第2章 - ④ タマネギ五玉の袋詰め


 ◆


 太一は暗闇の中で目を覚ました。


 昔の夢を見ていたようだ。楽しかった日々を過ごしていると思ったら、いきなり暗黒に落とされひたすら彷徨さまよい続ける。そんな夢だ。だから目覚めたあとも、しばらくはまだ悪夢の続きを見ているように思えた。


 だが、肩と脇腹に感じる鋭い痛みはまぎれもない現実。さらに、自由に身体を動かすこともできなかった。どうやらロープで後ろ手に縛られているようだ。


 脳が覚醒し、意識を失う直前の光景が蘇る。

 現在の状況と照らし合わせて考えるに、仮面の不審者によってどこかに閉じこめられているのだろうと、現状を結論づけた。


 ロープから抜けだそうともがいているうちに、徐々に目が慣れてくる。どうやらこの部屋は完全な暗闇ではないようだ。扉があり、その隙間からかすかに明かりが漏れている。


 自分の服装が目に入る。いつも着用している純白の学生服ではない。軍人が着るような動きやすい迷彩服。


 これにはさすがの太一も戸惑った。


 やがて、バカげてはいるが、決してありえなくはない仮説が浮かんだ。


 後ろ手に縛られた状態で、コンバットパンツのポケットに手が届かないかどうか試してみる。礼央ならアーミーナイフでも隠し持っているのではと推測しての行動だったが、もともと所持していないのか、無貌に取り上げられたのか、刃物類はどこにも入っていない。


 代わりに役立ちそうなものを見つけた。そっと取りだす。一度地面に落としてから、体勢を変え、目をこらしてじっくりとそれを観察する。


 ――問題ない。これなら使えそうだ。


 そう判断すると、太一はすぐさま、作業に取りかかった。


 ◆


「ってぇー、こいつらちょこまかと!」

「……先輩はさがっててなの! お兄ちゃんの身体を傷つけないで!」

「借り物に傷はつけねー! それは約束する!」

「キッー、キッ、キィッー! とろい、とろいなぁ、コイツら」


 勇んで前に出てみたものの、役に立てているとは言えない状況だった。


 中学時代、荒れていたこともある礼央は喧嘩慣れならしているつもりだ。

 直線的な動きと曲線的な動きの織り交ぜ方、体重移動のたくみさなどはボクシングジムのトレーナーに絶賛されたほどだ。特に左からの一撃を警戒させておいて右ストレートでしとめる戦法は初見殺しの必勝のパターン。


 現に小鬼たち目掛けて放つストレートやフックの切れ味は素晴らしい。並みの不良やチンピラ程度なら一撃でノックアウト可能だろう。慣れない別人の身体をここまで動かせているのも賞賛に値する。

 だが、人間相手の戦法が通用するほど、あやかしは甘くはない。


「てっ、こいつら、普通に殴って効き目あんのか」

「いちおう、物理攻撃は可能。ただ、普通の人には難しいと思うの……」


 影山と明海に惨敗を喫した小鬼たちといえど、単純な身体能力では人間をはるかに上まわる。加えて小柄な体型を存分に活用していた。礼央が繰り出すパンチはことごとく空を切る。


 一方、葛葉だが、こちらも不利な状況だ。

 学園祭でにぎわうこの時期、校内に紛れこんだあやかしの対処に追われるのは、葛葉たち陰陽師にとって恒例行事。そのため、呪符はいつも以上に用意していたのだが……。葛葉が放つ術は、一匹をとらえたかと思えば、すかさず別の一匹が術の妨害に入るという見事な連携に翻弄され、狭い保健室内を縦横無尽に駆け巡る小鬼たちに一向に届かない。得意の金縛りの術も、発動までに時間がかかりすぎて動き回る敵には役に立たない。


 実のところ、葛葉の陰陽師としての実力は、太一に大きく劣ってはいない。むしろ単純な霊力だけなら太一を凌駕する。反面、強大な力であるがゆえに、コントロールが難しく、安定した術の行使を不得手としていた。


