第11話 血みどろデパートメント-Ⅳ-

 階段の下の様子を想像して恐怖を膨らませていると、小声で失礼します、と男の声がした。

 多田陸曹といったか、ニシニシ君の上官だ。

「下の様子を窺います。西、行けるか」

 低く抑えた声で上官に問われ、ニシニシ君は緊張した面持ちで黙って頷く。しゃがみ込んで姿勢を低く保ったまま、音を立てずに階段を降り、踊り場に近づく。

 階段の上では、数人の隊員が銃剣を着けた小銃を持ち、すぐ援護に行けるよう身構えている。

 一種の気遣いなのだろうか、イシュタルの兵士達は武器を構えてはいるが、隊員の邪魔にならない所に下がり、静かに様子を見守っている。

 踊り場に辿り着いた彼は、手鏡を取り出して階段付近を映す。地下は非常用照明に切り替わっていて薄暗いが、まるで見えないわけでもない。

 無限の時間――多分実際には一分足らずの確認が終わり、こちらに向けて小さく手を振った。

 多田陸曹は彼に向けて小さく頷き、声を抑えて敵は見えないと言った。

 イシュタルにそれを伝えると、彼女は少し考えるふうにしてから、そちらの隊長の意見を聞こうか、と口にする。

「多田陸曹、殿下が意見を頂きたいと」

「私の? 不要でしょうが、御下問とあらば。数が少ないか、あるいは統制が取れていない相手なら、ガラ空きということもありえます。しかし、先程の戦いを見る限りそれはなさそうです。銃剣と剣士で、奇襲に備えるべきかと」

 その意見をイシュタルに聞かせると、彼女は静かに頷いた。そしてハンドサインで合図を出して、十人の剣士を呼び寄せた。彼らは銃剣を構えた隊員達と共に、静かに階段を降りていく。

 そして、彼らが安全を確認した所で、イシュタルとナキアが歩きだす。二人について階段を降りていくと、薄暗い中に血まみれの和菓子や洋菓子の陳列棚が見える。

 罠を警戒して足元を見れば、床の上にはおびただしい数の赤黒い筋。非常出口、安全な場所に誘導するはずの緑の明かりが、かえってグロテスクな演出を加えている。

 時折けたたましい笑い声が聞こえるのは、菓子が並ぶ区画の向こう側――肉の売り場だ。笑い声にような音がまざり、気味が悪い。

 我々に気が付かず食事を続けているのか、それともあえて音を立てて誘っているのか。邪悪な存在の腹は読めない。いっそこちらから大声でも出せば、少なくとも敵の奇襲のタイミングは崩せるんじゃないか。

 そう思ってイシュタルの横顔を窺ったが、彼女はもう少し近づくことを選んだらしく、沈黙を保ったまま歩を進めていく。敵の姿を捉えていない現状では、そんなリスクは取れないか。

