第3章 - ④ 妖刀・鬼恩丸


 ◆


 左腕にはめた軍用時計は午後九時半をさしていた。太一が密室に閉じこめられてから、かなりの時間が経過したことになる。


 負傷による痛みがやわらいだこともあり、今は自由に身体を動かせるようになった。礼央の肉体の扱い方にもかなり慣れた。


 部屋の様子をあらためて観察する。

 二畳くらいの非常に狭い空間だ。用具入れとして使われているのだろうか。剥き出しのコンクリートが寒々しい。窓はなく、扉の隙間からこぼれるわずかな月明かりのみが頼り。鉄製の扉はいかにも頑丈そうで、体当たりなどの手段では破壊できないだろう。


 柱の高さがそれぞれ不揃いなため、天井と床がゆるやかに傾斜し、四隅に奇妙な角度が生じている。精神に何とも表現しようのない圧迫感を与える奇妙な構造。西洋式呪術をさらにアレンジして生み出した結界か……。


 部屋を構成する全ての要素を数学的に解析すれば脱出の糸口をつかめるかもしれないが、そのためには古今東西ありとあらゆるオカルトと科学に精通している必要がある。陰陽道のエリートといえど、そこまでの知識と経験は積んでいなかった。


 結局、物理的にも呪術的にも自力での脱出は困難と判断をくだす。救助を待つ以外に手はない。現時点で幽閉場所や敵の目的について考えること以外にできることはないのか。

 いや、ある。礼央に関することだ。監禁場所から脱出を試みたことで、彼について気づいたことがひとつあった。


 どうして今までそのことに思い至らなかったのか……。


 太一は、再び礼央の腕時計を――左手を注視する。

 ここから脱出できたなら、まず彼に謝らなければならない。事件に巻きこんでしまったことだけではない。礼央の事情を考慮せず、自身の理想を勝手に押しつけていたことを。太一は知ることを恐れ、目をそらしていたのだ。礼央が野球をしたくてもできないという事実から。


 ◆


 礼央たちが尋常ならざる少女の悲鳴を聞いたのは、三階に到着するのと同時だった。


「こっちだ! ぼくについてきて!」


 くろこが式神ならではの聴覚で悲鳴の発生源をとらえ、すぐさま駆けだした。礼央と葛葉も、あとに続く。


 くろこは職員室前で立ち止まると、首を扉に向け、ふたりに開けるよう合図を送った。

 礼央が扉を乱暴に開くと、少女がひとり、かなりの人数に取り囲まれている場面に出くわした。床に転がる少女の靴や割れた酒瓶が、ただならぬ状況であることを物語っている。


 少女を包囲した連中の動作はぎこちなく、「あーぁ」と呻き声をあげるさまは、自我を保った人間とはとても思えない。身体のどこかに傷をおったものも多い。オカルトの素人である礼央にも、彼らが何者かに憑依されたかどうかして、操られているのは一目瞭然だ。まるでゾンビの集団。サバゲー部の企画したお化け屋敷『ハウス・オブ・ホラー』が現実化してしまったかのような錯覚を礼央は覚えた。


 ――趣味の悪い冗談だ。笑えねえ。


「ミッキー!」


 葛葉が少女の素性に気づき、声をあげた。

 美月も葛葉の方を向き、驚きの表情を浮かべる。何事かを告げようと口を動かすが、緊張で声帯が思うように機能しなくなったのか、その声はかなりかすれて発せられた。


 しかし、その声は葛葉に確かに伝わり、礼央もかろうじて聞き取ることができた。


 ――くずちゃん、逃げて! そう聞こえた。


 「助けて!」ではない「逃げて!」だ。このような状況にあってなお、自分より友達の身を案じる少女がいることに、礼央は心を打たれた。


 もちろん、葛葉にも『逃げる』という選択肢はない。たとえ、あやかしに対抗しうる充分な能力を持っていなくても、ここで親友を見捨てて逃げ出すような性格ではないのだ。


 葛葉は腰に下げた得物に手をかける。一振りの日本刀だ。大きく反り返った刀身を黒漆で塗った革の鞘が包んでいる。


「友達か?」

「親友なの」

「じゃ、何が何でも助けねえとな。援護はおれに任せろ!」


 おもむろに礼央はM4A1カービンのトリガーを引いた。

 前方にいた数体が退魔仕様BB弾の直撃を受け、凄惨なうめき声をあげて次々とその場に倒れていく。包囲網の一角があっさりと崩れた。


「葛葉! くろこ! 今だ、つっこめ!」


 葛葉が地を蹴った。開けた道を一気に駆け抜ける。操り人形たちが道を塞がんと、どっと押し寄せるが、葛葉の得物が凄まじい速度で鞘走り、白刃が続けざまに閃めく。操り糸が断ち切られたかのように、立ちはだかった敵が倒れていく。


