第12話 巨人の再起

 大型観光バスの座席は、一体何年ぶりだろう。

 もしかしたら、高校の修学旅行を最後に乗っていないかもしれない。

 観光バスに乗るといえば、大抵は楽しい用事だろう。少なくとも、私の記憶ではそうだ。

 だがどうしたことか、今日の遠出は、何一つ楽しみじゃない。なんせ小田原――これから最前線になる予定の場所に行くのだ。はしゃぐ要素が何もない。

 思い返すのは、今朝の惨劇の後のこと。

 外で待っていた前田さんが、すぐ家に戻って荷物をまとめて、小田原に行きましょう! と言うではないか。

 溌剌はつらつとした声に釣り合わない、疲れた顔で。

 話を聞いてみると、小田原城の提供は、想像した通り対策本部でも相当に揉めたらしい。

 それはそうだろう。いきなり指定文化財を領地に差し出せと言われて、仕方がないねと言う公務員はいない。

 それでも彼らの前には厳しい現実、日本にある武器で敵を倒すのは困難という事実があった。

 かといって、外国政府が首を突っ込んできて、大量破壊兵器を撃ち込まれてはたまらない。

 竜王軍とやらを比較的安全に殲滅するには、自称ブルム王国軍の活用が不可欠。その一点で、譲歩もやむなしとされたそうだ。

 イシュタルは喜んでいたけれども、私としてはうっわ、城、かぁ……といったところだ。

 自分の家の方が快適に決まっている。天守閣だか櫓だかのクソ寒そうな板の間に、誰が好き好んで住むものか。

 まあ、もう文句を言っても仕方がない。

 自衛隊用トラックでの移動を覚悟していたから、観光バスで行けるだけありがたいと思おう。

 どこからこんな良いものを? と思って前田さんに聞いてみたら、避難支援のおこぼれらしい。

 姫路城に手勢を集めたいウシュムガルが、時間稼ぎに提案した関西と中部の住民の避難。

 敵が軍事的観点から提案したものだとわかってはいても、反対するわけにはいかない。

 反対は、住民の見殺しと同義だからだ。

 だが、住民が各自の車でバラバラに避難すれば、道路は大混雑、駐車場は不足、ガソリン供給は逼迫し、トラブルが無限に湧き出ることが目に見えている。

 というより、現に湧き出ている。

 親戚や友人を頼って、昨日の内に避難を始めた人も多くいる。その車列で、東京方面に向かう車線は大混雑だ。上りの交通は壊滅的だろう。

 だから、対策本部はとにかく日本中の避難所への足としてバスを貸せと、業界団体に申し出た。

 そして、避難者を乗せるため東京から西に向かうバスの何台かは、ブルム王国御一行様を乗せて小田原に寄り道することになったわけだ。

 それにしても、前田さんの顔色が随分と悪い。

 よく考えてみれば特定不明勢力対策本部の仕事は、竜王軍対策だけではなく、避難所、移動手段、支援物資の手配から教育環境の整備まで多岐に渡る。

 彼女の今にも寝る寸前の顔も納得であり、それでもノートパソコンを膝に置き、バスに揺られながら仕事を続ける姿勢には畏敬の念を覚える。

 国民のまともな暮らしは、膨大な事務処理と気の遠くなる調整業務の向うにしかない。

 今は休めないという時も、当然あるだろう。

 反面、休める時に思いっ切り休むのも、有事には必要な才能だ。

 先頭の席に座るイシュタルは、主の特権として隣に人を座らせず、限界まで席を倒して爆睡していた。いびきこそ聞こえないが、明らかに寝息を立てている。

 私の隣、窓際に座るナキアも、寝てはいないが忘我の境地で遠くの雲を眺めている。魔導師というのは相当集中力を使うだろうから、あれだけ戦った後では寝るのも難しいのかもしれない。

 兵士達も疲れて眠り、エンジン音に時々前田さんの溜め息が混ざるぐらいの、静かな車内。

 私も少し寝てようかな、と思っていたら、右の脇腹を突かれる感覚。何かと思えば、ナキアが小声で話しかけてくる。

「ねぇ、これってどうやって動いてるの」

「うん? 何ていうかな、エンジンっていうのがあってね、その中で油を爆発させた力で軸を回して、それで車輪を回すんだ」

「へぇ、爆発。こっちの機械は爆発と電気と、あと何で動くの?」

「他、かぁ……あんまりないかな。昔は水蒸気で機械を動かしてたけどね。今は電気を作る方法が色々あるんだ」

「じゃあ電気と油の文明ね。でもフミアキ、あなた工房の下働きなのに詳しいのね。こっちじゃ徒弟はともかく、他は読み書きだって怪しいわ」

 これまた彼女らしく異世界的、いや、中近世的な感想だ。何となく軍事優先の身分制のニオイを感じていたけど、やっぱり教育はエリート層のものなんだろうか。

 案の定というべきか、小中高大の教育を説明したら、特に義務教育の部分に驚いていた。

 ブルムでは十歳にもなれば立派な働き手、あるいは戦士の卵であり、基本的に高等教育は王族、貴族しか受けられない。

 十五歳まで義務教育、半分以上が二十歳を過ぎても学生なんて、とても信じられないと。

「身分を超えて教育が普及して、優れた人間が上に行く。魔法や獣使いの素質がなくても、大きな力を扱える。凄いわね」

 言葉にした程綺麗な社会でもないけども、ブルムとの対比でいうならそうかもしれない。

 まぁ、凄い凄いというのなら、魔法の方がよほど凄い気がするけれど。なんにせよ、自分の世界から遠い方が、より強い印象を受けるものか。

「魔法がないからね、何か他の力に頼るしかないんだ。大体、魔法ってどんな理屈なの? そっちの方が気になるよ。翻訳魔法だって、なんで僕にかけられて君にかけられないのか不思議だし」

