第3章

第3章 - ① 陰陽師とスマホとBB弾

「お前ら、反省文は書いたか。書いたんなら今日はとりあえず帰、っ、ぐっ……、お、お前ら……」

 茂岡正美は生徒指導室に入るなり、後頭部に強い衝撃を受け、そのまま昏倒した。


 柔道部顧問としての表の顔と、肉体強化を得意とする陰陽師としての裏の顔、どちらの実力も出す間もなかった。


「は、反省文……、書いたところでさぁ……、どうせ、停学なんでしょ……、せんせぇ。ねぇ、わかってんですよぉ、ぼくらぁ……」


 血で汚れたガラス製の灰皿を片手に、茶髪が呟く。倒れた茂岡へと向ける目は虚ろで、焦点がどこにもあっていない。角刈りとパーマの生徒も同様だ。


「あ、明日、参加できなかったら、意味ないじゃないですかぁ……。ねぇ、ぼくらだって、努力ってやつはしてんですよぉ。汗水たらしてんですよぉ。それが、お酒がどーたら、難癖つけるなんてぇ、ひどいじゃないっすかぁ……」


 茶髪が言葉を発するたびに、灰皿が揺れ、付着した血が飛び散った。その都度、制服に朱色の染みができるが、気づいてすらいないのか、かまわずに喋り続ける。


「せんせーだってさ。タバコ吸ってんじゃないっすかぁ。職員だって学内禁煙なはずですよねぇ、うちのがっこーぉ。なんでさぁ、灰皿置いてんすかぁ……」

 茶髪はゆっくりと灰皿を持ちあげる。かなりの重量を気にする様子はない。


「タバコ吸うぐらい、別にいいって思うんすよぉ、ぼくらぁ。だからさぁ、お酒だって、いーんじゃねって思いませんかぁ? ねぇー、せんせぇ?」


 灰皿はゆるゆると高度を上げていく。細い糸で吊りあげるかのような緩慢な動作だ。そして、茶髪は自分の頭部と同じぐらいの位置に達したところで、いったん動きを止め、握る力をゆるめた。凶器が重力に引かれて、再び茂岡の頭上目掛けて落ちていく。


 硬い皮に覆われた果物を砕くような異音がし、茂岡を中心に赤い筋が複数描かれ、放射状に広がっていった。


「あーぁ、あーぁ、咲いたぁー、咲いたぁー。あかぁーい花が咲いたぁ。あかぁーいってキレーだぁ。い、いずなにもぉー、咲かせてやんねぇと。そーだろ、なぁ」


 茶髪の問いかけに、角刈りとパーマもゆっくりと頷いた。この場にいる全員がうわ言のように「あーぁ、あーぁ」と繰り返す。


 そのまま、三人は倒れた茂岡の体を踏みつけて外にでる。その動きもどこか操り人形を思わせる人間らしさを欠いたものだった。



「それにしても、またスゴイことになってるわね。レオぽん。いやー、なかなか体験できないわよ。身体の入れ替わりなんて」

「笑いごとじゃねーよ。マジで緊急事態なんだ。これからどーすりゃいいか、さっぱりわかんねえっつーの」


 西中島からの連絡を受けてやってきたメリッサに、礼央はこれまでの成りゆきを詳しく説明したところだ。

 メリッサが保健室を訪れたのが八時十分前。現在、懐中時計のキツネは二匹揃って『Ⅷ』にいる。


 予想に反して、あっさりと事情を把握したメリッサに、礼央はあっけにとられた。

 事前に西中島の説明があったにしろ、あまりにも簡単に受け入れすぎだ。むしろ、もうちょっと驚けよって言いたいところだ。


「わかってる、わかってるって。まずはレオぽんの身体――、つーか、太一の居場所を探さないといけないんだろうけど。くろこちゃんだっけ、結局、監禁場所はわからないのよね」

