第3章 - ② 妖狐因子

「わたしたちに流れるキツネの血。それが目的なの……」


「キツネの血?」


――恋しくば 尋ねきて見よ 和泉いずみなる 信太しのだの森の うらみ葛の葉――


 礼央の問いかけに、葛葉はとある和歌をそらんじてみせた。


「ご存知ですか、先輩?」

「ああ、それって晴明の有名な逸話の……。そうか、晴明の母親は……」

「そう。キツネの化身、葛の葉姫。わたしの名前の由来でもある偉大なご先祖様」


 ――葛の葉伝説。


 狩人かりゅうどに追われた白狐が男に救われる。その後、白狐は『葛の葉姫』という名の美女に化け、男とのあいだに一児をもうける。家族仲良く平穏な日々をおくる『葛の葉姫』であったが、子が五歳になった時、ふとした事件がきっかけで、子に正体がばれてしまう。山に帰らなければならなくなった『葛の葉姫』が別れの際に詠んだとされる和歌が「恋しくば……」である。


 この歌のとおりに信太の森を訪れた子は、母と再会し、莫大な霊力を授けられる。子は長じて安倍晴明と呼ばれる陰陽道の大家となったという。

 これが浄瑠璃や歌舞伎の演目で語られる晴明誕生のエピソードだ。


「でもよ、さすがにそれって創作だろ。史実なわけ……」

「確かに礼央くんの言うように、安倍晴明の出自についてはいろいろな説があるわね。当時、政治の実権を握っていた藤原家と繋がりのある人物だとか、霊能力に優れた白拍子だとか、もっともらしい仮説はいくらでも。『葛葉くずのは伝説』って、一番有名かつ筋も魅力のある話なだけに、いろいろ盛りすぎっていうか、ファンタジー色が強くてリアリティーがないのは確か。だけど、フィクションが全て嘘でできているとは限らない」


 西中島がすかさず加えた補足説明に、礼央はうなずかざるを得なかった。これまでのをふまえれば、おとぎ話を『作り話』の一語で片づけることなどできなくなる。


「陰陽師が実在してるわけだから、キツネと人間の子どもが実際にいてもおかしくはないか」

「ええ、全てが正しいわけじゃないとは思うけど、でもね、やっぱりこの話には事実も含まれているの。それを証明するのがわたしたちの血……」


「――妖狐因子フォックスファクター


 くろこが、葛葉のあとをついで、ある単語を発した。


「晴明様の血を引く一族の中でも、ごくまれにしか出現しない特性を持つものがいるんだ。その因子を持つものにしか、ぼくたち妖狐を使役することはできない」

「それが無貌の目的っていうの? でも、あなたたちがレアな能力者ってのはわかったけど、それがどう国際テロリストと関係するのかさっぱりわからないわね」


 メリッサが疑問を口にする。その意見には礼央も同感だ。


「ぼくたち妖狐には大きくわけて善狐と野狐の二種類がいるんだ。晴明のお母様である白狐様やぼくのような黒狐は善狐。人間の味方さ。対して野狐は人に災いをもたらす邪悪な存在。人に化けて世を乱したりするんだ」

「妖狐っていえばどっちかってーと、そっちのイメージのほうが強いよな。尻尾が九本あって、絶世の美女に化けて権力者をたぶらかす存在」


 礼央は漫画で得た知識を口にする。名前までは思い出せなかったが、くろこがすぐに答えを教えてくれた。


「そう、玉藻前たまものまえだね。白面金毛九尾はくめんこんもうきゅうびの狐。野狐の代表格だ。その九尾の狐が退治されたときに生まれたとされるのが殺生石。あらゆる生物を殺す毒を放つ石さ」

