第2話 女騎士は猫が好き

 ダルメシア帝国北西部に位置する城塞都市『レパートエアロ』。穏やかな気候と周囲に生息する魔物の弱さ、それに反した都市を囲う城壁の堅牢さから帝国一平和な都市として有名である。

 平和を求め様々な人間がこの都市を訪れるため、物音や人声が絶えることがなく賑やかで、常に活気に溢れている。

 そんな都市レパートエアロだが、今日だけは別の意味で賑やかだった。




 帝国騎士団レパートエアロ支部に所属する女騎士、カンナ・ベルモットはいつものように騎士団支部で事務作業を行っていた。

 レパートエアロの犯罪率は極めて低いため、都市の巡回や城塞の守衛に回す騎士の数も少なくて済む。それ故に騎士団支部で事務作業を行う騎士も多い。カンナもその例に漏れず、今日も事務作業を行っているのだが……。


(今日も事務作業かぁ。別に事務作業が嫌いってわけじゃないけど、騎士にまでなってこれはなぁ……)


 カンナは心の中で不満を漏らしていた。騎士を目指す者の大半は英雄譚のような輝かしい活躍を夢見ている。そのため、事務作業では物足りなさを感じてしまうのだ。

 「早く事務作業が終わらないかなぁ」とカンナが考えていると、突如としてその作業が打ち切られることになる。予想外の凶報によって―――。


「団長っ!!団長っ!!」


(うわっ!……びっくりしたぁ。何事?)


 一人の騎士がどたどたと大きな足音を立てながらドアを乱暴に開けて支部へと入ってきた。その騎士は普段の飄々とした姿からは想像できないほど焦った表情で騎士団団長を呼んでいる。

 その様子から何かしらの緊急事態に直面していることは明らかだった。カンナは一体どんな要件なのか、何があったのかと冷や汗を垂らす。


「そんなに焦ってどうした?ジャック」


 帝国騎士団レパートエアロ支部を纏める騎士団長グレイが、焦った様子で自身のことを呼ぶ騎士ジャックに対して冷静に問いかけた。

 すると、ジャックは風呂の栓が抜けたかのように一気に話し出した。


「それが、ドラゴン……ドラゴンがこちらに向かって飛んできているんです!!このままじゃ、この都市の上空を通過するかも!!マジでヤバいです!!!」


(ドラゴン!?その話が本当なら緊急事態じゃないっ!!)


「ドラゴンだと!?ここら一帯はドラゴンの生息域ではないぞ!!見間違いじゃないのか!?」

「本当です!!私は確実にドラゴンの姿を視認しました!!団長も私のスキルは知っているでしょう!?」


 ジャックの報告に驚いた様子を見せる騎士団長グレイ。城塞都市レパートエアロはドラゴンの生息域から大きく外れているため、ドラゴンが都市近くを通ることなど今まで一度たりともなかったのだ。グレイが驚くのも無理はない。

 しかし、流石は団長を任せられるだけの男といったところか。グレイはその場にいた騎士全員に冷静かつ的確に指示を出した。


「……分かった。ならば今すぐに厳戒態勢を引くぞ!!総員、都市全域に大きな音や煙などを出さないように、そしてなるべく建物内に避難するように通達するんだ!!ドラゴンを決して刺激するじゃないぞ!!少しでもドラゴンの気を引いてしまえば都市に多大な被害が生まれることになるだろう!!分かったな!?」

「「「了解!!!」」」


(これは大変なことになってしまった!事務作業の方がよかったよぉ……)


 カンナを含めた騎士団員達はグレイの指示に従い、突如発生した緊急事態に対して速やかに対応を始めた。都市の住民を守る。ただそれだけのために。




「……行ったか」


 厳戒態勢を無事に引いてから数分後、ドラゴンがレパートエアロの上空を何事もなく通り過ぎていった。騎士団長であるグレイは姿が小さくなっていくドラゴンを見ながらほっと胸を撫で下ろした。カンナや他の騎士も同様だ。


「総員、よくやってくれた。被害なく、ドラゴンはレパートエアロを通り過ぎて行った。しかし念のため、このまま数十分は厳戒態勢を維持する。そうだな……今から三十分後、厳戒態勢を解く旨を都市全域に通達してくれ」

