第24話 煮た者同士-Ⅰ-

 輸送ヘリの乗り心地というのは、なんと悪いものだろうか。小田原城と富士山の間を往復するだけでは、とても慣れることはできなかった。

 ヘリの中には東日本の電車のように、向かい合わせの座席が並んでいる。そこに人間が詰め込まれるのだ。

 運ばれるのは私とナキアに、黒いローブの魔導師達。山頂で魔力を使い果たした彼らは、転移魔法を使うのは危険としてヘリに乗ったのだった。

 慣れない乗り物で大変だろうと心配したけど、なんと皆口を揃えて竜のカゴより楽だと言うではないか。

 揺れに苦しんでいるのは、私だけ。

 魔導師達はなんだかんだ新しい物好きなのか、どことなく楽しそうだ。

 隣の席では、ナキアが私の顔の辺りをぼけっと見ている。さっきまで寝ていたはずだけど、やっぱり眠りは浅いのかもしれない。

「お疲れ様ナキア。調子はどう?」

「お腹空いたわ。何かないの」

 開口一番、食事を所望。

 まあ、海の水を動かし、あの巨大な結界を張り続けるのは相当なエネルギーを使うのだろう。

 どれぐらい疲れるか想像もつかないが、今すぐ渡せるものがない。

「とりあえず、イモなら城に」

「イモ。まあ、仕方ないわね」

 明らかに不服そうな彼女は、それでも一応引き下がる。流石に、少し不憫だ。

 本当に何もないのだろうかとポケットを探ると、指先に小さくて硬い物が一つ。

「あ、待って。チョコ入ってた」

「何それ」

「え? うん、なんだろうね。砂糖と牛の乳と……なんか木の実を混ぜて固めた感じ?」

「なにそれ凄い。まったくこの世界は。子供なら泣いて羨ましがるわ」

 彼女はため息をつきながらチョコを口に入れ、ゆっくりと目を閉じる。これは多分、気に入っている時の顔だ。

「甘いけど、うっすら苦みもあって飽きない。なんなのあなた達は、菓子職人に相当の地位が与えられているのかしら」

「いや、そういうわけでは。でも確かに、お菓子を作る大手企業は儲かってるよ」

「つまり、大きな工房に職人が何人も?」

「大きい工場を作ってね、機械を使ってたくさん作るんだよ。一日何十万とか、何百万とか」

 ナキアは信じられないという風に首を振り、実はもう一個あったりしないか、と聞いてきた。

「残念だけど今はないよ。後で皆の分も手に入らないか試してみるけど」

 自分で仕事を増やしてしまったなぁ、なんて後悔していると、私の隣に座っていた魔導師が遠慮がちに声をかけてきた。

「総監殿、あの、先程のお話は本当のことなのでしょうか? その、巨大な工房で大量の菓子を作っているというのは」

 声の主は五十歳ぐらいの痩せた男で、褐色の肌に黒いヒゲがわさわさと生えている。

 周りの魔導師達はしきりに彼の様子を窺っているが、何か面白いことでもあるのだろうか。

「ハムシャトゥ? 急にどうしたの」

「いえ、師長殿、その……あまりに夢のような話だったもので」

 彼が大真面目に答える様子を見て、ナキアは小さく笑いを漏らす。

「これは珍しいわよ総監。彼は物凄く無口なの。宴会とかじゃもう、いるのかいないのか全然わからないぐらい」

 なんとも酷い言われようだが、確かに影が薄いというか、下を向いて、小声で訥々とつとつと話すタイプではある。

「お戯れを……この間は横笛を吹いて差し上げたではないですか」

「そういえばそうねぇ。口で話すより、笛を吹くほうが何倍も上手だものね」

「いやお恥ずかしい」

 ナキアの悪い冗談に、ハムシャトゥはもそもそとした口調で返す。

 こんな会話でナキアがひっそりと恨みを買っていないか不安になるけども――ブルム基準では笛が上手いと褒めているからオーケーなのか、単に我慢しているだけなのかはわからない。

