第7話 朝食と会社員的行動原理

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 咽返むせかえるような血の臭い。

 嫌だ。

 臭い。

 怖い。

 人間ならそう思うだろう。

 想像して、共感する生き物だから。

 そこで起きたことを想像し、惨劇に見舞われた人の気持を想像し、追体験してしまうから。

 それならば、この臭くて惨めで悲しい場所で、笑いながら闊歩して死体をかじる、この者どもはなんだろう。

 愉悦に満ちた瞳で屍肉を眺め、口元を歪めて笑う者どもはなんだろう。

 少なくとも、それは人間ではない。

 血塗られた壁は赤黒く、床には棚から落ちた商品が散らばり、その上に人だったモノが転がっている。そこには、化け物を恐れて蛆も湧かない。

 この光景を見れば、地獄絵図を描いた画家達は皆一様に恥じるだろう。

 己の想像力は、足りなかったと。

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 寝不足である。

 なんだかんだと言ってはみても、いつ魔物が襲ってくるかわからないのは、やっぱり怖い。

 十一時過ぎには布団に入っていたと思うけど、寝ついたのは多分三時過ぎだ。そして案の定眠りは浅く、七時過ぎには起きてしまった。

 普段なら、寝間着のまま冷蔵庫から冷えた水を出して、リビングで飲むのがルーチンだ。

 しかし、今朝はイシュタルとナキアがいる。

 寝床に関しては、臣下ではなく家主として扱われたらしく、ベッドをよこせと言われることは無かった。

 基準がよくわからないが、まぁ自分の家でベッドを取り上げられるよりは良い。

 リビングには立派な布団など無いが、二人とも野宿よりかなり快適だと言って、床にバスタオルをしき、クッションを枕にして眠ってくれた。

 そんな友人の部屋に泊まり込んだ学生のような境遇とは言え、二人は異界の上流階級、寝間着のままは気が引ける。

 とりあえず襟の付いた青いシャツとチノパンに着替えてリビングに行くと、二人とも起きて――

 テレビを見ていた。

 画面に映るニュース番組では、緊迫した顔のアナウンサーが、姫路城の方面に大型の魔物が移動していると言っている。

「フミアキ! 何を言ってるかわからん!」

「ウシュムガル以外の単語はさっぱり。当たり前だけど、全然わからない言葉ね」

「あの、電源入れられたの?」

 試しにそう聞いてみると、イシュタルが自信満々に当然だ! と答えた。

 心なしか、ナキアの顔が楽しそうだ。

「なんだか違う機械が色々動いたわ」

 彼女の言葉に不安を覚えながら周りを見ると、確かにエアコンからは温風が吹き出し、オレンジ色に調整していた照明は白く輝き、サーキュレーターは元気よく羽を回している。

 一体何が……と恐れてみたが、この程度なら実害はないと言っていい。

「殿下、水晶板で違うものを見る時は」

「私を試すか、ナキア。なに、さっき覚えたばかりだ、忘れはせんよ」

 イシュタルがふん、と小鼻を鳴らしてリモコンをいじると、テレビの音量が急激に上がる。

「くっ、貴様ぁ!」

 近所迷惑になるといけないので、リモコンを取り上げて音量を下げる。ついでにエアコンとサーキュレーターの電源を切り、リモコンを元の位置に戻す。照明の色は、朝だし白でいいや。

 イシュタルの頬は本日一番目の恥辱によって、新鮮な果実のように赤く染まっている。

 その様子を見て思い出すのは昨日の夜、教える側からシャワー関係の使い方を覚えたナキアと、冷たい! 今度は熱い! と叫んだ彼女の対比。

 どうやら、小難しい操作を覚えるのはナキアの方が得意みたいだ。

「魔法無しでここまでの文明を築いたことは称賛に値するが、もっと直感的に使えるようにだな」

 まさか異界の姫から直感的に操作可能なユーザーインターフェースだなんて、大手電気メーカーのような言葉が聞けるとは。

「確かにね、こっちでも間違える人はいるよ」

 それは主にご老人方の話だが、余計なことを言う必要はない。朝食は? と聞くといると言うので、薄めにスライスされたフランスパン――古くなったちょっと安いやつをトースターにセットし、キッチンに行って冷蔵庫から卵を取り出す。

