第9話 血みどろデパートメント-Ⅱ-
「ふん。敵か、フミアキ」
私と前田さんとニシニシ君。
平和な国の民の視線に気が付いたイシュタルは、当然のように敵と言った。
「大軍の気配は感じないが、小さい集団ならいてもおかしくはない。近いのか?」
「ここから二十分ぐらいだ。街の中、大きな建物の中にいる」
「二十分? 我々の時間と同じかな」
「ええと、一日の七十二分の一」
「同じだな。わかった、近いな」
敵がいる。
恐らく大軍ではない。
そして近い。
そこまでわかれば十分といった感じで、イシュタルは兵に向けて声を張り上げる。
「戦友諸君! 残念ながら詳しい説明をする時間はないが、戦だ。ここから歩いて二十分の所に敵がいる。町中で、どこぞの建物に立て籠もっているらしい。他の連中との合流を許さず、孤立している内にこれを叩く。私が装備を整える間に、そこの広場に整列しておけ。慣れない土地だが怯えるなよ? この国の兵どもに、我らの強さを見せつけてやれ! 以上!」
彼女がそう告げるやいなや、兵達はその全てで一つの生き物であるかのように整然と動き出し、イシュタルは兵の様子など確認するまでもないと、振り返りもせず部屋に戻る。
兵達は訓練され、彼女はそれを信頼している。
向こうは軍隊で、私のようなサラリーマンがいるのは営利団体。表層的には違うものだけど、組織であることは変わりない。
イシュタルの心の底は読み取れないが、少なくとも私の立場、つまり兵士の立場からすれば、彼女の信頼を示す態度は嬉しいと思う。
彼女の口から出る主たるもの、という言葉も、空虚なものではないようだ。
階段を降りる兵士達を見送りながら部屋に入ると、イシュタルはすでにコートを脱いでいて、ナキアが鎧を着る手伝いをしていた。
「フミアキ。悪いが、お前も来てくれるか? お前の国の兵と連携しないといけないからな」
彼女にそう聞かれて、ちょっと驚く。てっきり問答無用で来いと言われると思っていた。
「行くよ。なんというか、他人事じゃない」
「そうか。よかった。私の側にいろ、必ず守る」
側にいろ。お前のことは必ず守る。よもやこんなことを実際に言われる日が来ようとは。
面白がっている場合ではないのだけども、自分の中の冷めた部分――多分パニックに陥らないための防御的な何かが、そんなくだらないことを考えている。
さて、彼女は鎧を来ているが、私も何か装備する物はあっただろうか。
身の安全を守る物。頭を巡らせて思いついたのは、休み明けの取引先訪問に備えて持ち帰っていたヘルメット。会社支給品の業務外利用は感心しないが、安全第一、致し方なしだ。
サラリーマン特有の能力、万が一何かあった時のためのコンプライアンスセンサーが働いた結果、社名が書いてある所はマスキングテープを貼って隠した。これで他人に見られても大丈夫だ。
他に何かと考えて、護身用にならないかと包丁をイシュタルに見せる。
「それじゃダメだ。
万一の時、という言葉にちょっとだけ怖くなったのを察したのか、ナキアが笑顔で私の肩に手を置いた。
「大丈夫。最悪あたしが遠くに飛ばしてあげる」
それもかえって怖い気もする。なんというか、彼女が言うと気遣っているのか脅して遊んでいるのかわからない。
水を飲んで気持ちを落ち着けていると、イシュタルの支度ができた。白銀の鎧と丸みのある小さな兜、左の腰に片手でも扱えそうな細長い直剣を提げ、右の腰には短剣を提げている。
なんとなく、昨日とは印象が違う。よく見ると胸や肩はほぼ完全に鎧に覆われているが、腕のカバーは外していて、下半身はワンピースの上から長めの腰当てを垂らしているだけだ。
「あれ、昨日してた脚のやつは?」
「外した。竜に跨るならあれでいいが、歩きではちょっとな」
確かに、あれでは何かに足を取られたらすぐ転びそうだし、転んで起き上がるのも一苦労だ。
「ナキア、フミアキ、用意はいいな? 行くぞ」
イシュタルが行くぞと言えば、ナキアが早足で玄関に向かい、ドアを開いて待っている。どれだけ軽口を叩いても、やはり主と臣下なのか。
イシュタルに続いて廊下に出ると、すでに兵士達の姿はなくなっていた。下を見下ろすと、部隊毎にきっちりと整列している。一つの塊が十人ぐらいで、やっぱり百人以上いそうだ。
私はつい浮足立って小走りしたくなるが、イシュタルの堂々とした歩きを見て思いとどまった。
すでに兵站総監と名乗ってしまったからには、下に居並ぶ兵士達に、少しでも不安を感じさせてはいけないのだ。