 小鬼たちも神社での敗北の記憶がまだ消えてはおらず、集団でターゲットを追い詰めるという慎重策をとる。


「キーッ! ぶっ殺してもいーってんなら、もー、片づいてんだけどよー」

「あー、オニめんどくせえよな! 生け捕りってーのはよぉ! まー、あと少しの辛抱って感じだけどな」 

 赤鬼のぼやきに、青鬼が応じる。


 余裕しゃくしゃくの態度が礼央の癇にさわる。何か良い手はないものか……。考えを巡らすも、徐々に後方に追い詰められていくばかり。ベッドを仕切るカーテンが背後に迫ってきた。


「くっ……、まとめて動きさえ止めてしまえば、何とかなるのに……」


 葛葉が苦々しく呟いた。

 葛葉の呟きを聞き、礼央の脳裏にある閃きがよぎった。


「おい、あいつらの動きを止めちまえばいいんだな」

 すぐさま、小声で葛葉に語りかける。

「ええ、全員一斉に……、という条件つきだけど」

 葛葉の返答に礼央はそっとうなずいた。


 策はないでもない。上手くいくかどうかはやってみないとわからないが。

 小鬼に気取られないように、こっそりと耳打ちして葛葉にアイデアを伝える。

 葛葉は小さく頷き返す。


 小鬼たちとの間合いは今やかなり近くまで狭められていた。もはやどこにも逃げ場はなく葛葉と礼央はカーテンを握りしめている。かなり強く握りしめているせいか、カーテンレールが軋む音が保健室内に響き渡った。


「キキキ! もー、逃げ場はねえよーだな!」

「無貌様の命令だ。すぐに殺しはしねー! だがよー、カラスの恨みもあるしな。かなーり痛い目はみてもらうぜ! 覚悟しな!」

 小鬼たちは、怯える獲物をいよいよしとめようかという体勢だ。


「こっ! こないでなのっ!」


 突然、葛葉が叫び声をあげ、手持ちの符のほとんどを投げつけた。


 符は空中で紅蓮の塊へと変じる。

 が、放たれた炎弾の大半は小鬼とはかけ離れ場所へと飛び、数少ない小鬼をとらえた炎も簡単にかわされるか、跳ね返されてしまった。中には葛葉の真上に飛んだものもあった。


 結果、壁や天井にいくつもの炎弾が直撃し、室内が大きく揺れた。衝撃によってカーテンレールがへし折れ、ほこりが舞い散った。


「キャーッ! ハッハッー! どこ狙ってんだ! 震えてんのはわかるがよ!」

「苦しまぎれー! お疲れさんっ、でしたー!」

「こっからじゃ、ほこりで恐怖にひきつったカワイーお顔が見れねーぜ! どれ、間近でツラを見せてもらうとすっか! 命乞いもたっぷり聞かせてもらうぜ!」


 最後の悪あがきを封じきったと確信した小鬼たちが、礼央と葛葉の立つ場所へと一斉に飛びかかる。


「いーや、一発もはずしてねえ。狙い通りだ!」


 小鬼たちの予想に反して、粉塵を突きぬけた先に立つふたりは、いたって冷静そのもの。

 そして――小鬼たちの勝利の確信に満ちた笑みは、一転して驚愕へと変わる。

 彼らが飛びこんだその先には、予想だにしなかったものが待ち受けていた。


 それはヨットの帆のように張られた純白の布。その正体は、折れたレールから外されたカーテン。


 礼央と葛葉はカーテンの両端を両手でしっかりと握り、投網のようにして小鬼たちに覆いかぶせる。

 小鬼たちがまとめてくるりとカーテンに包みこまれる。ふたりはすかさず端と端をしばる。小鬼オニオン五玉袋詰めの一丁上がりだ。


 カーテン製巾着にくるまれた小鬼たちがもがくも、布にさえぎられ、発言の内容まではわからない。だが、聞くにたえない罵詈雑言なのは察しがついた。


 葛葉が符を投げたあのとき、ちょこまかと動き回る小鬼たちに攻撃を当てるつもりは一切なかった。怯えた演技も、出鱈目に見える攻撃も、気取られないようにカーテンの罠をはるための作戦だったのだ。


