第1章 - ⑤ 壱絆葛葉(いずなくずは)は華がある
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――しづやしづ しづのおだまきくりかえし むかしをいまに なすよしもがな――
少女がひとり、和歌を吟じながら舞っている。舞台は教室内に急ごしらえで設置した、ベニヤ板を重ねただけの簡素な作り。だが、少女の存在が、舞台を――教室そのものを厳かな空気漂う聖域へと変えていた。
頭上に
舞台奥には鎌倉時代風の衣装をまとった六人の男女が控え、固唾をのんで少女の舞を見つめている。
少女に真剣な眼差しを注ぐのは舞台上に座したものたちばかりでない。客席最前列中央に陣どった
少女の足さばきはぎこちなく、危なっかしい。舞の技量は稚拙と評してよいだろう。
だが、和歌を吟じるその声は極上の鈴を震わせるかのような美声。何より新月の夜空のような黒髪と、新雪の透きとおった白を思わせる儚げな面ざしが、見るものの視線を少女へと否応なしにいざなう。
美月は心の中でガッツポーズをとった。これは、いける! 中等部演劇部門の優秀賞はもらったもドーゼンね! ひょっとしたら総合最優秀賞だってとれるかも! 自分が演出・脚本を担当した演劇『怪談・新平家物語―しづやしづ―』の成功を確信し、思わず笑みがこぼれでる。
美月とて美少女といって差しつかえのない容姿。大きな瞳と親しみやすい丸みをおびた輪郭は彼女の活発な性格がよくあらわれている。幼さの残る顔立ちとは対照的に、胸部だけは同年代の少女たちよりもはるかに発育面で恵まれている。実際、美月は知らないことであるが、クラスの男子の間では葛葉に次ぐ高い支持率を得ている。
しかし、美月は静御前を演じるための資質を自分が持ちあわせていないことを自覚している。美月にないもの。神秘性。美月は葛葉以外にその稀有な特性を持つものを知らない。
舞台は中盤最大の盛り上がりを迎えたところだ。捕らえられ鎌倉につれてこられた静御前が、源頼朝に舞を披露するように要求される。美月は怪談ものという条件をクリアするために、平家の怨霊にさいなまれた頼朝が、『日本一』と称えられるほどの霊力を持つ静御前に、退魔の舞を所望するというアレンジを加えた。
もちろん、静御前にとって頼朝は愛する義経様の仇。すんなりと要求をのむはずもない。命にそむいて義経への思慕を込めた和歌を吟じる静御前に、頼朝は怒り狂い、一転してこれは呪殺の舞ではないかと震えあがるという重要な場面である。
さらに通し稽古は続く。平家の怨念にさいなまれ狂気へとひた走る頼朝と、静御前に女として共感と敬意をいだきつつも激しい嫉妬の炎を燃やす政子の思惑がからまりあい、物語は悲劇へとひた走っていく。
頼朝役の熊野くんも政子役の諏訪さんも演技はたどたどしい。葛葉でさえ動きと表情から硬さはとれず、いまだ喋るセリフは棒読みに近い。言ってしまえば、中学生の素人芝居の域は出ていないと、美月は客観的に評価する。
そもそも中学生が、登場人物の複雑な心情をくみとって演じることができる内容でないのは、脚本を書いた美月自身がよくわかっている。
ただ、葛葉には他を圧する華があった。確かな演技力と万人に愛される容姿を持つ美月がただひとつ備えていない、葛葉のみに与えられた神秘性と言う名の武器。それだけで劇の成功は約束されたようなものだ。
「はい、そこまで! 休憩しましょっ! クズちゃん、サイコーだったよ!」
通し稽古が終わると、美月は立ち上がり、拍手で主演女優を褒めたたえた。
「ありがとなの、ミッキー。でもさ、踊りとか変じゃなかったかな……。セリフも何回か噛んじゃったし……」
裏方役から渡されたおしぼりで汗をぬぐいつつ、葛葉が美月に話しかけてきた。葛葉の手には美月の分のおしぼりも握られている。よく気が利く子だ。
「うん、その点はまだまだだね、クズちゃん。でもさ、人をひきつける天性の才能があるとわたしは見たね。今はまだ大根かもしれない。ハムかもしれない。だけどね、わたしは予言する。クズちゃんはいずれ大女優として名をはせる。そして、水無瀬美月も天才演出家兼劇作家として有名になるんだ。水無瀬美月が大女優壱絆葛葉を中学時代に見いだしたエピソードは、いずれ演劇界の伝説として語り継がれるであろう! ね、素敵でしょ!」
受け取ったおしぼりを振り回しながら、美月は熱弁をふるう。
「えっ! えっ! あの、その、ミッキー。テンション高いよ……うん、でも、その未来予想図は、なんだか……、うん、とっても素敵なの……」
「でしょ、でしょー。だからさ、まずはタレント事務所のオーディションに履歴書送ってみない? 推薦状はわたしが書かせてもらうから! クズちゃんならどこのアイドルグループでも選び放題だよ」
「うーん、それは遠慮するね、ミッキー。その……、そうなると、お兄ちゃんがとても困ってしまうの」
「えー、もったいなーい。わたしが直接、壱絆会長に掛けあっちゃおかな。妹さんをこの水無瀬美月にお任せください。必ず幸せにしますからっ、てねー。てねー」