先頭に立ったイシュタルは、一言、行くぞ、とだけ言った。それを合図に、皆整然と歩きだす。
日本には似つかわしくない音、行進の足音と金具の音だけが空に消えていった。
辿り着いた駅前のデパートは、異様な空気に包まれていた。道路を挟んで向こう、大通りに面した入口の前には戦闘服の自衛隊員が待機し、装甲車まで出てきている。少し離れて、救急車も停まっている。
何よりも異様なのは、入口の前に居並ぶ鎧姿の化け物だ。トカゲと人を混ぜたような気持ちの悪い身体で、細長い刀や弓矢を持っている。
これが二十匹ぐらいの塊で出入り口の所にいて、その前にはソファやテーブルでバリケードが築かれている。
多分、家具売り場から持ってきたんだろう。
入口を塞ぎ、鎧を着た者が警戒し、機を窺う。
いかにも知性がありそうで、つまりは狡猾な罠でも張っていそうで、とても嫌な感じがする。
「おいフミアキ、向こうの兵達に道を開けて、上に気をつけろと伝えられるか?」
「え?」
「いいから」
突然の指示に戸惑いながらも、ニシニシ君の方を見る。アパートを警備していた部隊の一部も一緒に来ているから、無線の連絡はできるはずだ。
「連中が気づく前に仕掛ける。早くしろ」
気がつけば、今まで縦長の隊列で歩いていた兵士達が横長の列に並び直していた。
ニシニシ君に事情を伝えると、すぐに通信兵が無線を手に取る。
「警備班より中隊、弓矢による射撃の後歩兵が突入する。総員直ちに散開のうえ上方注意。繰り返す、総員直ちに散開のうえ上方注意」
通信の直後、入口を塞いでいた部隊が慌ただしく動き始め、人の壁が左右に割れる。
「構え! 放て!」
それと同時にイシュタルが叫び、数十本の矢がトカゲ人間の鎧や皮膚に突き刺さる。同時に、魔導師達が放った雷が化け物の身体を走る。
「次、構え! 放て! かかれぇ!」
矢傷を負い、感電のショックが残る敵に向け、六十人近い兵士達が武器を手に襲いかかる。まず横一列に並んだ槍兵が突っ込み、バリケード越しに届く範囲で槍を突き刺す。
剣士達が後を追ってソファやテーブルを乗り越え、乱戦に持ち込む。
数はこちらの方が多いから、後から障壁の中に入った槍兵は間合いを取って横や後ろに回り込み、守りの薄い足を狙うことに徹している。
突撃から三分も経たずに、入口の化け物どもはただの肉の塊になった。剣士の何人かが入口側の安全を確認し、大きく手を振っている。
その合図を確認したイシュタルは、弓兵と魔導師を引き連れて入口へ向かっていく。彼女の後ろについて歩くと、両側から物凄い量の視線が向けられているのを感じる。
まあ、なんなんだ、とは思うだろう。
不気味な生き物。
現代兵器が効かない鎧。
そこに現れた古風な剣、槍、弓矢に魔法使いの集団。それが瞬く間に敵を倒してしまったのだから、驚きも疑いもするだろう。
これは本当に現実なのかと。
入口に近づくと、あの嫌な匂いが鼻を突く。
地面に敷かれた大理石風のタイルを見ると、青黒い血が水たまりのように広がっていた。
色も匂いも人間の物とは違うが、それでも、それが血なのだと理解ができる。血を見ることで、コレも一応実在する生き物なのかと認識できる。
それぐらい、眼の前の光景は現実――今まで普通だと思っていた世界のあり方とは違っていた。
「剣士の内二隊は前衛、残りの二隊は後方と側面の警戒。一隊に一人魔導師をつけろ。槍兵はその後ろで横一列に固まれ。弓兵は二隊ずつ私の左右を進め。フミアキ、お前らの兵は二百人近くいたな。警戒や怪我人の搬送に少し借りられないか」
「わかった、頼んでくる」
「まあ、生き残りはあまり期待できないが、な」
そう言って、イシュタルは左腰に提げた剣を引き抜いた。豪勢なデパートのエントランスからは、生ぬるい空気が吐き出されていた。
デパートに踏み込んで数分、隊列を組んで広い通路を慎重に進んだが、敵も人も見当たらない。
入口すぐの化粧品売り場のあたりは、想像と違っていつもとあまり変わらなかった。棚が倒れたり商品が床に散らばったりはしているけど、怪我人がたくさんいるとか、死体が転がっているとか、そういう想像からはかけ離れている。
それなのに、この強い臭いはなんだ。血の臭い、嗅ぎ慣れた臭いがすぐ近くにある。
死体がないのに、人の血の臭いが近い。
その意味する所に血の気が引いた刹那、照明が落ち、部屋は明るさを失った。
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