第2章 - ⑤ 四四〇発の嵐

 結論は出た。いったん、撤退して体勢を立て直す。


「「「「「キー! てめーらの考えぐらいわかるぜ! 鬼相手に鬼ごっこ挑もうなんて舐めんじゃねえぞ!」」」」」

 鬼は叫ぶと同時に、大太刀を横に薙ぐ。

 ふたりは刀身をかわし、即座にドアへと駆け出した。


 巨体が邪魔して部屋からそう簡単には出られないはずだ。


「外に出てしまえば西中島先生の張った結界が再利用できるの! 時間稼ぎにはなるはず! 急いで!」


 だが、鬼の攻撃は単純な物理攻撃ではなかった。空を切った刀身から炎が分離する。分かたれた炎は塊となって、逃げるふたりを追いかける。

 礼央にむかった炎は、やや狙いを外れている。身体をひねれば簡単にかわせるだろう。


 一方、葛葉を狙う焔は――まずい!

 完全に回避不可能なコース!


 礼央はあわてて、葛葉にのしかかる。なんとか強制的に葛葉の体勢を変えないと……。


 炎が先か、礼央の救いの手が届くのが先か――


 葛葉の運命が、礼央に託されたと思われた瞬間、ふたりの前を黒い影がよぎった。


「ふたりとも、そのまま伏せてて!」

 幼い女の子のような、やや高めの声がした。


 礼央は葛葉と共に倒れこみながら、割って入った黒い影の正体を確認する。


 ピンと立った耳、長い尻尾、細長い目。

 イヌ? オオカミ? 違う、黒毛に覆われたその獣は――キツネだ。


 キツネは紅蓮に包まれることなく、前足で焔の塊を弾き返して、床に着地する。

 弾いた炎はそのまま鬼のもとへと飛んでいき、顔面に直撃する。

 鬼が体勢を崩し、ひざをつく。


「よーし、ふたりともよく耐えた。ここからは先生に任せなさい! 目だけはしっかりと閉じて! それ以外は君たちにたいした害はない! 跳弾ちょうだんがちょっとだけ痛いかもしれないけど、それぐらいはしばらく我慢! いいわね!」


 さらなる乱入者が保健室にあらわれた。威勢の良い大人の女性。立て続けに何かが激しく空気を振動させる音があたりに響く。それは礼央が日頃から見知った人物、そして武器だった。


 その女性は胸元が大きく開いた黒シャツの上に白衣を着用していた。赤いミニからのぞくすらりと伸びた脚は黒い網タイツに覆われ、そのラインの美しさが強調されている。無骨なデザインの射撃用ゴーグルと両手に所持した電動エアガン以外は、まさに保健医の理想像を描いたような人物だった。


 西中島丙にしなかじまひのえ


 サバゲー部の顧問にして、太一と葛葉の師匠である。


 西中島の電動エアガンは、ドイツをはじめ、各国の特殊部隊で使用されていることで知られるMP5、その銃身を切りつめコンパクトなサイズにしたモデルを、両手にそれぞれ一丁ずつ握っていた。


 礼央は途切れることなく続く速射音から、ギア比などを改造して発射サイクルを上げたモデルと察した。通常、フルオート射撃で一秒間に吐き出す弾は十二から十五発程度だが、西中島の手にしたエアガンの発射サイクルは秒間二五発!

 四四〇発のBB弾の嵐がひざをついた鬼を容赦なく襲う。


 礼央は床や壁に当って跳ね返ってくるBB弾から、葛葉を守りつつ考える。

 しょせんはBB弾……。おもちゃがこの世ならざる敵に効くのか?

 礼央の疑問は当然。だが、現に鬼は西中島の攻撃になす術もなく打ちのめされ、もがき苦しんでいる。太刀を握る力も失われ、身に纏った炎も消し飛ばされた鬼は見る間にしぼんでいき、存在自体が薄れていく。


