第29話 補給線

 天守五階の一角は公民館から運び込んだパーテーションが置かれ、板張りの床、パーテーション、そして座布団という、不思議な会議スペースに改造されていた。

 そこに流れるのは、重く冷たい空気。

「フミアキはああ言ってるが、どうだ、ナキア」

「いくら兵站総監の言うこととはいえ、物事には限度があります。フミアキ! それはこの国でも同じでしょう?」

 栄えある筆頭魔導師にして魔導師長、凍てつく雷光のナキア様は、苛立ちを隠さぬ視線を突き刺してくる。

 想像以上の怒り。

 どうやら私は魔導師の地位というものを、盛大に読み違えたらしい。

 エサ事情のせいで竜を十分に使うことがまだ難しいから、魔導師に荷物を転移させてくれ。

 この一言が、魔導師の頂点に立つナキアの怒りを買ったのだ。

「物を運ぶのが……そんなに嫌かい?」

 私の方も、いい気分はしない。

 魔導師が高貴だろうがなんだろうが、こっちにだって、部下に卑しい仕事をさせているつもりはないからだ。

「ふん、役割分担の話よ。魔導師は極めて貴重な戦力。奇襲に備えて魔力は温存させるべきであって、輸送で消耗させるべきではない。それにエルルが与えられているでしょう? 必要なら、彼でなんとかして頂戴」

「それで済む物量だったら、最初っからそうしてるよ。君は、高貴な者こそ力を振るうべきだと思わないのかな?」

「そう言うなら、分をわきまえないで他人を使う前に、まず自分で死力を尽くそうとは思わなかったのかしら?」

 不機嫌そうな彼女の問いは、感情的には実に不愉快だけれども、私の言葉を止める力はあった。

 実のところ私は、魔導師がいるんだから、やらせりゃいいじゃん、ぐらいにしか思っていなかったからだ。

「自分の部下を軽く見るなと言いたいんでしょうけど、それはこちらも同じこと。あなた達は戦いに必要な物を揃える。我々はあなた達を守り、敵を殺す。なぜ魔導師が魔導師であることを誇るのか、よく考えてみることね」

 腹立たしく、かつ残念だが、しかし押し切るための材料はなし。

 非魔導師に対する暴言な気もするが、イシュタルも特に何も言わない辺り、ブルムでは割と普通の感覚なのかもしれない。

 色々と話を聞く限り、どうもブルム社会においては魔導師と竜を操る者、とにかくこの二者の地位が高いらしい。

 輸送隊も竜に乗っているが……そこは魔導師の身内びいきだろうか。

 とにもかくにも、このままでは議論は平行線を辿り、物事は解決しない。

 私の仕事は、富士川での防衛戦に必要な物資輸送をだ。

 断じて、口ゲンカで勝つことではない。 

「もう一度……検討してみるよ」

 あー、あー、大人だ! 格好いいぞ! と自分をなだめて向かう先は、輸送隊のテント。早速エルルとドゥズに事情を説明し、対応策を考える。

 だが、出てくるのはため息ばかり。

「総監殿。一応、歩兵に数日分のパンと寝具を担いで歩かせることはできます。ただ、テントや予備の矢、それ以上の食料はどうにも。医薬品や燃料もありますし」

「だよねぇ。かといって、供給が安定するまでは騎竜兵にエサを回したいから、あんまりこっちの竜を飛ばしたくないし」

「仰る通りかと。あぁ……」

 大きくため息をついたドゥズは、緑茶のティーバッグが突っ込まれた木のカップに口をつけた。 

 気に入っているのか、確か朝も飲んでいた。

 しかしまあ、あぐらをかいて茶を飲むポーズが板についている。

 魔導師達はローブを着ているが、他のブルム人は男も女も肌着として緩めのワンピースを着て、襟の立った前開きの上着を着る。

 そしてワンピースの下に、足首の辺りがだぶついた、緩やかなズボンを履く。

 ズボンは絶対履く物ではないようだけども、人前に出る時や、作業をする時は大体履くらしい。

 イシュタルも補給隊と合流してからは、白いワンピースを着て、同じ白で揃えた上着とズボンでいることが多い――ブルム人的には、白銀と白が高貴な色なのだ。

 ドゥズはワンピースは白だが、上着とズボンは青い。マントも羽飾りも青いから、彼の階級は青で表現されるのだろう。

 ゆったりしているズボンは立ち座りがしやすそうだし、向こうでも床に座布団スタイルは割と普通らしい。

 だから、ごく自然にあぐらをかいて茶を飲む。

「申し訳ありません総監殿。僕の貧弱な魔力のせいで」

 黒いローブに身を包んだエルルは、あぐらをかいたままだが土下座ばりに頭を下げる。

 ただでさえひ弱さが目立つのに、泣きそうな顔とくしゃくしゃの細い黒髪のせいで、今にも消えてなくなりそうだ。

「いや仕方ないよ。どんなに準備をしてもね、何かは起こるものなんだ」

「そうだぞエルル。こんな大人数を何事もなく動かすのが、どれだけ難しいことか。むしろ、お前がいたから俺達はすぐにイモが食えたんだぜ」

「段列総長殿……」

 しょげる少年になだめるオジサン。

 人間関係が健全なのがせめてもの救いだ。これで部下同士がギスギスしていては、どうにもならない。

 部下同士。

 なんだ、何か、頭に残るぞ。

 同僚。

 同僚、そうか、仲間内のツテだ。

「ねえエルル。例えばなんだけどさ、君、ナナルとの仲は悪くはない?」

「な、ナナル様ですか?」

 ナナル……様?