 それにしても、ブルム人は本当に甘味に飢えているらしい。

 菓子の話に我慢できなくなったのか、彼の隣に座る女の子が身を乗り出してきた。

 イシュタルのように色白で黒髪だが、瞳は見事な緑色だ。歳がよくわからないけど、なんとなくエルルと同じ、十五、六歳ぐらいに見える。

「総監殿! ナナルと申します! 総監殿は子供の頃から今まで、何種類ぐらいのお菓子を召し上がられたのですか!」

「え? ちょっと、多すぎてわかんないかな」

「数えられないぐらい! ちょっとやだ、とんでもない国。総監殿、なんとか一つか二つ、今日中に手に入れることは!」

「はしゃぎすぎよナナル。あまり総監の仕事を増やさないで」

「も、申し訳ございません」

 静かに叱るナキアの声で、まさに元気いっぱいだったナナル急速に萎んでいく。

「悪かったわね。ナナルは私の姪でね、魔法の腕は良いけど、後は子供なの」

「そうなんだ。あ、目とか口とか、ちょっと似てるかも」

 親戚だと言われてみれば、肌と髪はイシュタルに、目や一部のパーツはナキアに似ているし、鼻と口はイシュタルとナキアの両方に似ている。

 二人も祖父の代で繋がる親戚だから、先祖に誰か強烈なの人物がいたのかもしれない。

 ナキアの顔と見比べていると、ナナルは面白がって私の顔を覗き込む。

「総監殿、師長殿と似てますか?」

「うん。師長と殿下と、少しずつ似てるね」

「本当ですか!? わぁ、美人確定だ! 血筋ですかね総監殿っ! 約束された美しさっ!」

 戦いの疲れを癒やすような、他愛のない会話。

 はしゃぐナナルも大変可愛らしい。

 五年経ってもこの調子だったらどうしようと、少し心配になるけども。

 きっとナキアも小さい頃はこれぐらい生意気だったんだろうけど、もうすっかり大人に……と思った所で、脳裏に浮かぶのは女王然とした嗜虐的な物言いの数々。

 手本とすべき叔母である彼女は、まったく丸くなっていない。

 これは、あるいはそういう血筋かも、なんて考えている内に、ヘリはゆっくりと降下を始める。

 そして無事に着陸し、後部ハッチが開かれた。

 ハッチの向こうは土と石垣と白い壁。顔を上げれば天守閣。なんだか妙に懐かしい。

 多分、私の体はクソ寒い山の上にも、ヘリに揺られる空の上にも慣れていないのだ。

 城には騎竜兵達が先に戻っていたようで、竜の世話や装備の格納に走り回っている。

 天守に戻ると、机の上に書き置きが一枚。

 紙は乾燥させた植物の繊維で作ったように見えるが、パピルスよりも滑らかだ。

 隣に置かれた筆記具は、カリグラフィーで使われるような先端が平べったいペンと、ラピスラズリのような深く鮮やかな青のインク。

 右から左に書かれた文字は、どことなくヘブライ文字やアラビア文字に似ている。独特な曲線と長い直線のコントラストが美しい形だ。

 見知らぬ文字で綴られた文章は……翻訳魔法とは恐ろしいもので、読めた。

「竜の世話と、軽騎竜兵の報告を聞いてるから外にいる、だって」

「そう。じゃあ、そこまで長くはかからないわね。お湯だけ沸かしといてくれる? 本当は今すぐ寝たいぐらい」

 寝たいぐらい、だけど寝ない。まだ外で働いているイシュタルへの遠慮だろうか。

 疲れ切った様子の彼女はローテーブルの前であぐらをかき、死にそうな顔で頬杖を突いている。

「お茶でも準備しとくよ。ところでさ、イシュタルの戦い方って、いつもあんな感じなの?」

「あんな感じって?」

 聞き返すナキアの顔や声音こわねはいつも通りで、無礼を咎めるような素振りはない。

「劇的というか、演出されてるというか。まるで、誰かにショーを見せてるような」

 私の言葉をどう捉えたのか、彼女は目を伏せ、薄く赤い唇の端から笑いを漏らす。

「あの、どうしたの?」

「あなたからもそう見える? 面白い。いいわ、あなたも兵をまとめる立場、理解しておいた方がいいでしょうね」

 かき上げられた長い銀髪が波を打ち、窓から差し込む陽光をばらばらと跳ね返す。褐色の肌に映える緑の瞳は、こころなしか楽しげだ。

「舞台の観客は兵士達。ねえフミアキ、国王マルドゥク陛下はまだ健在で、イシュタル殿下には三人の兄君がいる。長男はまさに王太子殿下よ。それなのに、殿下が王権を象徴する軍を率いているのはなぜかしら?」

