第27話 凍てつく雷光

 槍兵、槍兵、槍兵、槍兵、また槍兵。

 長槍を担いだ集団が歩くと、ちょっとした林が動いているように見える。時々槍に王家の旗を付けた兵がいて、白竜を描いた青い旗が、薄灰色の曇天に映える。

 天守閣前の本丸広場に続々と兵が集まる様は、まさに時代劇そのもの。

 三十年ぐらいの人生で何度か小田原城を見学したが、今までで一番城っぽい眺めだ。

 最初に門を通って広場に入ったのが槍兵で、それに弓兵が続き、次に布の服に短剣の軽装の兵、最後に長剣を背負った兵が続く。

 整列した兵達の先頭に立つのは、渋い銀色の胴鎧に白マント、小振りな兜に白い尾羽を立てた小柄な老人。隣にはダチョウをいかつくしたような、謎の大きい鳥を従えている。

 男は天守の前に立つイシュタルに跪き、しゃがれた声を張り上げる。

「殿下ぁ! このアダプ、近隣の兵を取りまとめて参りましたぁ! 到着が遅くなり、誠にもうしわけございませぬっ!」

「よく来たアダプ! よく生きて、皆をまとめてくれたな」

 ははー、と頭を下げるこの御老体こそブルムの軍団長、イシュタルと各隊長達の間に立ち、軍の統率を円滑にしてきた男だという。

 ちなみに、イシュタルによれば、軍団長、兵站総監、ついでに魔導師長も同格だそうだ。

 兵站総監は軍団長の下だと思っていたけども、どうやらこの序列は、ブルムの地理が影響して決まったらしい。

 というのも、空中群島国家ブルムの物流は竜に依存していて、大地の国よりも制約が大きい。

 そして、浮島の国々で争っていた時代は、敵地を占領してもろくに畑もない島の可能性があり、略奪を前提にした戦いは難しかった。

 だから兵站を無視した作戦は成り立たず、伝統的に兵站総監の意見は尊重されてきた。

 責任が重い! と思っても、なってしまったものは仕方がない。それに、周囲から軽んじられながら物集めをするよりマシである。

 だが、やはりだ。

 それにしてもなぁ、同格かぁ……なんてためらいが生まれるぐらいには歳上だ。

 薄い褐色の肌、細く角張った顔に白い口ヒゲが蓄えられ、アゴヒゲもわしゃわしゃ。細長い鼻に、今にも眠りそうな細い目。

 いかにも御老体なその顔と、立ち姿の、しゃんと伸びた背筋のギャップが凄い。

「アダプ。お前に紹介する者がいる。この国で新たに任命した兵站総監にして司厨長、タチカワのブシュー工房の仕入れ担当のフミアキだ」

 長い。

 そして、石田要素は無視。

 やっぱりどこの街の何の仕事の誰、という名乗りなのか。

 は立川ではなく府中にあるのだが、それは些末な問題だ。もしかすると、ブルムでは長距離の通勤は存在しないのかもしれない。

 タチカワのフミアキの職場なら、それはタチカワにあるのが普通なのだ、多分。

「兵站総監に司厨長とは……なるほど、殿下はその者にお命を託されたのですな」

「いかにも。ナキアの魔法で言葉は通じるようにしてある。異界の者ゆえ、礼儀は問うな」

「畏まりました、殿下」

 そう言ってゆっくりと立ち上がったアダプは、ほぼ閉じかけの細い目を私に向けた。

 どことなくヨボヨボしていて、棒きれが鎧を着てるようにすら見えるが、それにしては物凄い安定感だ。

 それに、なにやら厳格そうなオーラがある。

「フミャキとやら。兵站総監は軍の要。矢が尽き、腹を空かした兵は戦えん。よろしく頼むぞ」

 フミアキがフミャキになってしまったが、老齢だし呼び慣れぬ異人の名だし、仕方がない。

「よろしくお願いします。あの、後で大量のテントと寝具が届くんですけど、設置を兵にやってもらっても?」

「無論。補給隊の人手でこなせる量ではない」

「ありがとうございます。やり方を覚えた兵がいるので、説明してもらいます」

「わかった。私の分も頼んでおこう」

 とんとん拍子で話が進むが、ここで一瞬立ち止まる。これから寒くなる一方なわけで、この御老体の寝場所は気遣いが必要そうだ。

 というよりも、身分でいえば天守五階で寝るべきなんじゃないのか。

「あの、一応殿下と魔導師長と私は天守……この塔の上の階で寝てるんですけど」

「んん? うぅん……いやぁ、ま、私は兵の近くにいる。常在戦場だ」

 なんだか格好良いポリシーが出てきたが、それにしてはもごもごとして勢いがない。長旅で疲れているのだろうか。

 考えてみれば、イシュタルやナキアは食事も寝床もしっかりしていたが、他の人は手持ちの食料と、あまり考えたくはないがもしかすると畑の作物を食べ、寝るのは野宿だろう。

 今すぐ横になりたいだろうに、主君と兵の手前威儀を正しているのだ。

 とりあえず折りたたみイスを持ってきて、彼の分だけでも食べる物を用意しよう。丁度イシュタル、ナキアと話し始めたから、今の内だ。

 補給隊のテントに行って事情を話し、ドライフルーツ入りの小さいパンを一つ受け取る。

 担当の補給兵は、パン一個でも真面目に帳簿に記録していて、大変素晴らしい。ついでに、木のカップに湯冷ましを入れてもらう。

