチから布を取り出して剣を拭き、鞘に納める。

「奴がここに居るということは、やはり戦場で転移魔法陣が暴走したのかと」

「そのようだな。竜王軍と我々、一体どちらか」

「わかりません。ただ、経験の浅い魔導師が何人か酷い間違いを犯せば、こういうことが起きる可能性はあります」

「そうか。こうなった以上は仕方ないな。おい、そこの者」

 鎧の女は私に向けて笑顔を見せる。

「私はブルム王国の第一王女イシュタルだ。竜王ウシュムガルを……」

 歩き出そうとした瞬間、フローリングに広がった血に足を滑らせ、派手に転んだ。

 血が滑るうえに鎧姿は動きにくいのか、ひっくり返った虫のように手足をばたつかせている。

 顔を赤くした彼女は、確かに私の目を見てこう言った。

「くっ……殺せ!」

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