 正直米の方が安くて助かるのだが、まずは確実に食べられそうな物を出すのが優しさだろう。

 好きでこちら来たわけでは、ないのだから。

 さて、パンは今焼かれており、これからまさにオムレツを焼かんとしている。ついでに電気ケトルでお湯も沸かしている。

 大変立派な朝食だが、問題はそのお湯を何に使うかだ。

 飯を用意してやってるのだから、黙って出された物を飲め、というのも一つの考え方だろう。

 だがしかし――他人から見ればアホそのものだろうが、兵站総監の肩書・・は存外に私の自己認識アイデンティティを規定していた。

 つまり、大学を卒業した私が「武州重機械工業の社員」という社会的なラベルを手に入れ、標準的な振る舞いの社会人になったのと同じことだ。

 ましてや、社員番号20559資材部の石田の仕事は製造現場が何を欲しいのか確認して、納期と数が間に合うようにすること。

 イシュタルは王女。

 私は王女殿下の兵站総監。

 兵站総監は、軍が必要なものを揃える仕事。

 戦う王女であるイシュタルとは上司であり、現場でもある。それが何を、いつ、どれぐらい欲しいのかは、無視できる問題ではない。

 まぁ、普通の仕事であれば、何・いつ・何個はすでに決まっているものだけど。

 王女殿下は異世界生まれ異世界育ちで、朝は何を飲んでいますかと質問したって、多分その答えは理解できない。だから、自分で考えるのだ。

 選択肢は、コーヒーと紅茶が数種類ずつ。

 失敗とは、彼女にとって不味いこと。

 成功とは、今日のところは失敗しないこと。

 この身に染み付いた会社員的発想に従うと、極端に味や香りの強い物は候補外だ。

 なぜか?

 そうした方が、リスクが極めて低いからだ。

 彼女は普通に水を飲むから、味が薄い方向なら仮に喜ばなくても怒りはしない。ハイリスク・ハイリターンのスリルは、我々のような工場側の人間にはいらないのだ。

 品質と納期とコストの調和。

 これが我々の美学である。

 ということで、コーヒーと紅茶なら、今朝は紅茶の方が適切な気がする。

 紅茶と言っても色々あるけども……この家には大量生産、安定品質、安定価格――失敗から最も遠い存在のセイロンティーがある。

 まずは、これだろう。

 作業が決まれば、後はやるだけ。

 兵站総監の仕事かどうかは怪しいが、とにかく私はダンドリの鬼と化し、お湯で温めたティーポットに茶葉と熱湯を入れ、火に掛けたフライパンにバターを入れ、それが溶けている間に卵を混ぜ、煙を立てるフライパンに投入する。

 まずまずの品質のオムレツを三個焼き終えると、紅茶の蒸らし時間もいい具合。

 実に完璧な朝食だ。

 サラリーマンいい感じの朝食コンテストがあったら、多分全国上位だ。

 できたての朝食をリビングに運んでいくと、オムレツは彼女達の理解が及ぶ食べ物だったようで、素直に喜んでくれた。

 というより、イシュタルは卵が好きらしい。

「うぉ? フミアキィ! 見たことないぐらいにとろとろだな!」

 オムレツをナイフで切るなり、イシュタルは満面の笑みを浮かべる。どうやら王女殿下にもご満足頂けたようだ。

「兵站総監より司厨長の方がよかったのでは」

「しかし昨日任命したばかりだしなぁ」

 貴人二人の会話をよそに、私はとろとろのオムレツをパンに乗せてかじりつく。

 フランスパンのガリガリとした歯ごたえとトロトロの卵、パンの香ばしさとバターの香りというのは、特に理解しやすい幸せの一つだと思う。

「お前そんな、はしたなっ、はしたないマネを! いや、しかし……ナキアぁ!」

 ナキアは美味そうと見るや早速真似するが、どうやらブルムのテーブルマナーからはかけ離れた行いらしい。

 日本でも、決して上品ではないだろうけど。

 どこにいても体面を守るようしつけられているのか、イシュタルはもの凄くためらっている。

 お姫様も苦労が多そうだ。

「そう仰らずに。美味しいのが一番です。さあ殿下、さあさあ」

 この筆頭魔導師様が異界の美味を主君と分かち合おうとしているのか、主君のはしたない様を見たいのかは、外から見てもわからない。

 それでも部下が熱心に勧めていることには変わらず、イシュタルはためらいがちにフォークで卵をすくい、パンに乗せて、それをかじる。

 無言のまま手に持ったパンを食べ終えて、ゆっくりとした手つきで紅茶を一口飲む。

 彼女は目を閉じて紅茶を飲み込み、満足そうに深く、大きく息をする。そして目をかっと見開いて、私に指を突きつける。

「司厨長! 兼任!」

「あ、待ってください殿下。兵站総監と司厨長兼任だと、私よりちょっと給料多くないですか? え、やだ」

「決めたことだ」

 役職、給料、実に気になる話だ。

 魔導師は素質がないとなれず、とても強い。

 筆頭魔導師というと給料が高そうだけど、それを超えてしまうのか。

「あの、イシュタル。司厨長って給料高いの?」

「命を預ける仕事だからな。戦争だけが戦いじゃない、謀略は常に渦巻いている」

 おっ、なんだか異世界っぽいぞ、なんて気楽な感想を持ってしまったが、面白くなさそうな顔のナキアが少し怖い。

 この感じの彼女の相手するの嫌だなぁ、前田さん早く来ないかなぁ、と思った所で思わぬ来客。

 インターフォンから、若い男の声が聞こえる。

「警備担当の西二士にしです」

 ニシニシってなんだ、と思ったところで、西二等陸士・・・・かと思い至る。昔で言う二等兵。いきなりこんな事態になって、中々大変だろう。

「あの、イシュタル王女殿下の部下らしき方が」

「来てるんですか?」

「はい、それも大勢」

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