 茶だのコーヒーだの言っていては、出すのに時間がかかる。さっさと出せる物がいい。

 両手が塞がってしまったから、担当の兵にテント内のイスを一つ持ってもらって天守前に戻る。

 丁度イシュタルとナキアが天守の中に戻るところだったから、兵にイスをアダプの近くに置いてもらって、水とパンを差し出した。

「軍団長、こちらを。お疲れでしょう」

「うむ。助かる」

 威厳たっぷりに答えたアダプは、ゆっくりと腰を下ろし、椅子を運んでいた兵に礼を言った。

「ありがとう。それじゃ、持ち場に戻ってね」

 胸に右手を当てるブルム式敬礼をして、兵はテントに戻っていく。水とパンを受け取ったアダプは、大口を開けてパンにかぶりつき、よく噛んでから飲み込んだ。

 そして、勢いよく水を一口。

「あぁ、ふぅっ……疲れた」

 疲れた、というその声は随分と小声で、私だけに聞こえるぐらいの音量。

「やっぱりお疲れですか」

「そりゃなぁ。しかしだ。将たるもの、あまり疲れただの腹が減っただのとは言えん。お前の話は殿下から聞いた。尊厳保つのも楽じゃないだろ」

「そうですね。中々、皆さんのようには」

「頭の良し悪し、腕の良し悪しとはまた違うものだからな。後あれだ、そんなに畏まって話さなくていい。殿下にもナキアにも、そんな風にはしとらんのだろ」

「え、まぁ……歳があまりに上なので」

「殿下と同じか、殿下よりぞんざいでないと私がやりにくいのだ」

 言われてみれば、確かに身分はイシュタルの方が遥かに上なわけで、おかしな話ではある。

 今更二人への接し方を変えるのも面倒だ。

 そしてイシュタルにタメ口なら、アダプにもタメ口が筋なのだ。見るからに、めちゃくちゃおじいちゃんだから、やりにくいけど。

「悪い気はせんのだが、まあ微妙なところがあるのだ。わかってくれ。そもそも同格だしな」

「そういうなら、それで……それ美味しいの?」

「悪くないぞ。ほれ」

 かじりついたのと反対側をちぎって渡されたから、摘んで口に放り込む。

 強いて言えばブドウやナシに近いようなドライフルーツの味と、ライ麦パンに似た強い香りにわずかな酸味がある。

 パンとしてはかなり硬いが、保存食としてのビスケット――いわゆる乾パンと比べれば、柔らかくて美味しい。

「うん。結構美味しいね」

 保存性は劣っていそうだけど、軍隊の保存食としてはどうなんだろうか。

 そこまで長期の保存は考えていないのか、それとも時間とともにもっと乾燥して、保存性を増していくのか。

「もうしばらく経つと、えらい硬くなるんだ。そうなったらスープに浸すか、細かく割って豆なんかと一緒に煮て食う」

 固くなったパンの処遇は違和感ゼロ。

 やはり世界が変わっても、環境と食糧事情が似ていれば、食事の仕方も似てくるらしい。

「なんか、似てるね。こっちの世界もそういうのあるよ」

「そうかそうか。それは結構だ。戦場で食い物が合わないと悲惨だからな。昔辺境の賊を叩きに行った時、思いがけず戦闘が長引いて現地の野菜と硬いパンを煮たんだが、これが異様に辛くて酸味があってな、あれは不味かった……土地の人間は豆と煮てたんだけどなぁ」

 よほどトラウマになっているのか、アダプは何度かいやぁ、とか辛かった、とか独り言を口にしてから、残りのパンを食べきった。

 多分アダプも色々と仕事があるだろうから、私も戻ってイモと燃料の発注をするかなぁ、なんて考えていると、御老体はまだ何やら言いたげな顔で、私の方を見ているではないか。

「あの、何か」

「いやなんというか、殿下とナキアと同室で暮らして、怖いとか気が張るとかないのか?」

「え、ナキアも? 確かに魔導師達は皆ちょっと怖がってる気はするけど、僕は別に」

「そうかぁ、フミャキは心臓が強いな。ナキアにはな、二つ名がある。どんなのだと思う?」

 二つ名。

 少年達の永遠の憧れじゃないか。

 さて、二つ名を新しく付けるとなれば楽しい遊びだが、予測するのは難しい。まずブルム人のセンスがよくわからない。

 エルルが自動車で暴走する前田さんをと評した辺り、とにかく強そうなのが好きなんだろうが。

「ちょっと、わからないな」

「教えてやろう。てつく雷光だ」

「いて、凍てつく雷光?」

 何だそれは。

 超カッコイイじゃないか。

 凍てつく雷光。この二つ名をメディアで公開したら、全国の中高生から熱狂的な支持を得られるはずだ。

 一体何をしたらそんなカッコイイ二つ名が与えられるのか。

「それはやっぱり、氷と雷の魔法が得意だから、とか?」

「それもあるが……うん、フミャキよ。俺が言ったとか、余計なことを喋るなよ?」

 アダプは注意深く左右を見渡すと、ゆっくりと立ち上がり、内緒話と言わんばかりに私に顔を近づけた。

「怒らせるともう死ぬほど怖くて、その場が凍りつくからだ」

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