第28話 ドラゴンおせんべい
「とにかく爬虫類のエサがいるんです! ありったけをすぐに!」
「またですか!」
電話口のホームセンターの人は半ば悲鳴を上げているが、構っていられない。
「ブルム王国軍兵站総監として、特定不明勢力対策本部の許可を得てお願いしています! 外務省と国防省案件ですよ!」
「なんでウチにかけてくるんですかぁ……」
「メーカーに聞いたら御社に売約済みだって泣かれたからですよ! もう、これがないと戦えないんです、なんとかお願いします!」
「ほ、本社に確認じまずぅ……あのぉ、ご連絡はいつまでに」
「一時間以内にお願いしますっ!」
はいぃ……と消え入りそうな声とともに電話が切られ、私は大きくため息をつく。
ことの発端は、ナキアの凍てつく雷光なる二つ名を知った直後、前田さんがもたらした急報だ。
東方戦役の第一段階であるイージス作戦として、まずはイシュタルを目標に東進するとおもわれる竜王軍に対し、強固な防衛線を構築する必要がある。
ここまでは、なんとなく予想していた。
ブルム王国軍と東部、北部方面隊で構成し、主力として東海道から山梨をふさぐA集団。
長野、北陸を封鎖するB集団。
岡山を中心に配置して、敵の姫路城からの西進を防ぐC集団。
この三グループに分かれた内、我らがA集団が防衛線を構築するのは富士川――富士山の南に位置する、静岡県富士市を南北に流れる川。
これもいい。
地図を見るとこの辺りは見事に一本道で、迂回が難しく、ベストな選択肢に見える。小田原城からは六十キロ程度の位置で、徒歩の軍隊でも、二日あれば移動できる距離だ。
悪くない。
問題は、思っていた以上に竜が大食いなこと。
竜は本来省エネな生き物で、普段大人しく過ごすことで狩りの回数を減らしているらしい。
そうでないと、巨体を維持できないのだ。
しかし、人間に使役されている竜は、よく動き、よく食べる。というより、人間が安定して食事を提供したからこそ、竜を使役できている。
竜王ウシュムガルが姫路城を根拠地にしている以上、戦いが順調に進めば戦線は西に進む。だからといって、あまりに細かく本拠地を移すと、必要以上に手間がかかり、ブルム軍は疲弊する。
なにより、いちいち必要物資の調達先を切り替えるのは、無理だ。
だから小田原城を中心にしたサプライチェーンを作り、城に物資を集め、補給隊の竜に運ばせるつもりでいた。
それがエサ不足により、早速崩壊の危機。
防衛線作りに時間の余裕なんてないから、さっさとなんとかしなければならない。
凍ったネズミやミミズ系のエサは、仮に大量の冷凍庫があっても電源が取れないから使えない。
溶けたら嫌だ。
毎日定期的に魔導師に凍らせるというのも、戦闘が激しくなったら無理だろう。
困った末に電話したホームセンターも心もとないとなると、いよいよ手を打たないといけない。
「渋い顔だなフミアキ。どうした」
「ちょっと、竜のエサが足りなくて……ブルムだといつもどうしてたの?」
「今みたいに戦線が動かない時は、とにかくかき集めてたな。肉だけじゃなくて骨も食うし、野菜クズ、よくわからん草、もう色々だ。キノコも大体は平気だ」
話を聞く限り、竜は人間以上に雑食らしい。
肉をひたすら調達するのは難しいから助かるけど、なんだかイメージと違うガッカリ感がある。
「なんか、本当になんでも食べるんだね。日本だとなんだろう、竜っていうと獰猛で、肉食のイメージがあるけど、違うの?」
「愚問だぞフミアキ。それは魔物寄りの竜だ。考えてもみろ、お前それを飼い慣らして背中に乗ろうとか、荷物を運ばせようとか思うか?」
「うん、ごめん」
魔物寄りの竜、とはこれまた理解がしにくいワードだが、まあ家畜と獣というか、ブタとイノシシ、イヌとオオカミみたいなものか。
きっとイシュタル達が乗り回している竜は、大人しくて雑食の竜を選んで、何百世代も交配し続けた結果なんだろう。
「この国にだって、人が食べない草とかあるだろう? 獣が食う物は、竜も食うと思え」
「ううん、まあ、うん」
これはもう、竜のエサのために近くの山をハゲさせる覚悟が必要だろうか。
悪い方でニュースになるぞ。数十年後の現代社会の教科書に、小田原の山がハゲた原因として乗るぞ。
ここは覚悟を!