 透明がかった身体を、炎から変じた白煙が包みこんだかと思うと、煙の中から小鬼たちが転がりでてきた。


「チクショー、またやられちまった……」

「う……、終わった。終わったよ。オレたち……、無貌様のもとには戻れねえ……」

 小鬼たちはフラフラと数歩進んだあと、五匹ともその場に倒れこんでしまった。


「礼央くん、待たせて悪かったね。葛葉を守ってくれてありがと。って、なに、鳩が豆鉄砲をくらったような顔してんの。たった今、鬼にBB弾くらわしたとこだけどね」


 西中島が床に倒れこんだ礼央に声をかける。いつもと変らない陽気な口調だが、礼央のほうはいつもの調子で返すにはかなりの気力を振りしぼる必要があった。


「笑えねっすよ、ヒノさん。って、何でおれが礼央ってわかるんすか?」

「この子から聞いたの。わたしも最初は事情が飲みこめてなかったんだけどね」


 西中島が指差すその先にはおすわりの体勢をとった黒毛のキツネがいた。神社に置かれたお稲荷様の像を連想させる姿だ。


「礼央くん、はじめまして。ぼくの名はくろこ。太一様の式神をつとめさせていただいております。よろしくねっ。葛葉ちゃんは久しぶりっ」


 くろこが細い目を吊り上げて微笑んだ。人なつっこい愛らしい笑みだ。


「お、おう。やっぱ、陰陽師って式神とか使えるもんなんだな……」

「くろ! 西中島先生! お兄ちゃんは? それから、影山と明海の具合は?」

「ああ、カゲとアケなら大丈夫だよ。ちょっと治療に時間がかかるけどね。問題は太一様なんだけど……」


 ◆


 くろこは無事に礼央のもとにたどり着けただろうか?


 太一は、まず自分が捕らわれている場所を把握してからむかわせたかったのだが、周囲の時空が結界によって歪められているらしく、式神に場所をしっかりと把握させることができなかった。無貌という術師の手腕はかなりのものであることを思い知らされた。


 くろこを通じ、呪的手段で居場所を伝達することは、あきらめるしかなさそうだ。

 ならばGPSで現在地を調べようと、迷彩服のポケットを探り礼央のスマートフォンを探す。すでに両手のいましめはくろこに解いてもらっている。すぐに見つかった。


 倒れたときによる衝撃のせいか、画面に大きなヒビが入っている。それどころか、どのような操作を試みても画面は真っ暗なままだ。壊れたスマートフォンを修理する術など、陰陽道には存在しない。


 太一は礼央と葛葉が今どうしているだろうかと考える。もし一緒に行動しているのなら、妹は礼央が自分の身体で行動していることに憤慨したかもしれない。

 礼央もこの状況にさぞかし驚いているだろう。今まで彼に隠していた秘密が今回の件ですべてバレてしまった。そのことが太一の気分を重くする。礼央の前では堅物の生徒会長でいたかったというのが本音だ。


 決して友好的な間柄ではない。それでも秘密を知られて関係が変化することに比べれば、まだこれまでのほうがマシなようにも思えた。

 無貌の真の狙いはなんだろうか。太一のみを捕まえて終りとは思えない。


 最初に自分を狙い、続いて葛葉を手中に収めるつもりではなかろうか。自分は壱絆家の現当主ではあるが、壱絆家にとってもっとも大切な存在は葛葉だ。自分など妹の真の才を他家に隠しておくための囮役にすぎない。無貌はそのことを承知しているのではないか。だとしたら恐ろしい敵だ。


 葛葉が狙われていると知ったら、礼央はどうするだろう。多分、妹を守ると言い出すんじゃなかろうか。もしかしたら太一をも助けようとするかもしれない。

 いや、今の礼央に何を期待している……。そもそもこちらの事情に一般人を巻きこんで良いはずがない。


 それでも心のどこかで礼央が自分と葛葉のために、奮起してくれることを期待する気持ちがある。

 それは救援を待つ以外、何もできない太一にとって、とてもつらいことだった。


 ◆


 午後七時すぎ。すでに雨は上がっていた。

 日が完全に沈み、あたりを闇が支配しても、校内を包む活気は昼間と変わらない。多くの学生達が雨で遅れた分を取り戻そうと、居残り作業を続けていた。


 大半の生徒が明日の学園祭を楽しみにしていた。青春の一ページが自分にとって少しでもより良いものになることを願っていた。みんな、明日のことでいっぱいいっぱいだ。

 だから、彼らは気にもとめない。天井に一匹の紅い蜘蛛が張り付いていることなど。あまつさえ、それが目を体躯と同じ赤色に光らせ、よこしまな気を注いでいることなど、想像すらしない。


 それは長い八本の足を駆使して、校内を這い回り、適任者を探している。

 学園祭の活気にとけこめず、陰を心に囲った者はいないか。巣を張るために利用できそうな者はいないか。


 蜘蛛は学園内を巡り、やがて生徒指導室に行きあたった。

 男子生徒が三人、何やら書き仕事をしている。ペンを走らせるその顔は暗い。やりたくてやっているのではなく、強制的にやらされている作業のようだ。天井から書類をこっそりと覗く。『反省文』と読めた。


 次いで、彼らの会話を盗み聞く。聞こえてくるのは教師や生徒会長への愚痴だ。

 反省文はポーズだけで、あやまちを心から悔いているわけではないらしい。


 ――最適の人材だ。


 蜘蛛は糸を垂らし、その身を逆さにしたまま――天に咲いたヒガンバナが地に落ちるように――そっと移動を始めた。


 長髪を明るい茶色に染め上げた男子生徒の肩に音もなく降り立つと、すぐさま耳朶じだに飛びつき、耳孔じこうから中へと忍び寄る。


 学園を覆う巨大な巣を張るための枠糸が、まずここに作られた。

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