「そうなんだよ、結界が強力で、ボクも脱けだすだけで精一杯だったんだ」

 くろこが申し訳なさげに首を傾げた。


「可愛いわね、この子」

 思わずメリッサがくろこを抱き寄せる。くろこもコンと一声鳴いて、大人しくメリッサの膝元へと収まった。


「結局、人海戦術で目撃情報をしらみつぶしにあたってみるしかないようね」


 サバゲー部員たちは情報収集を担当してくれている。

 大和が指揮する班は部室に残って在校生徒全員のSNSの洗い出し作業、市ヶ谷の班は直接学内を回って生徒達から情報を聞き出すという役割分担。

 少しでも手がかりがあれば、即座にメリッサへと連絡が入るはずだが、それも今のところは皆無だ。


「おれのスマホにかけてみたらどーよ? 連絡さえとれれば手がかりはつかめるだろ」

「もちろん試してみたけど、繋がんない。そもそも電源自体が入ってないみたい。多分、電池切れか壊れたかでしょ。それからダメ元でトランシーバーも試してみたけど、距離か遮蔽物の関係でダメだわ」


 礼央は神社での激戦を思い返す。スマホの電池残量に余裕はあったはず。とすると、これは最悪のパターンかもしれない。


「壱絆のはどうなってんだ?」


 取りだしてみるも、やはり画面は真っ暗だ。外面に傷はついてないようなので、こちらは充電切れの可能性が高そうだ。


「お兄ちゃんのなら大丈夫だと思うの。陰陽師専用の特別製だから」

「スマホに陰陽師専用モデルとかあんの!?」

「呪符がわりに術を発動できるアプリとか、様々な便利機能があるわよ。わたしも持ってるわ」


 西中島が自分のスマートフォンを取りだし、実際にアプリを起動してみせた。

 画面にはお札の図柄が表示されている。西中島が設定をいじりヘルプ機能をオンにすると、下部に操作の手引きとなるアイコンが幾つか表示された。どうやら手順に従って操作すれば、術を発動できるようだ。

 陰陽師と電子機器は無縁と礼央は思っていたが、最近はそうでもないらしい。


「まあねー、ここ数年で陰陽の世界が急激に変わったのよ。ほんの数年前まではテレビやパソコンなんて言語道断って雰囲気だったんだけど。効率的な新人育成のためには現代技術を積極的に使ったほうが良いって風潮になってきたのね。ま、太一やわたしぐらいになると、そもそもこんなアプリに頼る必要はないんだけど」

「そーいや葛葉も使ってなかったけど、やっぱ一流はこーいうのに頼らねーのか?」

「わたしは、ただ機械音痴なだけなの……。それに、一流なんかじゃないし……」


 葛葉が恥じ入るようにうつむいたが、礼央にしてみたら本来のやり方でちゃんと戦える力を持っているのだから、気にするようなことではないと思う。


「で、このアプリっておれでも使えたりするのか」

「使えるわよ。今は太一の肉体を借りてるわけだから、身体に宿った霊力を使うことで簡単な術なら発動可能。ただし、より力のある術を使いたいなら、礼央くんの精神力そのものが重要よ。君の思いの強さが問われるってこと。それより、こっちのほうが慣れてるから扱いやすいと思うわね」


 そう言って、西中島はM4A1カービンとバイオBB弾の袋を手渡す。わざわざメリッサが礼央の愛銃を部室から運んできてくれたらしい。バイオBB弾とは環境に配慮した素材で作られたBB弾のことだ。


「そーいえば、なんであいつらにこれが効いたんですか?」


 礼央は保健室の片隅に縛られている小鬼たちを見ながら問いかけた。彼らはもはや抵抗する様子も見せず、ぐったりとしている。どことなく愛嬌すら感じさせるマヌケ面だ。


「陰陽道に限らず呪術というのは言葉や道具の持つ意味が重要なわけ。アイテムの持つ形や作られた過程などから特定の意味に注目して術の効果に関連づける、という説明だと難しいかな」

「それがエアガンとどう関係が……」


 エアガンを手に取って観察して見るも、特に変ったところは見つからない。

 西中島はBB弾の袋を持ちあげ、礼央の前で振ってみせる。


「重要なのはこっちよ。礼央くんも知ってのようにバイオBB弾って、土に還る素材で作られているでしょ。で、この場合は『土に還る』って部分に着目。基本、あやかしとは、自然の法則から外れてこの世に残留し続ける存在なの。そんなあやかしたちを『自然へと還す』ことが、わたしたち陰陽師の仕事のひとつね」