「えっと、ご、ご機嫌を損ねるようなことはしていないと思うのですが」

「彼女、優秀なんでしょ? なんとかお願いできないかなーって」

「ナナル様に親しく話しかけるなんて僕にはとても……総監殿がお呼びですよと、それぐらいまでならなんとか」

 そんなに恐れられてるのか彼女は。別に怒りっぽいとか、そういう感じではなかったけども。

 やはり、血か。

 少し遠いが王族で、ナキアとは近い親戚。

 普通の魔導師にとって、あまりフランクに接するのは抵抗があるのか。

 しかし使いたい。天守でちょっと話して仲良くなったし、勝利に貢献するチャンスだとわかってくれれば、嫌な顔はしない気がする。

「ちょっと、こっそり呼んできてよ。さすがに僕が魔導師のテントの方にいると目立つから」

「わ、わかりました……」

 あまりにビクビクしているからちょっと気の毒になってきたが、仕方がないのだ。

 魔導師同士の繋がりでなんとかなるなら、それに越したことはない――




「そ、総監殿。ナナルです」

 茶を飲みながらエルルの帰りを待つこと数分。

 テントの外から、彼女の声が聞こえてきた。

 やけに早い。

 それに、声が震えている。

 立ち上がって入り口に向かい、目隠しの布を手でどける。

 眼の前には、とても綺麗な緑の瞳。

 褐色の肌。

 銀の髪。

「あ、な、ナキア」

「総監。説明を」

 ずいっと中に入り込んだナキアの後ろには、顔面蒼白のエルルと、怯えた様子で叔母を見るナナルがいた。

「あなた達も入りなさい。早く」

 トゲトゲしい口調でそう言ったナキアは、早足でテントの奥に進み、座布団を一つ引き寄せ、私の方を向いて座った。

 テントの主であるドゥズは、隅で正座をして縮こまり、目を伏せている。

 正座も……するのか。

「兵站総監。こちらに」

 そう言って、彼女は目の前の床をバンと叩く。

 そこに座布団は、ない。

 できるだけ毅然とした態度を保とうと思ったけども、どうしたことか、膝が震える。

 無言の圧力があまりに恐ろしいので彼女の前、座布団のない所に座る。

 せめてもの反抗として正座ではなくあぐらをかいたが、膝の震えは止まらない。

 凶悪な目つきも恐ろしいが――

 彼女がその気になれば、私は即死。

 それがまた怖い。

 座ってはみたものの、何を言うべきかわからないし、緊張で喉の筋肉が引きつっている。

 沈黙に業を煮やしたのか、緑の瞳が私を睨む。

「総監。指揮系統って言葉、ご存知? あるいはそう、縄張り」

「どっちもわかるよ」

「なら話が早い。エルルはともかく、私を通り越してナナルに物を頼もうなんて、どんな神経してるのかしら」

「いや、ちょっと魔法の仕組みとかを聞こうとしただけで」

「エルルが私に噓をつけるとでも?」

 彼女の言葉に私の視線は泳ぎ、エルルの泣きっ面を捉える。うつむいて、半べそ。

 これは、全部喋ったな。

「わかった。見苦しいことはもうやめだ。ところでナキア、君の考えは変わらないのかい?」

 私の問いに、彼女は小さく鼻を鳴らすだけ。

 このままではいよいよ平行線。しかしだ、とにかく私はこの状況、輸送能力の欠如をなんとかしなければならない。

 なんとしてでも、だ。

 私はあぐらを正座に改め、両の手の平で力強く床を突き、腕を曲げ、究極の角度で頭を下げた。

 一か八か、一世一代の大勝負。

 土下座である。

「魔導師長殿! 兵站総監フミアキ、伏してお願い申し上げます! なにとぞ、魔導師のお力をお貸しください!」

 残響。

 沈黙。

 今、どうなっている? テントの緑の床しか見えず、状況がまるでわからない。なんとなく、皆が息を呑んで固まっていることしかわからない。

 無限とも思える沈黙の果てに、ナキアの冷たい声が重い暗い空気を切り裂く。

「総監以外は外へ」

 私は相変わらず頭を下げたままで、皆が早足で外へ向かう足音を聞く。全員黙り込んでいて、見事に足音しか聞こえない。

 十秒も立たない内に、とても静かになった。

 テントの中には、私とナキアだけになったのだろうか。

 沈黙の中、私の耳に届くのは微かな、しかし確かな、鼻から漏れたような笑い声。

 笑い声?

「フミアキ、何? その無様で愉快な格好は」

 頭を上げると、彼女はにんまりと、獲物を隅に追い詰めて遊ぶネコ、あるいはキツネ、そんな風にしか言い表せないで笑っていた。

「伝統文化、かな」

「最高ね。で、輸送の話だけど、ナナルを貸してあげる」

「え、いいの?」

 正座からあぐらに戻して膝をさする。滅多にすることがないから、この短時間でも少し痛い。

「他にどうしようもないことは、私だってわかってるの」

「ならあんなに怒らなくても」

「必要なのよ。はたから見れば、魔導師は何でもできる、便利な存在。威厳を保たないと、何でもやらされて疲弊する。だからね、兵站総監たっての頼みで動かなければならないし、それを皆に見せて、伝える必要がある。それにナナルなら、雑事をこなしたって軽んじられることはないしね」

 すべては演技、か。

 まったく、本当に怖かったぞ。

「なるほどね。大層な役者ぶりだよ。さっきなんて、本当に怒ってるように見えて怖かった」

「さっきの? あれは本当に頭に来たわ。普通あなたが直接来るでしょ。ナナルは私の部下で、姪よ。何こっそり使おうとしてんのよ」

「はい、すいませんでした」

 思わず飛び出た謝罪の言葉に頬を緩めたナキアは、その口を私の耳元に寄せ、私の手を取り、長く綺麗な爪を立てる。

「外に聞こえるように、大きな声で」

「も、申し訳ありませんでしたっ!!」

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