第2章 - ③ オニオン、再襲撃

「近寄らないでって言ったでしょ。さぁ、正体を暴きだします。名乗りなさい、悪霊よ」

 術が成功し優位に立てたことにより、葛葉の口調はやや落ち着きを取り戻している。凛とした一喝は、いかにも陰陽師らしい威厳が感じられた。


「イ、イ……、……、ナ……、ギ……」


 意思とは無関係に舌が動き、声帯が振動する。もはや信じるしかなかった。今置かれている状況に加え、神社で体験した現象の不可解さ。太一と葛葉。このふたりは摩訶不思議な術を操る現代の陰陽師なのだ。


「イ……、……、ナ……ギ……?って、えっ、伊弉諾イザナギ、イザナギノミコトが取り憑いて……、そんなワケないよね、って、ああ! イナギ! 稲置礼央! ウソでしょ!?」


 予想外の答えが返ってきたことに、葛葉は驚いたようだ。見知らぬ悪霊を祓おうとしたら、思いがけず見知った人物の名前が出てきたのだ。無理もない。


 ただ、それでもである。突如肉体が入れ替わるという非現実的な状況に放りこまれた上、最初から話そうとしていることを強引に喋らされるという事態なのだ。

 礼央としては「こっちが『ウソッ』って言いたいわ!」と怒鳴り返したい。


「も、もう一度問うの! 真実なら首を縦に二回、嘘なら横に二回振りなさい。――あなたの名は稲置礼央なの?」

 首が縦に二回、勝手に振られた。

 葛葉がゴクリと息を飲みこむ気配。


「術、ちゃんと効いてるのよね……」

 葛葉の呟きに身体が自動的に反応し、再び首が縦に二回振られる。


 何とも便利で恐ろしい術だ。とにかく自分の術の効果を信用して、とりあえず解放してくれないかと、礼央は思う。


「なぜ、お兄ちゃんの身体に礼央……先輩の魂が入っているの? もしかして死んだの?」

 今度は首が横に二回振られる。勝手に殺すな!


「えっと、何でそうなったのか、わかる?」

 続けて横に二回。わかるわけがあるか!


「うーん、その、術を解いてほしいの? わたしに危害を加えたり……しない?」

 縦に二回。いいから早くしろ!

「……わかりました。術を解きます」


 葛葉が宙に素早く五芒星を描くと、礼央の身体を拘束していた見えざる力が失われた。呼吸が楽になったので、思わず息を吸いこんだら、加減を誤りむせた。


「……て、てめー、葛葉! ちょっとは人の話を聞けって!」

「何があったの! 詳しく事情を説明して!」

「お、おう……、わ、わかった」


 文句の数々は、葛葉の真剣な眼差しに気圧され、かき消えた。


 葛葉を近くに置いてあったパイプ椅子に座らせ、神社で遭遇した事件の顛末を語る。サバゲー部の悪だくみだけは適当にごまかしたが、その他はできるだけ詳細に説明した。話が進むごとに葛葉の顔色が青ざめていく。


「――という訳なんだが、何が起ってるのか、わかるか?」

「う、うーん、その仮面の不審者が犯人なんだろうけど……、どんな術を使ったかまではわたしも良くわからないの。おそらく泰山府君祭たいざんふくんさいとか反魂法はんごんほうの応用……いや、副産物ってことかなとは思うんだけど……」

「泰山府君祭? 反魂法? って、聞いたことはあるような……」


「簡単に言うとどちらも死者をこの世に蘇らせる術かな。泰山府君祭は延命法と言った方が正確だけど。晴明様が得意としたとされる秘術で……。安倍晴明様は知ってる?」

「ああ、漫画とかで読んだ程度なら。平安時代の天才陰陽師だよな。てか、お前らマジで陰陽師なの?」

「……うん。安倍家――室町以降は土御門家と称するんだけど、わたしたち壱絆家はその分家にあたるの。わたしもお兄ちゃんほどの技量はないけど、基礎修行は全て終わってる。この学園にはほかにも陰陽の家の子が結構いるの。もともと、陰陽師育成のための学校だし」

「なんかすごかったんだな。お前らも、うちの学校も……」


 さらりと明かされた学園の秘密に驚かされはしたものの、今はそこで立ち止まっている場合ではない。


「話を戻すね。で、泰山府君祭だけど、これは生命を司る神様に頼んで人と人の寿命を交換する術なの。昔、あるお坊さんが大病をわずらった師を助けるために、晴明様に頼んで、かわりに自分の命を差しだそうとする話が有名かな」

「差しだすってことは、その坊さんは師のかわりに死ぬってことか?」

「うん、そういうことになるの。もっとも、神様も師弟を憐れんで、結局は師と弟子のふたりとも助かるんだけど。ほかにも晴明様には殺害された父親を祈祷で蘇生させたとか、自身も殺されてしまうんだけど師匠に復活させてもらった、とかいう類の伝承が多いの」

「……パネェな、晴明。で、寿命を差し替えるってのと、肉体の中身――精神を入れ替えるってのが、似てるってことか」


「そう、先輩は察しがいいの。で、反魂法だけど、こちらは西行さいぎょう法師が有名なの。旅の途中で孤独に耐えかねた西行が野ざらしの人骨を集めて、『人』を作ろうとするんだけど、でき上がったのは『心』を持たない失敗作だったの」

