第10話 血みどろデパートメント-Ⅲ-

「はっはっは!」

 突如訪れた暗闇。

 化け物じみた、いや、化け物が発した奇声。

 剣戟。

 そこに混ざる高笑い。人間の、女の声。

 部屋は暗いが入口からの光が届くから、声の主の姿は見分けられる。

 美しい黒髪が揺れるのが見える。

「照らせ!」

 高笑いと共に命令を下すイシュタルの側で、ナキアが早口で何か呟く。すると、彼女の手から光り輝く球体が現れて宙に浮き、闇を払う。照らし出されたのは、短剣を構えた数十匹の小鬼ども。

 売り場の影に隠れていたか。人間の返り血で汚れた奴らからは、とても強く人間の臭いがする。

 微かな風切り音。

 視界の端には回転しながら飛んでくるナイフ。

 イシュタルめがけて飛ぶそれは、側面警戒の剣士に払い落とされる。次の瞬間、むざむざ姿を晒してナイフを投げた小鬼の体に、何本もの矢が突き刺さる。

「思った通り、連中の常套手段だ。次! 挟み打ち来るぞ! 弓兵一番隊は前、三番隊は後ろ、二番四番は左右に備えろ!」

 命令通り弓兵が矢をつがえた直後、通路の前後に小鬼の群れが湧いて出る。

「一番三番放てぇ!」

 前後の群れの出現から少し遅れて、左右に馬のような何かに跨り、槍を手にしたトカゲ人間が何匹も現れる。前後の群れの対応に気を取られていたら、とても対処が間に合わない。矢を全部放っていたら、番え直して狙いをつける時間がない。

 だから、わざと少しだけ遅れるのか。

 そして、だからイシュタルは弓兵の半分にしか弓を放たせなかったのか。

「二番四番放てぇ! 槍兵は騎兵に備えろ! 弓兵はとにかく放て」

 騎乗したトカゲに矢が撃ち込まれ、槍兵が左右に分かれて小さいながらも槍衾やりぶすまを作る。槍兵がいなくなり、前方が手薄になる。

 そこに、イシュタルが躍り出る。

 いくらか部品を外しているとはいえ、鎧を着ているとは思えない速さ。疾風迅雷の四文字は、まさに今、この瞬間にこそふさわしい。

 踊るように四匹五匹と小鬼を斬り、剣を横に構えて守りの姿勢を見せた者には、それをかいくぐって突きを喰らわせる。

 刺し殺した小鬼を蹴り、勢いよく屍肉から剣を引き抜く。高く振り上げたその剣で、別の小鬼の首を切り落とす。

 その戦い振りに呆気に取られていると、今度はすぐ隣で、物凄い熱と激しい光が生じる。

 正体は、ナキアと魔導師達が放った大量の雷。

 それは矢に気を取られた騎兵を直撃し、瞬間的ではあるが動きを止める。そこに槍兵が一気に距離を詰め、鎧を避けて槍を突き刺す。獣の背から落ちた騎手も、倒れた獣も、喉や心臓を狙って何度も刺す。

 さっきと同じだ。

 弓矢で牽制、敵が近づいたら矢に紛れた雷で動きを止め、刃物でもって確実に殺す。

 これを一つのパッケージとして、何度も訓練したのだろう。途中からは、イシュタルの指示がなくとも皆無言で連携していた。

 隊列正面に視線を戻した瞬間、白刃が煌めき、最後の小鬼の首が飛び、黒髪が揺れた。奇襲を仕掛けてきた一群は、今の小鬼で最後だ。

 わずか数分。その間に魔物が何匹死んだのか。

 人は、死んでいないのか。

 イシュタルの戦い振りや雷の派手な光で気が紛れていたのが、静けさを取り戻したせいで、今さらのように恐怖が体中に充満する。背筋が寒い。手が震える。なんだか息苦しい。魔族とやらの血の臭いが、鼻の奥にこびりつく。

 人の血と、酸味を持った腐臭を放つ魔族の血の気色の悪い混合物。

 怖い。

「おいフミアキ」

 私のそんな様子にはまるで構わず、イシュタルは剣に付いた血を拭きながら私を呼ぶ。

「ここは何階建てなんだ? 地下はあるのか?」

 上に八階、地下に一階と答えると、中に何があるのかと聞いてくる。

「上は服とか家具とか食器の店とレストランで、下は食べ物とお酒だね」

「そうか。人は? いつも混んでいるのか?」

「混んでるよ。だから、不思議なんだ、その」

 ここに人の死体が転がっていないのが――それは、そんな言葉は、口にしたくない。

「死体がないな。奥か? いや、食料が下にあるなら、そこだろうな」

 彼女は当然のように恐ろしく、気味の悪いことを平気で言う。戦に浸った世界で死に慣れきっているのか。それとも、ブルムの王族として気にかけることが多すぎて、他国の、それも異世界の市民の死などには興味がないのか。