 倒れてもなお葛葉の疾走を邪魔しようとする者は、くろこが尻尾や前足による追撃で黙らせる。

 見事な連携により、ひとりと一匹はあっという間に美月のもとへと到達した。



 ◆


「ミッキー、大丈夫なの?」

「う、うん!? くずちゃん! えっ、えっ、どういうこと?」


 美月は葛葉の手にした日本刀を指差して、その目を丸くした。脚本執筆のために参考資料として読んだ本にのっていた刀だ。確か相当な業物のはず。


 小丁子乱こちょうじみだれの優美な刃文はもん。およそ八〇センチの刃長はちょう。名は鬼丸国綱おにまるくにつな天下五剣てんがごけん一振ひとふりに数えられる銘刀めいとうである。

 友達が刀を手にしているだけでも不思議なのに、その上、凄まじい剣技の冴えを見せつけたのだ。驚くのもムリはない。


 ――確かに身体能力の高い子だけど、でも、剣の達人だなんて聞いたことがない。会長は銃なんか振り回してるし、どうしちゃったんだろう。なんだか喋り方も乱暴で、すっかりキャラが変わってる。それに、このかわいらしいキツネさんはいったい? 


「えっと、どこから説明したらいいのかな」

「「「「「どーよ、オレたち、ちゃんと役に立ったろ! キキキ!」」」」」

「ヒッ! 喋った!」

 突如、人語を発した刀に、美月はさらに目を丸くする。


「ややこしくなるから喋らないでなの!」

 葛葉が刀に向って一喝する。


「「「「「あー、わーった、わーったから怒鳴らねーでくれ! っと、そこの嬢ちゃん。オレたちのことは『鬼恩丸おにおんまる』とでも呼んでくれや」」」」」

「黙りなさいって言ってるの!」


 困ったというように頭を抱える彼女を見て、美月はこんな状況だというのに、――クズちゃんってこんな一面もあるんだ、かわいいな――と思った。


 ◆


「青いタヌキのポケットに入ってるひみつ道具みたいなもんだ! 劇場版で活躍系の! そういうことにしといてくれ! 驚くのはあとにして逃げようぜ!」


 礼央が叫ぶ。まだかなりの数の敵が残っている。危険な状況に変りはない。まずは安全の確保が先決だ。事情説明はここを脱出してからだ。


「ミッキー! とにかく今はついてきて!」

 葛葉が礼央に頷き返して、美月の手を引いた。


 礼央のもとに戻ろうとする葛葉たちに操り人形が追いすがるも、再び白刃一閃。葛葉の背後に迫った敵を鬼恩丸が打ちのめす。

 まるで刀自身が意思を持っているとしか思えない一撃だった。


 ――役に立つなんてもんじゃねえ。チート性能すぎんだろ。


 葛葉の、いや正確に言うと小鬼たちの活躍に、礼央は感服する。

 自動であやかしの動きを追尾して斬りつける刀。

 その正体は、鬼丸国綱の有名な逸話――部屋に立てかけてあった鬼丸が動いて、火鉢に化けた邪鬼の首を落としたという伝承を応用した妖刀『鬼恩丸』。西中島が鎌倉出張の際に趣味で購入した模造刀に、小鬼たちの魂を融合させただけの簡単製法。


 小鬼が鬼斬りの銘刀に化けるというのはいささか皮肉めいているが、鬼のおんによって、おんを斬るとても頼もしい武器なのだ。


 鬼たちが独自に状況を判断して行動してくれるので、そこそこの筋力さえあれば誰でも剣術の達人になれる。しかも、憑依された人間の肉体を傷つけることはなく、攻撃はあやかしのみに効く。まさにみんなの夢を叶える便利な道具だった。難点と言えば、鬼たちが恩着せがましいことぐらい。

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