 なるべく広い通路を選んでゆっくりと進み、エスカレーターの下、少し広い所で足を止める。

 そこで、見えてしまった。引き倒された棚の向こうで、精肉売り場のガラスケースが割られ、通路に肉が散乱している。

 その牛や豚や鶏の肉と一緒に、食べやすく解体され、無造作に積み上げられた、見慣れた体。

 見慣れた腕にかぶりつき、血をすすっていた小鬼がこちらを見て笑う。口元が歪み、裂けた口の端から血が溢れる。

 強い酸味が喉奥に上ってきたその時、真っ白な閃光が私の視界を奪う。同時に、強烈な風。

 目眩が収まり視界を取り戻すと、私の周りにはイシュタルとナキア、数人の剣士がいるだけで、他の人間は皆風で遠くに飛ばされていた。

 薄赤い半透明の壁のような、いわゆる結界としか言えないような物が周りを囲み、他の人間達と隔離されたようだ。

 そして、その結界の中にはトカゲ人間や小鬼達、そして頭一つ大きい、二本の長刀を持ったトカゲ人間がいた。いや、トカゲというにはあまりに禍々しい。

 は砂色の鱗を持ち、目の上や頭の後ろに角を生やし、白目のない硬質な黒い眼球はどこを見ているかよくわからない。

 ナキアが即座にいくつもの雷を放つが、それの眼の前に半透明の小さな壁がいくつも現れ、雷をを受け止める。

「イシュタル、待っていたぞ。ここで死ね」

 歯の隙間から空気を漏らしながら、確かにそれはそう言った。上位の魔族は交渉や恐喝のために人語を話す。これがその実例か。

「生きていたか、イムシュフ。今度は殺す」

 殺意を表明するだけの、最低限の言葉。

「軍才のあるお前も、結界の中で囲まれたらどうしようもないだろう。指揮官として優秀でも、しょせんは人間だ。どうだ? 剣を折り跪くなら、戦術の教官として」

 それ――イムシュフの言葉を遮るように、ナキアの雷が数匹の小鬼をほふる。同時に、剣士達はナキアと私を守るように囲み、イシュタルは右腰に提げた短剣を抜き、長剣と共に二刀流に構えた。

 長駆のイムシュフは、双刀を振り上げて突っ込んでくる。果敢に足を踏み出して立ち向かうは、白銀の鎧を纏う姫君。親玉に呼応して攻め寄せる敵はナキアが雷で対応し、なお近づいてくる分を剣士達で片付ける。

 ナキアが的確な攻撃で足止めしてくれるから、一度に寄せてくる敵の数は限られ、剣士の戦線は崩れない。

 だが、前に踏み出し、イムシュフと剣を交えるイシュタルのもとに駆けつける余裕は、ない。

 それでも、だ。

 化け物と一人で対峙する彼女の表情は見えないが、一歩も引かずに剣を振るうその背からは、気弱さなんて微塵も感じられない。

 共に在れ。

 共に戦え。

 共に死ね。

 無言の背中がそう語る。

 戦士達は皆それに応える。

 攻めに出るという点では、上背があり、長刀を二本持ったイムシュフの方が有利なようだ。イシュタルは短剣で敵の刃を巧みに受け流しつつ、細かな動きで長剣を何度も突き出している。

 二人とも激しく刃を打ち合っているが、大振りな動きはない。隙を見せれば、すぐさま切っ先を突き立てられるのだろう。お互いに決めの一撃を望みながらも、微妙な駆け引きが続いていく。

 結界の外では、数の上で有利なイシュタルの兵士達が化け物どもを殺していく。このまま粘り続ければ、外の魔導師が結界を壊して、一気に敵を囲んで押し潰せるかもしれない。

 しかし、その結界の中では敵の数は圧倒的で、立て続けに魔法を放つナキアは息が上がり、額に汗を浮かべ始めている。

 イシュタルはイムシュフと見事に渡り合っているが、他の敵に手を回す余裕はない。ナキアや剣士達がへばるのが早ければ、戦線は崩壊し、皆囲まれて殺される。

 何か、誰か何かできないか。

 一瞬でもイムシュフの動きに隙ができれば、きっとイシュタルは奴を刺し殺す。

 誰か。誰か。

 そんな風に念じてみても、ナキアも剣士達も目の前の敵で手一杯。結界の外の味方も、こちら側には干渉できない。そもそも彼らも戦いの中だ。 

 この場で手が空いているのは――

 いや、この期に及んで誰かぁ、と言ってるようでは、組織人失格だろう。

 忙しい振り、できない振りは、会社員として恥ずべき行為。私から最も遠い行為。そんなことをしてはいけない。できる。やれる。何かある。

 さいは投げられた!

 仕事の時間だ!