テンションをひたすらあげていく美月と、やや引き気味ながらも楽しそうに笑う葛葉。教室内ではお馴染みとなった光景だ。いつもならクラスメイトたちはそっと生暖かく見守っているのだが、この時は珍しく、ふたりの世界に割って入る声があった。声の主は教室の入り口付近にいる男子生徒だ。
「おーい、盛りあがってるところすまねーけど、壱絆さーん。そのお兄様が呼んでるぞー。水無瀬、なんなら今その交渉やってみたらどうよ」
「ムリー! って、乙女の会話を立ち聞きしてんじゃないわよ!」
「って、おしぼり投げんな! バカ! お前の声がでかすぎるせいだろーが!」
水無瀬の顔が途端に真っ赤に染まる。うっわー、また、まわりが見えなくなってたー。恥ずかし。廊下まで聞こえてたらどうしよ。ああ、それより今は葛葉か。
「愛しのお兄様が訪ねてきてるんでしょ。ほら、しばらく休憩にするから、会ってきなよ」
「うん! ありがとなの、ミッキー! じゃあ、ちょっと行ってくるね」
満面の笑みを浮かべ、扉へと駆け寄る葛葉に、今度は美月が苦笑する。
扉の隙間から、妹を待つ高等部生徒会長の姿がちらりと見える。
その整った容姿は少女歌劇のトップスターもかくや。同級生なら、義経役を是が非でもお願いしたのに。その上、学業とスポーツの双方に優秀な成績を残す万能ぶり。均整のとれた体格と姿勢の良さが補って、身長も実際よりも高く見える。女性の思い描く理想の男性像が、ほぼ完璧に近い形で実体化したような存在だ。
そりゃあ、かなわない。でも、いつかは葛葉をあなたのもとから、さらってみせるんだから。美月は胸に秘めた目標を再確認し、人知れず闘志を燃やした。
◆
『会長をさらうって、また大胆なことを考えたっすね、先輩。で、実際どうやるんです』
「市ヶ谷、そーいう細かいことはヤマトにきいてくれ。このあと、あいつがブリーフィングで説明するから。それより、とっとと壱絆を見つけちまわねーとな。生徒会室に行ってみたけど、誰もいなかったんだよ。お前、なんか知ってる?」
『さあ、中庭のほうで酒持ちこんでたの、バレた連中がいたそーなんすけど、あれ、見つけたのどうも会長らしいんですよね。なら生徒指導室ですかね。それか、妹さんに会いにいったんじゃないですか。カッワイーんすよねー。葛葉ちゃん』
「あー、別にお前の好みはきいてないから。つーか、メリッサの下僕じゃなかったのか、お前は。節操ねーな。ま、とりあえず中等部棟に寄ってみるわ。じゃ、切るぞー」
『うっす。あ、それから、会長の下っ端のふたり、名前なんでしたっけ。まあ、いいか。神社方面に向かってたみたいなんで、なんならそっちもあたってみたらどーです。あ、それから入場ゲートは見てくれましたか? おれ、制作に参加したんすよ。力作なんでじっくり見てください。じゃ、また報告待ってまーす』
今ちょーど、そこなんだけどな。と言う前に通話が切れた。礼央は正門に設置されたアーチ型のモニュメントを見あげる。より正確には入場ゲートに絡みつく、巨大などくろを模したオブジェを。
漫画やアニメなどで『がしゃどくろ』の名で親しまれるようになった妖怪だ。
門の頂点には星辰学園の校章があしらわれている。大円の周囲を一回り小さな八つの円が取り囲むそのデザインは、
この学園の連中はどうしてこうも凝り性なのだろう。礼央はがしゃどくろの迫力に感嘆を超えて、あきれてしまう。
入場門付近を行き交う生徒たちの仮装もクオリティーが高すぎて、子供が見たら大泣きするレベル。近隣の住人から苦情がくるんじゃなかろうかと不安になる。
例えば、あのゲート横を通って入ってきた白コート。あいつの仮面の模様はちょっと雰囲気出しすぎじゃないだろうか。あの異様さに比べたら、アメリカ海軍特殊部隊を意識したおれのコスチュームなんて空気だよな。M4A1カービンは部室に置いてきてあるし、武器は腰に下げたハンドガンタイプの電動エアガンのみ。周囲に威圧感を与えそうな要素なんて、迷彩柄のジャケットとパンツぐらいなもの。
ところがあちらときたら、人間が表情を作る上で大切な器官を目以外そぎ落とし、かわりに魔よけの
あの姿のまま学外に出ていたとしたら、かなりヤバい。通報されてもおかしくない。
礼央は、異様な存在感を放つ白コートの仮面に自然と視線が吸い寄せられ――
全身が凍りついた。
すれ違いざまに視線が交錯したその瞬間、礼央の背筋をすさまじい悪寒が駆けぬけた。心臓を鷲づかみにされたかのような痺れには、錯覚ではない確かな衝撃があった。
面の隙間からわずかに見えた双眸――
それはどこまでも暗く、深い――底なし沼のような――
なにをビビッてるんだ。ちょっと完成度の高いコスプレごときでだらしない。とりあえず壱絆を見つけて、申請書を渡してしまわないと。鼓舞するようにおのれに言い聞かせると、礼央は雨雲に覆われた空を一度見上げたあと、細部まで詳細に書きこんだ申請書類を左手でヒラヒラさせながら中等部棟へ歩を進めた。
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