第31話 竜の背中
怒涛の写真撮影が終わった後、イシュタル達は輸送隊と護衛の軽騎竜兵を残し、小田原城を出立した。
カメラマンは竜や兵の写真も撮りまくっていたのだが、向こうもプロ、時間内にしっかり切り上げてくれた。
イシュタル達は警察のエスコート付きで東海道――車道だが、彼女らの行軍に合わせて通行止めになる――を歩き、箱根の関を越えていく。
そして、中間地点にある
残された私と輸送隊は、とにかく目先のエサ集めと、長期的な補給体制の構築が仕事だ。
「総監殿!」
本隊を見送る私に声をかけるのは、段列総長のドゥズと双竜隊長に、四人の百人隊長達。
「みんな、揃ってるね。今回は魔導師長のこの上ない好意で、エルルに加えてナナルも物資輸送に参加してくれる」
魔導師長のこの上ない好意。
この言葉を発した瞬間、哀れみや畏敬の念のこもった視線が向けられた。
よくぞ恐怖に耐え、あの凍てつく雷光から譲歩を引き出してくれた――そう言いたいのだろう。
あれは、怖かった。
「エルルとナナルは本隊とともに富士川に移動し、現地の気の波長を確認後ここに転移、富士川野営地への物資転送を行う。我々はそれまでに荷物の整理と、竜の
こんなサラリーマン丸出しの男が突然ノコノコやってきて、まともな名刺も出さずにドラゴンのエサをくださいという。
いくら報道でイシュタルや竜を見る機会が増えたといっても、無理がある。警戒した人の心をこじ開けないと、スムーズな商談は無理だろう。
だから、好奇心を刺激する。
「元気な竜を一頭選んで、交渉先に僕とドゥズで乗って行く。双竜隊長、百人隊長は荷物の整理と必要物資の洗い出しをしつつ、万一にもトラブルが起きないように備えておいて欲しい。以上!」
「あ、結構高いし、揺れるね」
「そんなものですよ。竜の背はいかがですか? 総監殿。こちらでは珍しいのですよね」
「感動だよ。珍しいというか、空想や伝説の中の生き物だね」
小型の薄灰色の竜の背、二人乗り用の鞍の上。
比較的小さいと言っても、人が乗れるサイズの竜は馬よりもかなり大きくて、経験の無い高さに若干ビビリが入る。
この手のものは自転車と、後は子供の頃にのんきなポニーに跨ったぐらいで、バイクにすら乗ったことがないのだ。
自分で操るわけではないけども、怖い。
だが仕方ない。スムーズな商談のためである。
「飛びますよ!」
「ちょ、あ」
「ハッ!」
掛け声とともに手綱が引かれ、竜の翼が大きく動く。付け根の太く、大きな筋肉のダイナミックな動きが鞍越しに感じられ、バーチャルでも模型でもない、生き物らしさが伝わってくる。
そして筋肉の動き、呼吸、それに同調するドゥズの息遣いが調和し、一体化し、ついには竜が身を屈め、大きく強い羽ばたきが続き、私の視界は大きく動いた。
飛んだのだ。
「これは! 凄いね!」
「高度を上げます! 揺れますよ!」
ドゥズがそう声を張るなり、竜は大きく上下に体をくねらせながら翼を使い、付け根から翼端までが大きくしなる。
巨大な翼膜が生み出した空気の流れは、信じられない速さで巨体を上へ、前へと運んでいく。
上空は風が強く、冷たい空気を切り裂いて進むのは決して楽ではないが、興奮で顔が火照っているから気にならない。
これは、久し振りに……ただ楽しい。
「南西に向かいます!」
ドゥズが手綱を左に引くと、竜は右の翼を大きく、左の翼を小さく羽ばたかせて、少しずつ左に進路を変える。
無駄のない、美しい動きだ。
目指すは小田原城の南西にある漁港。本日最初の商談相手は、漁業組合である。
お目当ては、日々網にかかる大した値段の付かない雑魚。それをまとめて売ってもらう。
私は栄養豊富、かつ社会的な批判を受けるリスクの少ないエサを安く手に入れ、彼らは身の安全を確保しつつ、少しでも売上をかさ増しできる。
相利共生、WIN WIN――商取引の基本であり、緊急事態には見落としがちなところでもある。
強引に協力を依頼することもできたかもしれないけども、私の民間のアイデンティティはそれを許さない。
というわけで、最大限興味を引き出すために竜に乗り、日本円とブルム金貨を引っ提げて商談に臨むのだ。
竜は恐ろしい速さで空を行き、ものの数分で港が見えてくる。
「総監殿! あの白い建物ですね!?」
「そう! 周りの物を傷付けないでね!」
「任せてください!」
ドゥズの合図で竜は少しずつ高度を下げ、緩やかな軌道で駐車場に降下していく。漁協や近隣の人達だろうか、駐車場に人が集まっているのが見えてくる。
地面が近づくと竜は羽ばたきを減らし、翼膜を立てるようにして空気を受け、減速する。
ホバリングするように駐車場の真上に留まり、ゆっくりとした大きな羽ばたきを繰り返しながら少しずつ高度を下げ、想像よりも遥かに静かな動きで着地した。
短めの縄ばしごで鞍から降り、コンクリートの地面に立つ。
ああ、地面だ。
固くて安定している。
さて挨拶すべきは誰かな、とあたりを見回していると、ガタイのいい
「どうもどうも! 組合長の舟山です!」
「石田です! 本日はよろしくお願いします! 一応、名刺がこのようになっておりまして」
私が差し出す急造品の名刺は、武州重機械工業資材部購買第二グループ石田文明の物。
ロゴと社名、部署に線を引き、ブルム王国軍兵站総監・司厨長と書き足している。
電話番号も、私の番号に書き換えた。
「おー武州さんね。あれ! フォークリフト! 使ってますよ! おたくのグループでしょ? 燃費もいいし、とにかく壊れないよね」
「武州リフトは系列ですね! ありがとうございますっ!」
姑息!