「それは……彼女が一番戦争が上手いから?」

「間違ってはいないけど、物の見方が少し好意的すぎる。正解は、殿下以外は全員、愚鈍で怠け者の役立たずだから」

 愚鈍。

 怠け者。

 役立たず。

 どれも、主君に対して使う言葉ではない。

「血統主義の限界ね。今や王家の誰もが、イシュタル殿下の助言を当てにしてる。そして、殿下は今の王家がダメだとわかってる。殿下は国をまとめるのに必死なの」

「じゃあその、何か改革とか、優秀な人材を抜擢したりとか」

「逆。昔以上に王家に近い者、王家に服従する者を積極的に取り立てた」

「え、なんで?」

「逆らわないから。王家に従う者を集めれば、国がまとまると考えた。ただね、文官はそれで抑え込めても、武力を持った軍は抑え込めない。おまけに今はウシュムガルと戦っている最中、まさか縁故で人事をするわけにもいかない。だから殿下は、とにかく兵からの支持が欲しいの」

「だからあんな戦いを。身分にこだわるのもそういうことかな」

「身分? いや、それは私達にとって当たり前だから。あなたの国じゃ違うの?」

「まぁ、そういう時代もあったけど」

「でしょ? あそうだ、一つだけ。私は殿下が力を持つ前から筆頭魔導師だったから、勘違いしないでね」

「そこ……わかったよ。でもさ、そんな話僕にして良かったの? なんというか、イシュタルに伝わったらナキアの立場が悪くならないかな」

 私の心に湧いて出た率直な疑問に、返ってきたのは半笑い。

「あなたはとても聡明で、危険を避ける。あなたは自分の国が魔族に襲われているのに、私達の関係を悪くする? あなたはきっと黙って戦って、黙って見送るわ」

 彼女のあまりに率直な答えに、私も思わず笑いを漏らす。それはそうだ。私は、余計なことは絶対に言わないだろう。

「そうかもしれないね」

 私は部屋の隅、電気ケトルやら保存食やらが置かれた辺りに行って、水入りのペットボトルの口を開ける。

 ケトルに水を入れていざスイッチを押さん、と意気込んだところで階段から足音。現れたのは前田さんと軍装のイシュタル。

「殿下。見事な戦い振りでした」

 そう言って跪くのは、栄えある筆頭魔導師にして、イシュタル第一王女殿下の御親戚。

 世界が変わっても人間社会、こういうところは同じらしい。

「お前のおかげだ、ナキア。結界がなければ勝てない相手だった。お前もだフミアキ。お前とレイがいなければ成立しなかった。それにしてもあの飛び道具! あれは何だ? 面白い物だな。あれにサムサンバルの破片を詰めれば完璧だ」

 自分も疲れ切っているはずなのに、軍装を解かず、威儀を正し、部下をねぎらう。

 指揮官として理想的と言ってもいい。

 これも、綻びだらけの王権を必死に支える内に身に付けた、彼女なりの生きる術なんだろうか。

 彼女の苦労は想像以上の……なんかぴょこぴょこしてて気が散るな。

「そうだフミアキ。この、レイがさっきから何か言いたそうなんだが、聞いてやってくれ」

 ぴょこぴょこ跳ねていたのは前田さんの茶髪で、なんだか嬉しそうな顔をしている。

「石田さん! 地元の和菓子屋さんたちが差し入れに来てくれました!」

「お、甘い物ですか! ありがたいですね」

「中継された戦い振りに感銘を受けたみたいで、ぜひ日本の味を楽しんでほしいと。もうね、大量のあんこと一緒ですよ」

 私も気が張って疲れ切っていたけども、地域に受け入れられた喜びで、少し元気が湧いてくる。

 災厄を連れてきた張本人として攻撃されてもおかしくないのに、なんと優しいことか。おまけに、兵達にも甘味を振る舞える。

 甘味、あんこ、あんこ、そう、あんこだ。

 安堵とともに脳裏によぎる、外国人をもてなす時と同じ疑問。

 ブルム人的に、甘く煮た豆はどうなんだ?

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