第37話 風と共に
「―――まったく、人間は酷いことをするのね。こんなものを見させるなんて」
暖かい風が僕の体と心を包み込む。先程まで感じていた恐怖や絶望は嘘のように消え失せ、僕が見ていた地獄のような光景は一瞬で真っ白な空間に塗り潰された。
一体何事かと僕が戸惑っていると、目の前で風が吹き荒れた。その風は段々と人の形を成していく。そして気が付けば、僕の目の前には神々しい雰囲気を纏った美女が立っていた。
風に吹かれキラキラと揺れる金髪、人形のように整った顔、僕を優し気に見つめる緑色の瞳、まるで聖母のような暖かな笑み。その姿を見て僕は一瞬で理解した。―――彼女はおそらく人間ではない。正しく精霊のような、超常的存在のはずだ。
「あなたが、僕を助けてくれたの?」
「えぇ、そうよ。これ以上はないという最高のタイミングで颯爽と助けに現れた美女は誰かと聞かれたら、私という答えになるわね」
「そ、そうなんだ……。あ、ありがとう!」
「ふふっ、どういたしまして」
ちょっと癖の強そうな人?だけど、僕を助けてくれた恩人であることに変わりはない。何か彼女にお礼をしたいけれど……今は時間がないんだ。早く皆の下へ戻らないといけないから……あ、あれ?……どこに戻らないといけないんだっけ?それに、皆って誰のこと?
……何か、何か大切なことを忘れている気がする。お父さん、お母さん、クロエ……いや、まだ居たはずだ。僕にとって命に代えても守りたい、大切な存在が……。
「まだ思い出せないみたいね。まぁそれも仕方ないわ。あなたにかけられたのはかなり強力な精神操作魔法ですもの」
「精神、操作魔法……?」
「戸惑っているのね。でも安心して。今思い出させてあげるから」
彼女は僕の額に手を置いた。するとその瞬間、僕は全てを思い出した。
「っ!!そうだった!僕は【死神】と戦ってたんだ!【久遠の証】の皆と一緒に!!」
「そう。あなたは【死神】と戦っていた。その最中に精神操作魔法をかけられ、あなたの抱えるトラウマが呼び起こされてしまった」
「そうか、そうだったんだね。今まで見ていたものは、僕の奥底に眠る、いや、僕が奥底に抑え込んでいた記憶だったんだ……。まだ、僕はあのことを乗り越えられていないんだね……」
「そうね。あなたはまだ、過去を乗り越えられていない。過去を乗り越えようとしてはいるものの、未だに肝心なところには触れていないのよ」
「そうだね……。あなたの言う通りだ」
【死神】は僕にトラウマを見せる精神操作魔法を発動した。そして、僕はまんまとトラウマに囚われてしまっていた。
僕の弱さが招いた失態だ。僕が過去を乗り越えられていたら、恐れずに過去と向き合ってさえいれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに……。過去から逃げて、それで【久遠の証】の皆を危険に晒して……なんて僕は馬鹿なんだろう。
「ほんとに、僕は馬鹿だなぁ」
「えぇ。相変わらずあなたは馬鹿だわ。それで、どうするの?」
「……どうするって?」
「全てを思い出した今、あなたはこれから何をするのかしら?」
これから何をするか。その答えは決まっている。
「それはもちろん―――今すぐ起きて、皆と一緒に【死神】をぶっ飛ばす!!!」
「……それでこそ、私の『 』ね」
「え?今なんて――うわっ!?な、なにこれっ!!」
突如として風が吹き荒れた。その風は僕を囲い込み、次第に僕の視界を奪っていく。
「エマ、身を委ねて。その風は、あなたを現実へと戻してくれる」
「そ、そうなの!?ほんとに!?す、すっごく怖いんだけど!!」
「安心して、本当だから。あなたに嘘はつかないわ」
「嘘はつかないって……、そう言えばあなたは誰なの!?まだ名前すら聞いてないよ!!お礼したいのに!」
「時が来たら分かるわ。でも、これだけは忘れないで。―――風はあなたと共にある」
「――っ!!わ、分かった!!何が何だか分からないって感じだけど、絶対に忘れないよ!!あと、次会ったとき、絶対にお礼するから!!」
「ふふっ。期待してるわ」
その言葉を最後に、僕の視界は風に埋め尽くされ、僕は意識を失った。
そして―――。
クロエが【死神】を空中へ蹴り飛ばし、ルディアが『
しかし、ミリーが放った矢を避けるために【死神】は足を止め、その隙にクロエが殴りかかる。一進一退の攻防。クロエの肉弾戦が解放された今でも、まだその拳は【死神】には届かない。
エマが起きさえすれば―――。ミリーが、ルディアが、クロエがそう考えたそのとき―――戦場に風が吹く。
「っ!!エマ!!」
その風に一際強い反応を示したミリーが後ろを振り向く。するとそこには、大剣を携えた少女が立っていた。
「【乱剣暴風】エマ・エンリール。復活の時間だよ!!」
気まぐれ猫の人助け~異世界転生したら黒猫だったので自由気ままに生きています~ 雨衣饅頭 @amaimanju
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