第8話 血みどろデパートメント-Ⅰ-
イシュタルの部下らしき人物が大勢いる。
ニシニシ君は確かにそう言った。
しかし、だ。
現代日本で生きていて、大勢の来客と聞いてイメージするのは五人、六人、せいぜい十人と、そんなものではないだろうか。
イベント運営や飲食店、小売店の仕事をしてれば違うかもしれないが、少なくとも私はそうだ。
それがどうした、玄関のドアを開けてみたら、体を鍛え上げた男達が何十人、下手をすれば百人以上いるではないか。
部下らしき、という言い方も少し気になっていたが、見れば納得、どう見ても部下らしい。なぜならば、革と金属の鎧を着て、槍や弓矢を持っているからだ。
魔導師らしき緩やかなローブを着た人もいて、その中には女もいたが、やはり圧倒的に男臭い。
「殿下は本当にここにおられるのか?」
「集合魔法はここから感じた。ナキア様が共におられるのでは」
「確かに奥から強い気が。おい、誰だあいつは」
「弱そうだな」
「こっちの緑の服のはいい身体だぞ」
わらわらと集まった男達は、ざわざわと勝手なことを言う。とりあえず、ここはイシュタルの指示を伝えて鎮まってもらおう。
王女殿下からは、フミアキも威厳を保て、と難しいことを言われている。なんともやりにくい話だが、上司兼現場の要請である。
だから、私は精一杯に背筋を伸ばす。
見た目をカッチリとさせるために、わざわざジャケットまで羽織ってネクタイもしてきた。
「総員傾聴! 日本国におけるイシュタル殿下の兵站総監及び司厨長、イシダフミアキである!」
私の言葉は、彼らにも問題なく通じたらしい。
皆呆気に取られてこちらを見ている。こんな大勢の武装した男に凝視されると、中々怖い。
お前が兵站総監? 嘘つけ! とか言われたらどうしよう。
「おい、あいつなんで言葉が通じるんだ」
「魔法では? やはりナキア様が」
「兵站総監だと」
「総監とは、まさか」
「いやしかし」
ざわ、ざわ、ざわ。
これでは威厳もクソもない。
「鎮まれい! これより、イシュタル殿下がお姿を見せられる。姿勢を正せ!」
イシュタルの名が出た瞬間、彼らはピタリと大人しくなる。
虎の威を借る狐のようでみっともない限りだが、大抵のサラリーマンは会社の看板を振り回して戦うものであり、他人の権威を借りるのは当然のこと。
抵抗などまるで感じない。
というより、看板に傷をつけず、看板に相応しく振る舞うことが大切だ。
まあ、そんな事はいい。それより仕事だ。
この屈強な兵達の前にイシュタルが姿を表す。
その瞬間をしっかりと演出し、彼女の威厳を最大限に高めねばならない。よくわからない世界に飛ばされ、迷い、恐れる兵の統率のために。
兵士達が皆背筋を伸ばして姿勢を正しているのを確認し、インターフォンを押す。
何をやってるんだ、馬鹿なんじゃないかとも思うが、彼らはこれが何なのか知らないし、ドア越しに叫んで聞こえなかったら困るからと、イシュタルに命じられたのだ。
インターフォンからは、ナキアが小声で返事をするのが聞こえる。
「兵の支度が整った」
支度といってもちょっと姿勢をよくしただけだが、とにかく兵達が私に注意を向け、儀式的な手順を踏み、王女殿下が厳かに現れるのが大事だ。
節目の儀式には、
新年の社長やら工場長やらの挨拶、あるいは期初の会議での上司の訓示――ボーナス支給に比べれば鼻くそ程の効果もないアレだと思えば、集める、静める、現れるの三点セットは慣れたもの。
ドアノブがガチャリと音を立てると、直立不動の兵士達の視線がそこに集まる。ゆっくりとドアが開き、豪奢な紫のローブに身を包んだナキアが姿を見せる。
安堵や畏敬の念が、兵から漏れる。