いや、その前に……
「ど、ドラゴン応援キャンペーン? いきなりなんですか石田さん。こう見えて私……いや、見るからに忙しそうですよね私」
「あ、いや、真面目な話です」
思いがけず怒らせてしまったが、確かにあれは、間が悪かった。
電話をしながら急ぎ足で五階に上がってきた前田さんが、電話を切り、ノートパソコンを開き、スリープからの復帰の遅さに
「本当にぃ?」
「もちろんですよ。あのぅ、竜のエサが足りなくて、輸送も戦闘も続けられないんですよ」
「えっ、えっ、ヤバいじゃないですか」
「ヤバいんですよ。なんで、打開策の相談です」
「聞かせてください」
「国民の皆さんに、ドラゴンおせんべいを作ってもらいます」
前田さんの相づちはなく、彼女は黙って栄養ドリンクのフタを開けて一気に飲み干し、ドンッと音を立ててテーブルに置いた。
「石田さん失礼ですけど、話す順番が悪い、とか言われたことありません?」
「うっ……たまに」
「たまに? うん、まぁ……はい、どうぞ。私の呼吸は整いました」
彼女の話しぶりは、それはそれはストレスの蓄積と爆発を感じさせる恐ろしいもの。
簡潔かつ丁寧に説明しないと、余計な怒りを買いそうだ。
「実は竜はかなりの雑食で、本当に何でも食べるんですけど、その分必要とするカロリーも多いんですよ。で、魔族の死体は供給不安定なんですけど、ずっとエサを買い続けるとあっという間に予算が尽きるんですね。まず、物が足りない。かといって、野山を荒らし回るわけにもいかない」
「そうですね」
「そこで、店や家庭の料理で余る材料を中心にエサを作ってもらって、竜の写真とか、そういうのと引き換えに送ってもらえないかなと」
「なるほど。その、余る材料を潰して練ったりして、おせんべいみたいに焼いて保存食に?」
「そうです。国交省で郵便や大手陸運のトラックを雇い上げたって聞いたんで、輸送にはそれを使えるかなと。で、親しみやすい名前を……」
石田さぁん、という呆れた声に、深い深いため息が続く。
「最初っからその順番で言ってくださいよ。なんか、怒っちゃったじゃないですか」
「いやぁ、すいません」
キャッチーなワードから先に言った方がいいんじゃないかと思ったが、興味を引くより、怒らせてしまった。
会社じゃ大丈夫なんだけどなぁ……と思った所で気がつくのは、公私の境目。
なんといおうか、この天守五階はもはや生活空間で、ここでのことは仕事ではなく、半分私事になっているのだ。
前田さんは公務の延長だけど、私の場合はまったく仕事と関係ない。
「石田さん? なんか、ボケっとしてますけど、大丈夫ですか? これいります?」
差し出された栄養ドリンクは、前田さんがごっそりと買い込んできた物。
公務の延長とは言ったけども、この人もかなりキツい役回りを当てられたとは思う。
それでも、とにかく働いている。
「大丈夫です」
「そうですか。ちなみに、私は全然大丈夫じゃないです。石田さん、今ってすぐに処理する仕事ってあります? ちょっと、一時間ぐらい」
「今のところは電話一件受けるだけですね。どうしたんですか?」
「密談しましょう」
そうして連れて行かれた先は、城の近くの喫茶店だった。ただし、軽食が充実しており、かつビールなんかも置いてあるタイプの店だ。
「開いててよかったー。ねー石田さん、ビール飲みますよね? 私奢りますよ」
「え、まぁ……ありがとうございます」
前田さんが開いててよかったと言ったけど、本当にまあ、その通りだ。
一応竜王軍の勢力圏は関西、中部に留まっているが、やはり不安というか緊張というか、そいうものが世の中を覆っている。