「「「はっ!!」」」


(何事も無くて、本当によかった)


 緊張状態から一転、カンナの心には安らぎが訪れた。そしてひとまず事務作業に戻ろうとするも、血の気が引いたような表情をしたジャックが視界の隅に入ったことで、それは遮られた。


「あれ?ジャック、どうしたの?」


 カンナがジャックの様子を訝しみ声をかけると、カンナ以外の人間もジャックの異常な様子に気が付き始めたのか、周囲の人間もジャックに視線を向けた。

 しかし、ジャックは注目を集めていることにも気が付かない。それほどに余裕がないのだ。そして、ジャックはゆっくりと、まるで口にすることさえも恐ろしいかのように、ゆっくりと口を開いた。


「ド、ドラゴンが……」

「ドラゴンが?」

「ド、ドラゴンが北の草原に着地したんだ!!」

「え!?」

「なに!?それは本当か!?」


 カンナがジャックの言葉に驚くと同時に、二人の会話を聞いていたグレイがジャックに真偽を問う。


「ほ、本当ですよぉ!!というか、このやり取り今日二回目ですよ!?どんだけ私は信用されてないんですか!!」

「あぁ!!あんまり信用してないぞ!!酒のつまみ代を経費に入れる男を信用するか?しないよなぁ!!」

「な、なんでその事を!?」


(うわっ、ジャックってそんなことしてたんだ……。あんまり関わるのやめよ)


 カンナを含める騎士達に絶対零度の視線を向けられたジャックは急いで話題をそらした。


「って、そんなこと話してる場合じゃないですよ!!ドラゴンが北の草原に着地するところを見たんですって!!」

「……北の草原っ!!ある程度この都市から離れているにしてもまずいな!!もしドラゴンが何かの拍子で暴れでもしたら被害は甚大だ!!くそっ、どうするべきか。……よし、ドラゴンが北の草原から飛び立つまで厳戒態勢は解かない。そして、我々は草原に行きドラゴンの様子を確認することとする。刺激しないように遠くからだがな。北の草原に向かうメンバーは隠密が得意なカンナと監視が得意なジャック、そして俺だ。二人とも、いいか?」

「「はい!!いつでも行けます!!」」


 カンナとジャックは少しの間も置かずに息を揃えて返事をする。二人の覚悟を感じ取ったグレイは満足げな笑みを浮かべた。


「時間を無駄にはできない!!すぐに出発だ!!俺がいない間の指揮はエリンスに任せる!総員、エリンスの指示に従うように!!では―――行ってくる!!」


 そうして、カンナ、ジャック、グレイの三人はドラゴンが着地した草原まで急いで駆けた。万が一にもドラゴンを刺激するわけにはいかないため馬は使わず、自らの足で音を消しながらの行動だった。




「……見てください団長、本当にドラゴンが草原にいますよ」

「あぁ、そうだな。ジャックからの報告だったゆえに、もしかしたら嘘なのでは思っていたが、まさか本当にいるとはな」

「あの……酒のつまみ代を経費にしたことは謝るので、嘘つき呼ばわりだけはやめてくれませんか?」

「「いやだ」」


 カンナ達はドラゴンに聞こえないように小声で会話をする。そして、刺激をしないように身を潜めながら観察を続けるも、全く動く様子の無いドラゴンに違和感を覚えた。


「まるで石像のように動かないですね……。もしかして寝ているのかな?」

「団長、ちょっと移動して横から見てきます。この位置だと背中しか見えないので」

「あぁ、頼んだ。決してドラゴンを刺激するなよ」

「分かってますって」


 ジャックはがドラゴンの顔を正面から見える位置まで移動を開始した。数十秒後、おおよそ顔が正面から見える位置に到着すると、ジャックはドラゴンがいるのにもかかわらず大声で騒ぎ始めた。