身分も高くイシュタルに近い人物の登場で、やっと安心できたというところか。
「イシュタル殿下のお成りである」
彼女が廊下に出てドアを開けたまま支え、後から黒衣に身を包んだ姫君――私の黒いトレンチコートを着たイシュタルが歩み出る。黒髪と黒衣の狭間で、琥珀色の瞳が鋭く光る。
「皆苦労であった! 長い道のりだっただろう」
美しい黒髪と叡智を
鎧の下に着る白いワンピース一枚だった彼女は、思いの外早い部下の到着を喜びながらも困惑していた。どうもそのワンピースは、人前に出るには少しみっともない物らしい。
しかし、鎧を着るにも時間がかかるし、転移の時に荷物があちこちに行ってしまって、普段着ている上着がない。
困った彼女は殿下らしく毅然とした態度で、兵站総監として上着をなんとかせよ、とお命じになったのだ。
引っ張り出したコートはさすがにジャストフィットとはいかなかったが、裾が多少長いのは問題ないし、折り返した袖からは裏地の黒とグレーのチェックが覗いて、ちょっと格好いい。
そもそも、昔の偉い人の服は余るほど布を使うのが良かったりする。ブルム人も余るほどに袖があるのカッコイイ! となるかもしれない。
コートやジャケットは肩幅が合うかで見栄えが変わるが、スポーツというスポーツを避けてきた私の服は、細身だが剣を振るい続けた彼女の身体に合っていた。
「ウシュムガルはこの国の西に陣取り、我々とこの国の民を害そうとしている。だが案ずるな。このフミアキの他にもう一人、レイという者がついている。これは、この国の王の役人だ」
レイ、前田さんのことだ。ブルムではあまり名字を呼ぶ習慣がないのか、イシュタルの口からはイシダもマエダも聞こえてこない。
どの街の誰とか、誰の子供の誰、みたいな名乗りなのかもしれない。
「どうやらこの国の王は、ウシュムガルと戦うために兵を出すつもりらしい。我々と共にだ。そこの緑の服の男を見ろ。見事な規律だろう? 見知らぬ土地だが、兵は鍛えられ、廷臣は礼節を知っている。戦友諸君! 竜王の首を土産にブルムに帰るぞ!」
おおう、と沸き立つ兵達。
暑苦しさと勢いに気圧される私。
直立不動のニシニシ君。
ニシニシ君はイシュタルの言葉は一言もわからなくとも、兵士達の同業として、なんとなく言っていることはわかったりするのだろうか。
それとも、単に空気を読んで大人しくしているだけだろうか。
そんなことを考えていると、イカつい兵達の向こう、廊下の端に、前田さんの顔が見えた。少しは男の群れに面食らってもよさそうなのに、逆にそれを掻き分けながら走ってくる。
「石田さん!」
「ど、どうしたんですか、こんなに早く」
「伊勢島屋……駅前の伊勢島屋デパートが、魔族に占拠されました!」
「そんな! 立川駐屯地の近くじゃないですか! 一体、いや……」
一体なぜ。
そんなことは、向こうが一番知りたいだろう。
第一、竜王軍はまだ各地に散らばった軍勢を集めている途中で、魔族達がどこに散らばっているかはわからないのだ。
昨日の時点で東京の主要道路は確保と聞いていたけども、慎重な誰かが魔族を率いていて、狡猾に隠れていれば発見は難しいはず。
「練馬から急行した第一師団の一部が、伊勢島屋を包囲してます。敵の数は多くないんですが、弾が鎧を破れなくて、それで」
息を切らせて喋る前田さんは、そこで一旦言葉を止める。だが、続きは言わなくてもわかる。
私と彼女とニシニシ君。
三人の視線が注がれる先は誰か?
それは、考えるまでもない問いだった。
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