あぁっ、姑息!
勤め先がそれなりにデカいのをいいことに、社名を残した名刺を出して、お堅い勤め先のお堅い人間ですよ、とわかってもらうセコい作戦。
裸一貫で戦い抜いた人々には小馬鹿にされそうだけど、仕方がない。
今は、インスタントな信用が必要なのだ。
看板を振り回すのを恥じらっていたら、組織人は務まらない。
「しっかしあれだね、なんか、ホントにドラゴンだね。もうね、みんな見に来ちゃったよ」
「いや私も初めて見た時はもう、本当に。それでまぁこれが、実に大食いでして……これが二千頭いるんですよ」
「に、二千! そりゃ大変だ。そうだ石田さんあれ、ドラゴンの写真撮っていいですかね? 孫に頼まれちゃって」
「どうぞどうぞ! ぜひ!」
「孫がね! いや、孫がねー!」
不自然に孫が孫がと繰り返す組合長は、とても嬉しそうな顔でスマホを取り出し、何枚も写真を撮り始めた。
集まった人々も恐る恐る竜に近づき、次々とスマホのレンズを向ける。
ツカミは上々、悪くない流れだ。
頃合いを見計らい、ひとしきり写真を撮ったタイミングで声を掛ける。
すると、組合長は一日分が一万円でいいよ、と軽い口調で言い、また竜の写真を取り始めた。
「え、そんな。いいんですか」
「みんなで相談して決めた。小田原に拠点を構えるって聞いた時からなんかできねぇかって思ってたしな。なによりタダで召し上げられると思ってたから、アンタが買うって言い出した時、びっくりしたんだよ」
組合長は今度は動画を撮りながら、ただまあ、タダは良くねぇからな、と言って笑った。
「タダでしてやってることは、なんつーかね、タダでしてやってんだから、って気持ちが出て、面白くなくなる。だから一万円だ」
「ありがとうございます」
「あとな兄ちゃん。俺たちゃ最初っから協力する気だからさ、別に、お堅い肩書き見せてくんなくても大丈夫だよ」
「これは……お恥ずかしい」
「いいのいいの。別に間違ってない、普通は必要だよ。気持ち伝えたかっただけだからさ。兄ちゃんタバコ吸う?」
ニッカリと笑う組合長は、もう大して中身の残っていない紙巻きタバコの箱を突き出してくる。
「あ、すいませんタバコは」
「そっかぁ、世代だなぁ。じゃあ酢昆布」
「懐かしいですね。頂きます」
差し出された酢昆布の箱から一枚抜いて口に入れると、独特の旨味と酸味が駆け巡る。
自分も一枚食べた組合長は、子供のように顔をくしゃくしゃにして、おおっ! 酸っぺえな! と言って笑う。
「しっかし、ドラゴンかぁ……はしゃぐ話じゃねーんだけどさ、すっげぇな」
再び私に背を向けて、竜に見入る後ろ姿。ガタイはいいが身長は高くない。
それでも、その背中は大きく見える。
一日分の食料が一万円。
これが漁師達の間で自然に出た案なのか、組合長が主導して出した案なのかはわからない。
しかし、色々な意見、それこそ反対意見が出てもおかしくはないし、魚の行き先が竜か、それとも避難してきた人間か――これだって、意見が分かれてもおかしくない。
それを事前に話をつけておいてくれたのは、時間がない中でとてもありがたいことだ。
一万人の軍勢と、二千頭の竜。これの胃袋を支えるなんて、一人ではとてもできない。
避難民の大移動とそれによる物流の混乱も加味すると、兵と竜を食わせるには、各地の生産者や流通業者の協力が不可欠だ。
この大きい背中の持ち主をがっかりさせないように、頑張らないとな。
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