第15話 ジャックの災難

「君にね―――。


―――ある男を、殺してほしいんだよ」


 こ、殺してほしい!?……な、なんて物騒なお願いなんだ。人を殺すとなると、簡単に「はい」なんて答えられないぞ。その男が正真正銘のクズならいいが、いやそれでも抵抗はあるけど、今はまだ善悪の判断が付かない。


「ふふ、私のお願いに少し葛藤しているようだね。でもその必要はないよ。なぜなら、私もその男が誰なのか分からないからだ」


 ……ん?どういうことだ?ある男を殺してほしいのに、その男が誰なのか分からないのか?


「そう、分からないんだ。幽霊になってから三年、何故か私は漠然とある男を殺さなければならないという使命を感じている。その男が誰なのか、何をしたのか、記憶がないから何一つ分からない。でも、殺さなければならない。そう漠然と感じている」


 そんなことが……。正直に言うと、その男を殺すことはほぼ不可能だろう。誰なのか分からないのだから、どうしようもない。すまないが、願いは叶えられそうにないな。


「君が気に病む必要はない。私も不可能だと思っているからね。……そういえば、君は帝都にどのくらい居るんだい?」


 俺には名無し少女が無理やり話題を変えたように見えた。まるで見たくもない現実から目を逸らすかのように。


 帝都には一週間いるかいないかだな。


「一週間か~。じゃあ一週間さ、私の話し相手になってよ。夜の時間だけでいいからさ」


 ……おう!それぐらいならお茶の子さいさいよ!美少女の話相手になれることを喜ばない奴なんていないからな!


「ふふ、ありがとう。本当に君は面白い人だ、いや、猫だ」


 名無し少女はそう言って笑みをこぼした。彼女が笑うとこちらも嬉しい気持ちになる。それから、これまでの寂しさを埋めるかのように、名無し少女は色々なことを俺に話してくれた。帝都の観光スポットや歴史。いつも行列ができているお店。近寄らない方がいい道など、内容は様々だ。

 

 夢中になって話していたからか、気が付けば朝日が昇り始めていた。徐々に日の光が帝都を照らしていく。


「おっと、もう朝か。さて、私はこのあたりで去るとするよ。……ぜひ君には帝都を楽しんでほしい。じゃあまた、月が真上に上る頃に」


 俺が止める暇もなく、名無し少女は一瞬で姿を消した。まるで夢だったかのように、何の痕跡もなく姿を消したのだ。




「おいし~い!!」


 名無し少女と話しながら朝を迎えた俺は【久遠の証】と共に帝都の有名な喫茶店を訪れていた。その喫茶店は偶然にも名無し少女に帝都で最も人気であると教えてもらった喫茶店であった。


「並んだ甲斐があったわ。この『とってもおいしいパンケーキ』、本当においしいわ!」


 ミリーがパンケーキを頬張りながら満面の笑みを浮かべる。余程食べたパンケーキが美味しかったらしい。流石は帝都一人気な喫茶店といったところか。


「もぐもぐ。この『人類最高峰パフェ』。もぐもぐ。おいしすぎ」


 ルディアは人の頭くらい大きなパフェをものすごいスピードで口に運んでいる。もう半分ほどしか残っていない。いったいルディアの華奢な体のどこに消えていったのだろうか……。


「これもおいし~よ!!え~と、『君の心を離さないチーズケーキ』!!僕のほっぺが落ちちゃうよ~」


 エマはチーズケーキを頼んだようだ。元気にチーズケーキを頬張るエマだが、その溌剌さに対して食事をするときの所作は静かで美しい。


「あ、『雨の日のモンブラン』もおいしいです」


 クロエはモンブランを食べている。耳がぴくぴくと動き、尻尾が揺れている様子からもモンブランの美味しさが伝わってくる。……というか、この喫茶店の商品名おかしいだろ。ネーミングセンスが控えめに言って終わってるぞ。


「ルノア、あ~ん」

「にゃ!?」


 俺が商品名に呆れていると、ミリーがパンケーキの刺さったフォークを俺に近づけてきた。これはまさか……美少女のあ~ん……だと!?