その中で、こうして憩いの場を提供してくれることは、ありがたい。
平日の、お昼時も過ぎた時間帯。
客は私と前田さんだけで、店内に流れるジャズピアノのBGMがよく聞こえる。
地元のクラフトビールの瓶に口をつけると、苦みを含んだ軽い味わいが鼻に抜けていく。それとともに、どっと疲れが押し寄せる。
「あぁ……疲れましたね」
「ね、本当に」
前田さんはぐっと一口ビールを飲むと、右手の親指こめかみをグリグリと押し始めた。
よっぽど疲れているのだろう、ひたすら無言でグリグリしている。
「あの、大丈夫……じゃないですよね。何か、手伝えることはありますか?」
すると、前田さんはふひゅう、となんとも言えない音で空気を吐き出した。
「なんか、公務員でも、民間人でもない人ってことで石田さんにめっちゃ愚痴言うぞー、ってつもりで来たんですけどね。なんか、顔見てたらどうでもよくなりました」
「え、なんでですか」
「顔色、悪いですよ。気づいてないんですか?」
「いやぁ、自分じゃ中々」
一応寝てるし、食事も取ってるしなぁ、と思いながら、こめかみや肩の辺りを揉んでみる。
何の気なしにそうしてみたけども、いざ触ってみると恐ろしく固く、いかにも血行が悪くなっていそうだった。
「うわ、あぁ、これは」
無心でグリグリと押していると、何が面白いのか、前田さんはふふっ、と小さく笑う。
「石田さんって今、何で頑張ってます? 責任感とかですか?」
いきなりの、思ってもない質問。
とりあえずビールを一口飲んでみる。前田さんは、何も言わずに私を見ている。
ぼんやりと浮かぶ答えは、一つだけ。
「まぁ、兵站総監なんで」
「うん? うぅん、それでいけます?」
「何もできなくてただ不安になるより、いいのかなって。なんか、肩書き付けてもらって、それの仕事してる方が落ちくんですよ」
「なるほど。それなら少し、わかります」
前田さんはまた一口飲んで、頬杖を突いて窓の外に目を向けた。さあ私はストレスを溜め込んでいるぞ、話を聞け! というポーズであることはわかるが、残念ながらどう語りかけるか、という答えは持っていない。
結果として、なんとも間抜けな面構えで前田さんの顔を眺めることになる。
「石田さん、もしかして今、すごい私に気を遣おうとしてます?」
「してますねぇ。さあ来い、愚痴を聞き出せっていうポーズだな、と思ってます。議論とかアドバイスじゃなくて、共感する方のやつ」
「鋭いなぁ。でもね、私も大変だけど、石田さんの方こそ完全に巻き添えで、それでも頑張ってるなーとか考えてたら、別によくなりました」
「あの、僕が女性の意図を察せるのはレアなんで、今愚痴っとかないともったいないですよ」
喜んでいいのかわからないが――今のセリフはどうやら彼女のツボに入ったらしく、ぶへ、とかフフフッとかいった、変な笑い声を上げて笑っている。
「あぁ……特に意味のない会話、楽しい」
意味のない会話。
そうか、確かにそうだな。
私はナキアのお陰でブルム人と会話ができるし、兵站総監の肩書があるから、
しかし、前田さんはブルム人と雑談することはできず、公務員も民間人も、会話といえば仕事の話ばかりだろう。
駅前のビジネスホテルに戻っても、ひたすら一人で仕事をしている。
気を抜くタイミングがないのだ。
「じゃーせっかくなんで、一個だけ凄い愚痴言っちゃおうかなー」
彼女はビールを机の端に寄せてずいっと身を乗り出し、私にぐっと顔を近づける。
「対策本部の仕事。残業代がね、全然出ないの」
「…………えぇ?」
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