「食料があるなら下って、なんで」

「食料はまとめて保管するだろ。連中からすれば、我々が狩った獣や鳥を保管するのと同じだ」

「よくそんなことを平気で」

「お前らのためだ。ウシュムガルや一部の連中は知能が高いし、交渉のために人間の言葉を話す。だが、大抵の奴は殺して食うことしか頭にない」

 彼女は周りの様子を窺いながら、これは大事なことだと言って話し続ける。

 琥珀色の瞳はどこまでも透明で、冷徹なのか、人の死を悼んでいるのか、それともなんらかの憎しみを持っているのか、まるで読み取れない。

「地上にキ=バライという国があった。豊かな国だったが、連中が交渉できる相手だと信じ、城門を開き、滅んだ。連中は人の言葉を使い、道徳を語り、短期的には約束も守る。だが信じるな。それをわかって欲しい。そこを間違えると、滅ぶ」

 死ぬではなく、滅ぶ。

 個人の死ではなく、国家や民族の滅亡。

 これが、彼女の目線――冷めた瞳の正体か。

 彼女が生き死にを語る時、その目は一人一人の顔も名前も見ていないのだ。

 とても共感はできない。

 それでも、立場を想像すれば理解はできる。

 支配者として彼女が発した、冷たくて、強烈な言葉。それを飲み下そうと反芻していると、彼女はふいと横を向いてしまう。

 奥の様子を調べに行った兵の方を見ているのか、視線が注がれる先は遠いようだ。

 視線を辿ると、剣士が上下の階に繋がるエスカレーターの奥を覗き込んでいた。

 毒蛇に似た、黒地に目立つ黄色の線。すっかり動きを止めたそれは、ただの歩き難い階段だ。

「あれは……狭いな。二列ずつではダメだ、危険すぎる。フミアキ、広い階段はないのか?」

「あぁ、えっと、向こうの奥の方にあるよ」

「わかった。ま、とにかく連中が人間をどう扱うかわかればいいんだ。広い階段に行こう。悪いが、お前らの兵に階段の見張りを頼めないか? 挟み撃ちは困るからな」

 そう言えば、伝令として自衛隊からも数人ついて来ていたんだった。イシュタルの奇襲への対応があまりにも見事で、銃声はただの一つも聞こえていない。

 ニシニシ君――流れで随行メンバーに入れられた気の毒な二等陸士は、少しばかり顔色が悪い。

 他の隊員はどうかと思ったら、皆なんだかうつむきがちだ。私より理不尽や非常事態には慣れていそうな気がするが、どうしたことか。

 まぁ、もしかしたら私はやれ魔族だ竜王だ天空の戦士だと、そんな意味不明な物に馴染むのが得意なのかもしれない。

 ファンタジー作品に触れてきたからではない。

 機械メーカーの事務系総合職、いわゆるサラリーマンという生き物だからだ。

 大学の文系学部を出て、大して興味のない機械のメーカーに入り、会計、下請法、樹脂、電気、金属の大量の専門用語、それも企業方言と言うべき、他社では通じない言葉も含めて触れてきた。

 そして、取引先として大は従業員数万人のグローバル企業から、小は家族経営の町工場まで――

つまり、ネクタイの値段で私のスーツが買えそうな営業さんから、ヤクザと区別がつかない工場長まで、まったく違う文化に適合してきた。

 かたやカタカナビジネス用語と難解な理屈を振り回し、かたや物を頼む態度や製造工程の理解度合い、製造現場への気の遣い方で人を見る。

 そして私の職場では、不正防止のために数年で担当が変わる。難解な用語や異質な文化に慣れた頃には別の世界。

 戸惑いはあるが仕方がない。会社員なんてそんなものだ。資材部の石田という言葉が、私の世界を規定するのだ。

 そして、異世界のブルム王国のイシュタル王女殿下が弓、槍、剣に魔法使いの軍勢を率いて竜王軍を倒しに行く。敵には竜や小鬼やトカゲ人間や、その他見たことのない化け物がいる。

 少しは戸惑うが、それも仕方ない。

 だって、王女殿下の兵站総監だから。

 どんな突拍子もない出来事でも、と受け止める準備ができている。その点、彼らより少しは恵まれているかもしれない。

「西さん」

「はっ」

 青白い顔のニシニシ君は、それでもつわものらしくキレのある返事をする。というか、畏まり過ぎな気がする。敬礼までされては少し困る。

「そんな堅くしないでも」

「いえ、他国の兵站総監殿となると、階級は遥かに上ですので。それで、ご要件は」

「ん、なるほど……まぁ、わかりました。敵は地下にいる可能性が高いようです。我々は下に降りますが、もし上から敵が来たらすぐ引き返せるように、監視と連絡の体制を」

「了解。階段とエスカレーターの監視と、緊急時の通信の体制を構築します」

 スムーズな協力に感謝しつつ、イシュタル達と一緒に前に進む。

 ナキアの魔法で照らされているとはいえ、敵がどこに隠れているかわからない以上、前進は慎重なものだった。前後左右、そして上と足元。全方向を警戒しながら、フロアの端に辿り着く。

 そして、地下へと続く階段。手すり越しにその下を覗いた時、ぞくり、と悪寒が走った。

 食料品売り場、あの賑やかで楽しいはずの場所に繋がる階段からは、例の嫌な臭いが立ち上り、明らかに人とは違う笑い声が聞こえてくる。

 そして白い階段には何本も何本も、血まみれの何かを引きずったような跡が残されていた。

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