 とにかく勢いのある言葉を流し込んで、怯えて竦んだ脳を動かす。誰も私の身体になんて期待してない。死んだ魔族の剣を拾っても、何の役にも立てられない。

 大声を上げ、剣を振りかざしたところで、敵は何も感じない。剣技は彼らにとって身近な物で、一目見れば私が素人だとわかるだろう。

 強い光? そんな光源は持ってない。

 だが、そうだ。そういう発想だ。

 例えイムシュフが動じなくても、手下連中に隙ができれば、ナキアの力を奴に向けて使える。

「ナキア、そのまま聞いてくれ」

 小声でそう声をかけると、彼女は一瞬だけ横目で私を見て、すぐに足止めの攻撃に戻る。

「これから大きな音を出す。敵の動きが少しでも止まったら、イムシュフを攻撃して隙を作ってくれないか」

 彼女はまたちらりと私を見て、無言で頷く。

 その口は、ひたすらに呪文を唱えている。

 イシュタルにも事前に伝えたい。しかし、彼女にそんな余裕はないし、大声でこれから仕掛けますよ、と敵の眼の前で話す馬鹿はいないだろう。

 信じる他ない――彼女はきっと対応できると。

 さて、最低限の根回しの後は、行動あるのみ。

 目を潰すような閃光や、耳をつんざくような音は出せない。それでも、彼らにとって異質であれば、多少は気が引けるだろう。

 スマートフォンを取り出し、音量を最大に。

 アラーム設定の画面を開き、ゲームさながらの警報音を選択する。想像以上の爆音で、ビービーと電子的なブザー音が空気の層を震わせる。

 その異様な音に、イムシュフ、イシュタル、小物の魔族達も、瞬間的に注意を奪われる。

 その刹那、ナキアはいくつもの尖った氷の欠片を生み出した。石礫いしつぶてのように放たれたそれはイムシュフの鱗を貫き、肉に突き刺さる。そして刺さった氷片を狙って放たれたのは、無数の電光。

 奴の血の成分なんて知らないが、大量の体液が氷片に付着し、体の中と外を繋いでいるのだ。

 きっと、電気がよく通る。

 一瞬激しく痙攣し、動きを止めたイムシュフ。

 その意識の空白を逃さず、イシュタルは長剣を敵の喉に深く突き刺す。剣を抜けば、鱗に覆われた長躯はゆらりと揺れ、うなだれるように跪く。

 囚人が、執行人の斧を待つように。

 イシュタルは短剣を投げ捨て、長剣を両手に構え直して振り上げた。

 戦姫の振り下ろす刃が鱗に覆われた皮膚を裂き、頸椎を砕き、大量の青黒い血と共に醜悪な頭部が斬り落とされる。

 千切れた筋肉がびくびくと震え、首の断面からは行き場を失った体液の川。

 結界が消え、外からの援軍が得られるようになったが、それはすでに無用の物。恐慌状態に陥った魔族の群れは、反撃を恐れて逃げようとする。

 しかし、逃走など叶わぬ夢。

 邪鬼を待ち受けるのは、琥珀の目をした天上の支配者。白銀の鎧を返り血で青黒く染め上げた彼女は、笑うでもなく、怒りを表すでもなく、淡々と敵を殺していく。

 そのあまりの見事さに戦士達は心を震わせ、我先にと獲物を狩りに行く。繰り広げられるのは、先程の苦戦が嘘に見える一方的な殺戮劇。

 最後の一匹に彼女が刃を突き立て、兵士達から歓声が上がる。

 興奮が渦巻く中、彼女は積み上げられた人間の死体を一瞥し、初めて悲しそうな顔を見せた。

 敵を倒して、ようやく人として当たり前の顔を見せた。脅威を排除し、ゆっくりと感傷に浸る時間ができてからやっと。

 そこで私は思い至る。

 感情を押し殺し、義務を見定め、自ら範を示し、人を従わせる。そのための仮面を被り、人並みに喜んだり悲しんだりするのは一番最後。

 そう、最後は悲しんだ。

 彼女は冷徹でも非情でもない。

 必要が、彼女を支配者にしたのだと。

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