「土に……還る。自然に……還す」

 言わんとすることはなんとなくわかってきた。だが、論理が飛躍しすぎていて、まだ完全には理解するまでには追いつかない。


「従来の製法だといつまでもゴミとして残り続けるプラスチックの塊を、自然に還すために開発されたバイオBB弾。そこから『自然に還す』という意味を抜き出して術を組み立て、新たに命令を与えるの。――あやかしよ、土へと還れ。そのように再定義されたBB弾は銀の弾丸に匹敵するほどの力を持つわ」


 とんでもない話だ。

 銀の弾丸――西洋の伝承で狼男や魔女を打ち倒すとされる魔法の弾丸と同等だというのか。何の変哲もない射出成型製法で作られた、たった直径6ミリ、重量0.2グラムのプラスチックの塊が。


 礼央は西中島から渡されたエアガンとバイオBB弾をあらためて睨みつける。見慣れた玩具が突如として本物の兵器に様変わりしてしまったかのような感覚。今までとはまるで重みが違う。


「説明は以上で終り。礼央くんがそれをどう使うかは任せるわ。一応、一教師としての意見として言わせてもらうと、今すぐわたしにそれを返すのがオススメ。危ないことはプロに任せたほうがいい。キミはがんばった」


 軽めの口調とは裏腹に、西中島の眼差しは真剣そのものだ。

 礼央はゴクリと息を呑む。

 確かに手を引くなら今のうちだろう。西中島たち専門家にあとの解決を任せて、自分の身体が戻ってくるのを待つ選択が賢明なのは明らかだ。


 それでも――

 これはおれが巻きこまれた事件だ。当事者になってしまった以上、『はい、そうですか。あとは頼みました』で納得できるはずがない。


「正直、ここまで説明されても、理屈なんざさっぱりわかんねーけどよ。そのBB弾でおれたちの学園を土足で踏み荒らしたあのヤローをぶちのめせるってんなら、おれはこいつを喜んで使わせてもらうぜ」


 礼央は銃把を握る手に力をこめ、西中島の目を真っ直ぐに見つめ返す。


「たまに良い目をするなあ、キミは。まあ、怠け者が本気になったときって、教師としては困らされることも多いんだけど……。でも、そういうところ、嫌いじゃないわ」

 最初から答えはわかっていたけどね、と言いたげな苦笑を浮かべた。

「もっとも、無貌――仮面の不審者をぶちのめすのはわたしの仕事よ。いくら特別仕様のエアガンでも、あいつに通用するという約束はできない。礼央くん、それに葛葉ちゃんは太一くんの救出をあくまで第一に考えて」


「ああ、それはわかってる。おれだってまずはもとの身体に戻りてえ。だがよ、あっちが邪魔してくるってんなら、逃げたりはしないぜ」

「わたしも、お兄ちゃんのためならなんでもするの。それに影山と明海のこともあるし、無貌って人は絶対に許せないの……」

 礼央の言葉に葛葉も頷き、決意の言葉をつなぐ。


「で、その無貌ってヤローだけどよ。素性はわかってんのか?」

「それがね、ほとんどわかってないのよ。確かなのは陰陽道を悪用して、要人暗殺を専門とする職業犯罪者ってことだけ。国際指名手配されているけど、素顔を確認できた諜報機関はどの国にも存在しない。だから、フェイスレス――無貌という通称で呼ばれるようになった。陰陽道らしき術を使用することから、出身国が日本であると推定されているだけで、真実かどうかはわからない。そのほかの情報、性別や年齢も一切不明だわ」

「結局、全てが謎ってことかよ。国際指名手配の暗殺者が、おれらの学校になんの用があんのか想像もつかねえな」


「少なくとも、学園祭目当てじゃないことは確かよね。太一と葛葉ちゃんが狙いみたいだけど、心当たりは?」 


 メリッサの問いかけに、顔を見合わせる葛葉とくろこに、西中島はそっと目線で話うながした。葛葉はそれでもしばし逡巡の様子を見せてから、意を決して重い口を開いた。

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