「団長!!団長!!」


 ドラゴンを刺激する行動に出たジャックにグレイとカンナは冷や汗をかきながら注意する。


「バカッ!!大きな声を出すな!!」

「ドラゴンを刺激してどうするのよ!!」

「違うんです!!ドラゴンの頭がないんです!!首から上が消滅しているんです!!寝ているんじゃない!!このドラゴンは死んでいるんだ!!」


 とても信じられないことを大声で話し出したジャック。カンナとグレイは完全に引いている。


「団長……ジャックの頭がおかしくなりました」

「そうだな……。もうあいつは手遅れかもな、解雇しよう」

「ちょっと!!やばい奴扱いだけはやめて!!心が持たないから!!そんなに信じられないならこっちから一緒に見てくださいよ!!」


 カンナとグレイはジャックの言葉に仕方なく従い、ジャックがいる場所まで移動する。そしてドラゴンへと視線を向けると、首から上、つまり頭を無くしたドラゴンの姿が目に入った。ジャックの言う通り、ドラゴンは本当に絶命していたのだ。


「本当だ……。ドラゴンが死んでる」

「……これはいったいどういうことだ?頭を失くしたドラゴンが倒れている。つまり、この草原のどこかにドラゴンの頭を吹き飛ばせるほどの強大な何かがいるということか?うーむ、俄かには信じがたい。夢を見ていると言われて方が納得できる」

「あの、ドラゴンの周りは安全そうですから、もっと近くで見てみませんか?」


 ジャックの言葉にグレイは悩むような素振りを見せるも頷いた。そして三人は恐る恐るドラゴンの死体に近づいていく。

 異常な緊張感からか、非常にゆっくりと、体感では数分かけてドラゴンの死体に近づいている感覚であったが、実際には僅か数十秒で死体のすぐそばに到着した。


「これは……間違いなく死んでいるな。他に傷も見えないし、死因は頭を吹き飛ばされたことに間違いないな」

「この死体、損傷がほとんど見られません。一撃で頭を吹き飛ばされて死んでますよ」

「間違いなく、異常事態だ。すぐに帰って対策を練るぞ。この件に関しては帝都まで報告する必要がありそうだろう。それにしばらくは城塞の守衛を増やさなければならない」

「ドラゴンの死体は保護しておいて後で取りに来ましょうよ。これほど損傷の少ないドラゴンの死体。きっと金になります」

「それもそうだな。『結界』っと。―――さて、ドラゴンを殺した謎の存在が近くにいないとも限らない。すぐに帰るぞ。……って、カンナ、お前何してるんだ?」


 カンナはドラゴンの首から溢れた血でできた血だまりを凝視していた。


「見てください団長、この血だまりの先!!猫の足跡ですよ、これ!!」


 カンナが指をさした先には血で出来た肉球の跡が続いていた。


「それがどうしたんだ?猫がたまたまこの辺を歩いていただけだろう」

「それが変なんですよ。私はこの肉球の形、見たことないんです」


 カンナの言葉にジャックは首を傾げる。


「は?この肉球のどこが変なんだ?普通の足跡だろ」

「これだからジャックは……。あのですね、私はレパートエアロ周辺に生息している全ての猫の肉球の形を記憶しています。ですが、この肉球の形は見たことありません。突如現れた新たな猫、そしてドラゴンの死体。到底無関係とは思えませんね。名探偵カンナの出番ってわけですか……」

「ちょ、ちょっと待った。カンナ、お前はここら辺に住んでいる全ての猫の肉球の形を記憶しているってか?冗談だろ?」


 ジャックは引きつった顔でカンナにそう問いかけた。その問いに対して、当たり前だといった様子でカンナは回答する。


「冗談じゃないわ。世界一の猫好きを名乗るには、これくらいは序の口よ」

「そ、そうか」


 カンナの発言の異常さを認識しながらも、ジャックは会話を円滑に進めるために無理やり頷いた。グレイの顔も引きつっている。


「ま、まぁ新しい猫がたまたまこの都市に来ただけじゃないか?さすがに猫がドラゴンを一撃で殺すなんてことはあり得ないからな。ほら、お前らさっさと帰るぞ。まだドラゴンを殺した怪物がここら辺をうろちょろしているかもしれないんだからな」

「はい」

「は~い」


 カンナはグレイの言葉に納得いかないかのような表情を見せるも、指示には素直に従った。実はカンナの予想は大的中しているのだが、その事実を知るのは少し先の話になるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る