「その毒のもととなる成分こそが妖狐因子。正確にはわたしたちの血にふくまれた妖狐因子が邪気によって変じてしまったものなの……」


「それって、つまり……」

 メリッサが、普段見せない真剣な眼差しをくろこにむけ、話の先をうながす。


「そう、わたしたちの血液から殺生石を生成する。無貌の目的はそれしか考えられない」


「……生成ったって、どうやんだよ」

「簡単なことよ、礼央くん。妖狐因子を持つものがこの世に恨みや後悔を残して非業の死をとげる。それだけで妖狐因子は邪気をおびて、瘴気を発する」


「そんなことは絶対させねえ!」


 西中島の言葉に礼央は全身が粟立つような悪寒と憤りを覚えた。今にも太一を探しにこの場を飛び出していきそうな勢いだ。が、続く葛葉の言葉に礼央は再び椅子に腰を落ち着けた。


「うん、無貌の企みは何がなんでも阻止してみせる。あいつにわたしたちの血を利用させるつもりはないの」


 礼央をなだめるかのように静かな口調で話す葛葉だが、その奥底には礼央に勝るとも劣らない激しい怒りが渦巻いているように思われた。この場でもっとも不安なのは彼女なのだ。ここで礼央だけ飛び出していったところで何ができるというのか。今は何をなすべきか話しあう時間だ。そう言い聞かせ、心を落ち着かせた。

 礼央が冷静さを取り戻したのを確認すると、くろこは新たな議題を俎上そじょうにのせる。


「ただ、まだひとつわからないことがあるんだよね。殺生石は猛毒としては強力すぎて制御しにくいんだ。殺生石を使って何かをするなら、毒素をいったん抑制し、扱いやすくするための器が必要になるはずなんだけど……」

「いいところに気づいたわね、くろこ。おそらく解決策があるからこそ、無貌は今回の暴挙におよんだのでしょう。すでにそれは無貌の手にあるのかもしれない。でも、まだ手にしていない可能性もある」


「そうか、ヒノさん。無貌がその器を入手してるんなら、太一を生かし続けるメリットはあまりないってことだよな。器を持ってるならまずは太一の分だけでも回収しちまうほうが確実だ」

「うん、太一様の無事はこのボクの召喚が維持されていることでも証明されてるしね」


 礼央の発言にくろこが小さな手で自らを指し、大きく頷いてみせる。愛らしい仕種が緊迫した雰囲気を和らげた。


「葛葉ちゃんの目の前で愛するお兄様を……ってことで、より深い絶望を演出するってのも考えられるけど」

「メリッサ、こんなときに意地の悪いこといってんじゃねえよ。仮にそうだとしても、生かし続けることで、逃亡や反撃の機会を与えるリスクのほうがでかいだろうが」


 いつもの調子を取り戻したメリッサに、礼央もいつものように苦笑で返す。

 太一は生きている。ならば、助けることができる。あとは行動するだけだ。


「ま、そうね。ってことはやっぱりすべては器を手に入れてからってことか。現地調達ってことは……」

「ええ、どこかにあるはずよ。殺生石をコントロールする器がこの学園のどこかに」

「おう。まずはそれを手に入れねえとな。無貌より先に」

「なんとしても、器とお兄ちゃんを見つけだすの」

「やることは決まったわね。まず、礼央くんと葛葉ちゃんは図書室にいって学園史関連を探ってみて。くろこもふたりのサポートをお願い。わたしとメリッサは地域史記念棟を調べてみる。大和くんたちにはこのまま太一の捜索と情報収集をお願いしましょう」


 方針は決まった。このまま無貌の好きなようにやらせはしない。反撃開始だ。


「キー、オレたちを忘れてんじゃねえ! て、あの、いかないで! いかないでったら! お願い! 縛ったままはやめて」

 張り詰めた空気を壊すように、小鬼の情けない声が割って入った。


「って、途中からマジでこいつらのこと忘れてたわ。どーする?」

「んー、ほっといたら?」と、メリッサは素っ気ない。

「あ……、あのオレたち、多分もう戻れないんで、連れてってください。精一杯頑張りますんで……」

「そう言われても……、あんたたちなんかうざいし」

「あー! もうお前らずっと隅っこでノビてろよ、めんどくさい!」

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