第34話 【死神】

 【久遠の証】は窮地に陥っていた。これまで前衛を一手に担っていたエマが戦闘不能になったからだ。戦闘不能とは言っても、重傷を負ったわけではない。しかし、その場に蹲って動かない。様子は明らかにおかしく、体を震わせながら頭を抱えていた。

 その原因は【死神】の精神操作魔法。その名の通り、精神を操る魔法だ。


「……あれはヤバい。触れられたら終わり」


 魔法の知識に長け、魔力を可視化するルディアだからこそ分かる【死神】の脅威。精神操作魔法は正常に発動さえすれば極めて強力な魔法だ。それこそ、数ある魔法の中でも一二を争うほど強力だと言っていいだろう。

 だがその一方で、発動させることが極めて難しい魔法としても有名だ。精神操作魔法を発動させるには相手に触れ、深く干渉しなければならない。そして、深く干渉するには相手の精神防御を突破する必要があるのだ。これがあまりに難しい。

 

 一流の魔法使いが同じく一流の魔法使い相手に精神防御を突破するのに必要とする時間は、通常十秒ほどだ。つまり、戦闘中に十秒間以上連続して相手に触れ続けなければならないということになる。

 激しく動く戦闘中にそんなことをできるわけがない。できたとしても、十秒間触れ続けることができるなら、別の攻撃をして相手を追い詰めた方が得策だろう。

 何が言いたいかというと、実践で精神操作魔法を使うことは不可能である。それが、全魔法使いの共通認識だ


 ―――【死神】を除いて、だが。


「【死神】の右手に集まる禍々しい魔力……。あの魔力が一瞬でエマの体を侵食した。いったいどこからあんな魔力を……」


 考え得る中で最悪な戦況、頭に浮かび始めた『全滅』の二文字に、ルディアは冷や汗を垂らす。


「あ……あぁ……イヤ…イヤ、や、やめて……」

「エマ!エマっ!!」


 一方、ミリーが必死に呼びかけるもエマに反応はなく、小さくうわ言を呟くのみ。その様子を見た【死神】は醜く笑う。


「どんなに名を呼んでも無駄ですよ。彼女は今、悲しみに囚われている」

「っ!【死神】っ!!エマに、エマに何をしたっ!!」

「何をした、ですか……。答える義理はない、そう言いたいところですが、あえて答えましょう。―――私は彼女を救いたい。救ってあげたい。これは言わば、救済の過程ですよ」

「……言っている意味が全く理解できないわ。私達に分かる言葉で話しなさい」

「傲慢な物言いですが、まぁいいでしょう……。私は彼女に対して精神操作魔法を発動しました。そして、彼女が最も思い出したくない記憶、最も強く心理的な負荷となる記憶―――所謂『トラウマ』を彼女の頭の中でループさせています。ただそれだけです」

「な、なんてことをっ!!」


 あまりの非道な言動に激昂するミリーに対して、【死神】は冷たい笑みを浮かべるだけであった。


「そんなに怒らないでくださいよ。私は仕方なくやっているだけなのですから」

「仕方なく……ですって?」

「えぇ。言ったでしょう?これは救済の過程です。私は彼女を救うために、仕方なく『トラウマ』を見せているのですよ。救済には、【固有スキル】を発動させる必要があるのでね」

「本当に、本当に言っていることが分からないわ……」


 ただただ目の前の男の顔面を拳で打ち抜きたい。そんな衝動に襲われていたミリーには、【死神】の発言を全く理解することができなかった。ミリーに冷静に判断するほどの余裕がないことを感じたルディアは、ミリーに代わり【死神】に声をかける。


「救済の定義と【固有スキル】について教えて」


 ミリーと同じように【死神】の言動を不快に感じているルディアだが、できるだけ【死神】から情報を聞き出すために、不本意ながら【死神】と会話を続けることとしたのだ。


「救済の定義。それを一言で表すならば―――魂の解放、です。この穢れた世界から解き放たれるには、救われるには、それしか方法がありません」

「つまり、あなたが今まで殺人を犯してきたのは、その人達の魂を解放するためということ?」

「いやいや、私を人殺しと同じにしないでください。私は相手の同意を得て、魂を世界から解放している。その結果、肉体の死が訪れるというだけです」

「……相手の同意を得て、というのは?」

「私の【固有スキル】、『神の下へ至る道ソウル・リリース』の効果は魂の解放。その発動条件が、相手が自ら死を望むこと、ですから。必然的に、救済には相手の同意が必要となります」


 ルディアは思考する。【死神】の目的は人の救済。救済とは魂の解放であり、その方法が【固有スキル】の発動。そして、その発動条件が『相手が自ら死を望むこと』。


「なるほど……。【固有スキル】の発動条件を満たすために、精神操作魔法を使っている……。相手が自ら死を望むほど絶望するまで、『トラウマ』を流し続けるつもりなんだ……。一言言わせてもらうと、あなたは間違っている。精神操作魔法を使っているのなら、それは同意したことにはならない」

「私とは考え方が異なるようですね。私は本人の記憶を思い出させているだけです。それで死を望むのならば、それは本人の意思に他なりません」

「そう……。これ以上話しても無駄みたい」


 【死神】はイカれている。頭がおかしい。取るべき情報は取れた。ゆえに、これ以上話す必要はない。それがルディアの下した決断であった。


「(最も大きな情報は、【固有スキル】の発動条件……。あの変人の言葉を信じるなら、私達が自ら死を望まない限り、【固有スキル】が発動することはない……。でも、エマがいつまで耐えられるかが心配だ……)」


 ルディアは気合を入れるかのように、杖を握り直した。




 ……?あれ、僕……何してたんだっけ?


 ここは……?


「エ、エマ……。起きてください……」


 ……クロエ?


「もうすぐお昼ですよ……。ほら、街に戻りましょう」


 風が吹き、様々な花弁が舞う。彩りに溢れた見慣れた景色。目を覚ますと、僕は花畑で寝転んでいた。何度も何度もクロエと遊んだ、馴染み深い花畑だ。

 ……そうだ、思い出した。僕は確か、今日もクロエと一緒にこの花畑に遊びに来たんだ。それで、疲れて寝ちゃったんだっけ……。


「エマ、行きましょう」

「うんっ!行こう!」


 差し出された手を握りしめ、僕は街に向かって歩き始めた。

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