 なんて破壊力なんだ。あまりの威力に視界がぼやける。だが美少女のあ~んを受け入れないわけにはいかない!フォークに齧り付くんだ、ルノア!!


 あむ。


 おいし~い!!


「おいしそうに食べてるね!!」

「ね、ねこにパンケーキを食べさせても大丈夫ですかね?」

「大精霊だから大丈夫」

「た、たしかにです」


 帝都一の喫茶店のパンケーキと美少女のあ~んのコラボレーションに俺は今にも昇天しそうだ。異世界転生、最高の瞬間、イン・ザ・帝都。


「いや~、帝都に来てよかったわ。このままあと数日、帝都を満喫しましょう!」


 そう、俺たちは思う存分帝都を満喫していた。裏でとある騎士が大変な目に合っているとも知らずに……。




「改めて、私はウィペット伯爵家現当主、ジャンクエッタ・ムル・ウィペットだ。ジャック殿、是非とも昨日のことについて礼を言わせてくれ。貴殿のおかげで民に被害が出ることはなかった。もし被害が出ていれば、上から私が小言を言われるところだったよ。本当に君には感謝しかない」

「い、いえ。恐縮です」


 俺はジャック。ただの平凡な実力の騎士だ。そう、平凡な実力の騎士。そのはずだったのに……、なんで俺は今伯爵家で伯爵様と会話をしているんだ。一体何を間違えてこんなことになったんだ。

 あぁ、周りの調度品がすべてピカピカに輝いていて眩しくて仕方がない。いったいこれらの調度品はどれほどの高級品なんだろうか。世界が違い過ぎて予測もつかない。


「あのような巨大なガーゴイルを消し飛ばすとは、君の実力は【十騎士】に勝るとも劣らないだろうな」

「じゅ、【十騎士】!?いえいえ、そんな実力は私にはありませんよ!」


 【十騎士】。それは帝国最強の騎士十人に与えられる称号だ。俺なんかがたどり着ける領域ではない。以前偶然にも【十騎士】の一人が戦う姿を見たことがあるが……文字通り、あれは世界が違った。


「ははは、そんなことはない。君の実力は私が分かっている。君はかの【十騎士】に匹敵する力を持っているよ」


 実力が分かってる!?分かってたら俺のこと呼ばねぇだろ!!俺なんて【十騎士】に比べたら足元にも及ばない!!【十騎士】がアダマンタイトだとしたら俺は路傍の石だぜ!?


「ところで……」


 ウィペット伯爵の目つきが変わった。先ほどまでは朗らかな雰囲気を放っていたが、今は人が変わったかのように鋭い目つきをしており、空気がピンと張りつめた気がした。


「そんな実力者の君に頼みたいことがあってね」

「頼みたいこと……ですか?それは一体どんな?」


 あぁ、何を頼まれるのだろうか。俺が【十騎士】に匹敵すると思われてる時点で嫌な予感しかない。


「あぁ、その説明なんだけど、その前に君にはある御方に会ってほしいんだ。説明はその御方がしてくださるだろう。内容は私も知ってはいるんだが……しかし、国家機密故に私の口からはどうしても話せないんだよ。伯爵では信用に足らないらしくてね。その権利が与えられていない」


 伯爵が『御方』と呼ぶ人物。……ウィペット伯爵は俺を誰に会わせるつもりだ?


「その、ある御方、というのは……」

「その御方はね、帝都全ての防衛を任されているんだ。いわば城壁付近の防衛を任されている私の上司と言えるだろう。その名は―――。


 ―――ウェスト・ムル・ダルメシア。帝国が誇る第二皇子さ」


 ……どうしてこうなった。

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