「フランケンシュタインみたいな話だな。で、そっちはどう関係するんだ」


「重要なのは、西行が作った『人』には心がなかったって部分。さらに後日譚があるんだけど、それが不気味な話なの。西行はその後、反魂法に成功したって人物に会うんだけど、その人が作った『人造人間』――っていってもいいのかな、その成功例が大物政治家として活躍中だというの。つまり心を持っていて、通常の人間と見わけがつかないってこと。『心』をどこから持ってきたのかって、気になるでしょ?」

「ああ、なるほど、さっきの命の差し替えって部分と繋がるわけか。命を交換できれば、どこからか調達してきた命――『心』をこっちで作った肉体に組み込めるってわけだな」


「そう、だから具体的にどのような呪術を用いたかはわからないけど、人の精神を肉体から引き離して、別の肉体に移し替えるって術は、延命・反魂系の術系統からの派生だと思うの。ただ、その仮面の人物がどうして礼央先輩とお兄ちゃんの身体を入れ替えたのか理由はわからない。そのこと自体は事故みたいなもので、仮面自身がお兄ちゃんの身体と入れ替わろうとしたと考えるほうが自然だけど、自信をもって断定はできないかな」

「結局、仮面のヤローに直接聞いてみないとわかんねーってことだな。そーいや、おれの身体と壱絆はどーなったんだ? どうも保健室に運ばれたのはおれだけっぽいけど」


 礼央は保健室のベッドを確認する。三台設置されているが、礼央が寝ていた台以外が現在誰かによって使用されている様子はない。


「わたしもお兄ちゃんが神社で倒れて保健室に運ばれたとしか聞いてないの。メリッサさんたちは先輩を探してたけど。先輩を運んできたのはサバゲー部の人たちって聞いた。先輩と一緒にカラスさんたちも……」

「ああ、そういうことか。……って、カラスさん?」

「こっちの話なの。気にしないで。そろそろ西中島先生が戻ってくるころだし、その辺の事情も含めて先生に説明してもらおうかな」


「事情説明って、もしかしてヒノさんも?」

「うん、あの人も陰陽師なの。壱絆家の特別顧問を務めてもらってて、わたしたちは先生から陰陽師としての基礎のほとんどを教わったの」

「マジかよ! うわー、あの人、タダモンじゃねー雰囲気はあったけど、まさか本当にそっちの世界の住人とはな……」


 礼央の知る西中島先生は生粋のガンマニアで、ロック、特にヘヴィメタルをこよなく愛する人物だ。純和風なイメージの陰陽師という職業とはかけ離れすぎている。ただ、前職は傭兵部隊の軍医をしていたとか、いや、軍医じゃなくて海兵隊の鬼軍曹だったとか、妙な噂にはことかかない人物なので、裏稼業を持っていたこと自体は納得できてしまった。


 その時、保健室の扉を叩く音がした。


「お、噂をすれば、ヒノさんか?」

 礼央は立ちあがり、扉にむかう。


「待って、開けちゃダメなの! 結界が!」

「えっ……、結界って……」


 が、葛葉の警告が耳に届くより前に礼央は扉を開け放っていた。礼央も西中島にノックの習慣がないことを思い出したが、遅きに失した。


 途端に、屋内とは思えない激しい風が吹きこんだ。風の奔流に飲まれ、礼央と葛葉は思わず目をつむる。


「キッ! キッ! キッ! マヌケで助かったぜ」

「ああ、結界が強力すぎてどーしよーかと思ったが、そっちから開けてくれるとはなあ」

「じゃあ、サクッとこいつらノシちゃいますかね。ここでいいとこ見せとかねーと、こっちがやべーし」

「カラスよりは弱そーだし、楽勝なんじゃね。キキキ」


 暴風はすぐにおさまったが、何やら甲高い話し声がする。

 礼央がおそるおそる目を開くと、そこにはタマネギに不出来な粘土細工みたいな身体をくっつけった奇妙な生き物が複数出現していた。


 彼らは個体差はあまりないが、一匹ずつ異なる体色を有していた。生理的な嫌悪を感じさせる面構えは鬼以外に表現する言葉を見つけれらない。彼らの身体や武器に描かれた『鬼怨蛇亜オニオンジャー』の文字は意味がわからない。身長は礼央の半分ほどしかないが、底知れない不気味さを感じ、思わずたじろいだ。

 その間に少女が割って入った。


「先輩は下がって! ここはわたしがなんとかするの。楽勝と言ったわね、小鬼! 陰陽師をなめないでほしいの!」


 プロとしての威厳に満ちた発言。そこには異界のトラブルに巻きこまれた素人の礼央を守ろうという強い意志が感じられる。正直、頼もしいと思えた。

 だが、これで良いのかとも思う。その言葉に甘えてしまっていいのか。少女の毅然とした態度の裏に強がりはないのか。


 少女――葛葉におれは守ってもらいたいのか。

 それとも――

 くだらない男の意地と言えばそれまでだ。

 ――やっぱ、女の子に守ってもらうってーのは性に合わねえんだ。男子が燃えるシチュエーションってのは、決まってんだろ。

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