「よっしゃ、上手くいった! よし、このまま動きを完全に封じようぜ!」


 葛葉は頷き、九字を唱えながら空中にドーマンを描く。先刻、礼央にしたのと同じように、小鬼たちを金縛りにしてしまおうというのだ。

 なぜ、礼央と壱絆の身体と精神が入れ替わったのか、そもそも仮面の不審者が学園に侵入した目的とは何か聞かせてもらうつもりだ。

 下っ端がたいした情報を持っているとも思えないが、それでも糸口程度はつかめるだろう。


 はじめは激しい抵抗を見せていた小鬼たちが徐々に大人しくなっていく。葛葉の術が効いてきたのだろうか。しばらく待つと、巾着の中から小鬼が動く気配が、伝わってこなくなった。


「もう効いてるころだと思うの。先輩、そろそろ開けてみる?」

「ああ、じゃあ慎重に開くとすっか」


 慎重にとは言ったものの、心のどこかで油断があったのかもしれない。あるいは鮮やかな逆転勝利の余韻が、小鬼たちへの警戒心を薄れさせたのかもしれなかった。

 拘束を解こうと結び目に手をかけたその瞬間――


 巾着の中で莫大なエネルギーが渦巻き、一気に膨張した。

 危険を察知した礼央と葛葉は、急いで袋から離れる。

 カーテンの布が急激な変化に耐えきれず、散りぢりになって、はじけ飛んだ。


 再び保健室が激しい振動に見舞われ、風が舞う。さらに、風のせいで葛葉のスカートがめくれ上がる。

 こんなときだというのに、礼央の視線は、あらわになった太もも、そしてその奥にあるものへと吸い寄せられずにいられない。


「お兄ちゃんの顔で、ド変態の目つきをするのはやめてくださいなの」

 凄まじい目つきで睨まれた。


 葛葉はスカートの裾を押さえながら、礼央に冷たい眼差しをむける。丁寧なだけに怖い。

 礼央は、おれは何も見てねーし、と言わんばかりに何気なさをよそおって目線をそらす。もっとも心中の動揺は隠しきれていないのか、その動作はぎこちない。


 そして、目線をそらしたその先で目撃したものに呆気にとられ、その動きは完全に固まってしまった。


「「「「「キイーッ! よくもやってくれたな! てめーら!」」」」」


 耳をつんざかんばかりの雄叫びが、礼央と葛葉の頭上から降ってくる。

 ふたりの前に立ちはだかったのは、五匹の鬼が一体の鬼へと変じた姿だった。


 天井につっかえそうになりやや首を曲げている格好は滑稽だが、それでも不動明王を思わせる巨体は、礼央をすくませるには充分な迫力がある。牛さえも一撃で両断しそうなほどの太刀だけでもかなりの威圧感を放つというのに、さらに全身に炎まで纏っているのだ。


「……。変化の術に先をこされるなんて」

 自慢の術を破られ、再度の形勢逆転を許した悔しさが、葛葉の表情から滲みでた。


「……さすがにヤバくないか」

「幻影を使った見掛け倒しなの。張子の虎みたいなもの……、なんだけど」

「じゃあ、勝てんのか?」

「お札の持ちあわせが尽きたの。さっきまでなら、的が大きいほうがむしろ戦いやすかったんだけど……。正直、今は厳しいの」


 葛葉の返答を聞き、保健室のドアまでの距離を確認する。小鬼たちとの位置関係は先ほどと逆転し、今はふたりがドアを背にする形になっている。

 礼央の目の動きを見て、葛葉が頷く。


「うん、今はそれしかないと思う。西中島先生と合流できれば、こいつらぐらいなんてことはないわ」

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