「魔法はね、一言で言えば気へ干渉する技術」

 気への干渉。いきなりわからない。

 呆けているのが顔に出たのか、彼女はより細かい説明を加えてくれた。

 生物か無生物かを問わず、あらゆる物には固有の波動がある。その波動を発する元になるエネルギーを気と呼んでいる。

 自らの気をもって対象物の気に働きかけると、波動の変化で性質が変わったり、力を溜めて大きな波動を放ったりできる。

 呪文はなぜ唱えるかといえば、言葉でもって自分の意識を制御して、思った通りの働きかけをするためらしい。

 さすがに魔法で何でもできるわけではなく、炎が凍ることはないし、水が燃えることもない。だが、人間同士であれば、気を同調させて情報を送り込むことができる。

 そして魔法の素質がない人間相手でも、一方的な働きかけならできる。

「私が使う言葉はあなたの頭に押し込めるけど、あなたの言葉を抜き取ることはできない。だから、私があなたの言葉をわかる魔法はない」

「そういうことかぁ。ちょっとわかったよ。そういえばさ、竜王軍がすぐには向こうに帰れないって、あれ本当なの?」

「本当なのって、あのね……」

「や、魔法で来たのに帰れないって変だなと」

 愚問中の愚問、とでもいうような酷い目つきで見られているけど、気になるんだから仕方ない。

「どこかに歩いて行けたからって、道がわからなきゃ歩いて帰れないでしょ? 大地にも空にも気脈があって、その波動を目印に転移するの。気を放ってブルムの目印になる波動を見つければそれで帰れるけど、見つけるまで魔道師総出で何ヶ月もかかる。それは向うも同じだから、先に戦いを済ませたいの。特に、連中はその間人を食料にするから、危険よ」

 なんでわからないのよ、と言わんばかりに早口で詰められるが、そんなものすぐわかる方が少ないと思う。

 とても彼女を上司には……したくないかな。

「まったく、頭がいいのか悪いのか。教育ってなんなのかしら、意義が見えなくなりそう」

「た、確かに僕は教育の成果物としてはいまいちかもしれないけどさぁ、社会全体のレベル底上げしてるんだから別にいいだろぉ」

「あら、いいこと言うのね」

 彼女の暴論、というか暴言と、私のピントのずれた反論。なんて醜い争いなんだろうか。

 まぁ、最後に褒められたから良しとしよう。それに、くだらないやり取りをしていたら、いい具合に力が抜けてきた。

 もしかしたら、彼女も少し気を抜きたかったのかもしれない。あれだけ激しく戦ったのだから、神経も昂っていただろう。

「なんか眠くなってきたから寝るわ。またこの国のこと教えてね」

「もう三十分ぐらいで着くと思うけど、平気?」

「少し休めればいいの。また後でね」

 予想通りというかなんというか。

 ひとしきり喋って満足したのか、彼女はそれだけ言って窓枠に肘を突き、あっという間に寝入ってしまった。それだけ疲れていたんだろう。

 私は、どうだ。

 試しに目をつぶってみると、薄ぼんやりと非常口の緑、血の赤が混ざりあった、奇妙な光景が脳裏に浮かぶ。

 これがきちんとした輪郭を持ったら、間違いなく不快な映像になる。そう察して、寝るのは諦めて目を開けた。別に思い出したい光景でもない。

 といっても、何か考え事がしたいというわけでもない。前田さんの手助けも、三十分足らずの時間では無理な話。

 ここは潔く、ぼーっとしよう。どうせ小田原についたら山のようにやることがあるのだ。

 そう決めてしまえば後は楽なもの、空に浮かぶ雲の数を数えたり一番大きい雲を探したりして、雑念を追い出していく。

 いつもならデジタル依存の現代人らしくスマホを見るところだが、この疲れを受け止めるのは空ぐらい雄大なものでないとダメだ。

 半分意識が飛んだところで、バスが停まる。

 城の外の駐車場なのだろう、木が邪魔で窓からは天守閣が見えない。それでも、ガラスの向こうの堀と石垣が、私が城にいるのだと理解させる。

 小田原城。

 古くは太閤秀吉の常識を外れた大軍に膝を屈し、それ以来大きな戦に晒されなかった城。

 その開城をもって北条の関東支配の終わり、つまりは戦国時代の終わりを告げた城。

 明治の世にほとんど解体され、震災で更に崩れ落ちた。主要部分は再建されたが、それでも最盛期に比べれば建物があるのはごく一部。

 そんなお前が、今度は日本を守るために使われるなんてな――そんな感傷に浸っていると、私の横に人影があった。その顔は青白く、まったく血の気を感じさせない。

「ひっ、魔族」

「前田です。私明るく元気でさっぱりして見えるかもしれませんが、実は根に持つんで、冗談言う時はよく気をつけてください」

「あ、はい、すいません」

「はい。実は残念なお知らせで」

 前田さんは深く深くため息をついて、バスの中の兵士達をぐるりと見回した。

「物資について色々調整していたのですが、我々の当面の食料がありません。自衛隊も予兆なく大軍を動かす羽目になったうえに、中部、関西から緊急避難した結果、中部方面隊の手持ちはすっからからんです。おまけに避難者の支援業務もあって、後方支援連隊……補給部隊は手一杯です」

 そして、さっきつまらない冗談を言うなと言ったばかりの彼女は、私の目を見据え、真面目くさった顔で敬礼してみせた。

「兵站総監殿。我々の食料を調達願います」

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