第2章 - ② おれの話を聞け
目が覚めたら先ほどまでの自分と異なる他人の服装。それだけなら、誰かの手のこんだ悪戯と考えるだろう。だが、肉体そのものが入れ替わっているとなると話は別だ。
――こんなことがあってたまるか!
もしかして、まだ夢の中なのだろうか。醒めたはずが、まだ続いているのか!
しかし、手で触れて確認してみたその感覚は生々しく、現実味があった。
呆然としつつも、とりあえず壱絆の衣服を再び身に纏う。これからどうすれば良い? 今後の方針がさっぱりわからない。
――とりあえず、ヒノさんに相談してみるか? でもなあ、いくらヒノさんでも……。
様々な考えを巡らしていると、保健室の扉が開く音がした。保健室の主である西中島先生が戻ってきたのかと思ったが、予想ははずれた。
「お兄ちゃん……? 目、覚めたの?」
不安のにじみでた声音には聞き覚えがある。
壱絆葛葉だ。
シーツにくるまり、礼央はしばし、対応方法を考える。
事情を説明するとしても、あまりに非現実的すぎてどう話したら納得してくれるのか、いい案が浮かんでこない。
迷っているあいだにも、白いカーテン越しに映る小柄なシルエットは、徐々に近づいてくる。
「お兄ちゃん、まだ意識戻ってないのかな? 西中島先生、もうそろそろ回復するころって言ってたんだけど……」
ついにカーテンが開かれ、葛葉があらわれた。
先ほど太一を探しているときに見た巫女風の衣装から、中等部の制服に着がえていた。黒を基調としたワンピースタイプのデザインが、肩まで伸びた綺麗な黒髪と日本人形めいた美貌にとても似あっており、太ももまで覆った長めのハイソックスも、透き通るような肌の白さを際立たせていた。
葛葉はつり目がちの大きな瞳で礼央を見つめてくる。その瞳には、太一の身をひたむきに案じる真摯な想いが見て取れた。
礼央は覚悟を決める。ここは壱絆太一のフリをしよう。
「おー、葛葉か。心配かけたよーだが、じゃねーな、わたしはもー平気だ。心配することはないぞー」
――よし、棒読み気味だったが、何とか壱絆っぽくなった気がする。この調子で葛葉には一切心配がないことをアピールして、早々にお帰り願おう。
「そう、良かった。お兄ちゃんが倒れたって聞いたから、わたし、すごく不安で……」
だが、その場しのぎのプランは、葛葉が表情を曇らせるのを見て、瞬時に崩れさった。
「ちょっ、ちょっと待て、葛葉! な、泣くな! ほら、お兄ちゃんはこのとおり大丈夫だ! 平気だぞー、って、おっ、おぅ!」
なんとか葛葉をなだめようとした礼央だが、四十キロに満たない重みがいきなりのしかかってきて、声をふさがれた
「うん、わかってるの。大丈夫……。家の決まりは絶対なの。安心して――」
葛葉が礼央――正確には礼央の心が入った太一の身体を抱きしめ、苦しそうに呟く。
少女の力は強くない。だが、少女ゆえに礼央はその手を無下に振りほどけない。
さりとて、この状況をなんとかしなければとも切実に思う。ふたりの繊細な部分に、偶然ではあるが触れてしまっている。それは本来、他人が触れてしまっていいものではないはずだ。
礼央はおそるおそる葛葉の両腕に手を添える。まずは、そっと身体を離そう。そうしないと話ができない。だが、彼女の両腕に触れると――言葉を失ってしまった。
太一よりもさらに柔らかく、繊細な身体つき。それはそっと触れなければ壊れてしまいそうなほどに危うい精巧なガラス細工のよう。
身体を密着させているためか、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。黒髪から漂うシャンプーの香りかなにかだろうか。礼央の胸に埋めた葛葉の頬がうっすらと紅色に染まっていくのも、
年下の女の子に抱きつかれるという状況。そのとんでもない非日常性に気づく。
年頃の少年としての意識が刺激され、鼓動が早くなる。動揺が知らず知らずのうちに、葛葉に添えた両手に力をこめさせた。
「お、お兄ちゃん! お兄ちゃん! ど、どうしたの! ちょっ、ちょっと痛いの!」
葛葉が驚きの声をあげた。礼央もその声で我にかえり、お互いに身を離した。
「わっ! その、違ぇっ! おれは、って、いやっ、お兄ちゃんはだな、その……」
思わず太一を演じることを忘れてしまい、あわてて言い繕おうとするが、適切な言葉は浮かんでこなかった。
葛葉の表情が一変する。
――ヤ、ヤベェ……。
礼央にむけるのは、先刻までとは打って変わって不審人物に対する険しい目だ。
「お兄ちゃんじゃないわね! 何者なの!」
「あー、その、なんだ……」
どう説明したらいいものか迷う。自身も、何がどうなってこのような状態に陥っているのか、理由がわかっていないのだ。
「お兄ちゃんが悪霊に憑依されるなんて、そんなことありえるはずが……。よほど強力な悪霊だというの? わたしに太刀打ちできるかしら。けど、やるしかないの。わたしがなんとかするしかない。うん、わたしがお兄ちゃんを取り戻すの。やるのよ、葛葉」
葛葉は何やら独り言をぶつぶつと呟いている。どんどん状況が悪化し、冷静に説明できるチャンスがなくなっていくことに、礼央も焦りを覚える。
ここで誤解をといておかないとまずい。よし、とりあえず自分の正体を明かすことから始めよう。
「あのな! いいか、良く聞け! 確かにおれは壱絆じゃない! お前のお兄ちゃんじゃない! けど、悪霊でもない! おれはっ――」
「お兄ちゃんになりすまして、わたしをどうするつもりだったの! このド変態! 色魔! 色情霊! とっとと退散しなさいなの!」
必死の弁明は、葛葉の大声にさえぎられてしまった。一方的に変質者扱いだ。
罵りつつ、凄まじい速度によるあとずさりを見せた葛葉に、礼央の心は少しばかり傷を負った。メリッサで悪口慣れはしているが、純和風美少女からの変態扱いは、また違う痛みを感じずにはいられない。「むしろ、ご褒美っす」とか言いそうな後輩なら心あたりはあるが、礼央自身にその手の
「いやっ、ちょっ、待てって! 断じてそんなつもりはない! ないから、とりあえずおれの話を聞け!」
「近寄らないで! お兄ちゃんの身体を今すぐ返しなさい! わたしだって壱絆家の陰陽師なの! あなたを封じて正体を暴いてみせるの!」
――いや、だからその正体を話そうとしてるんだって……。
話を聞く気配を一向に見せない葛葉に、礼央もいい加減にうんざりしてくる。徐々に腹が立ってきた。
――言わせておけば……。
「返せと言われてもだな! おれだって困って……、ん、だ……」
葛葉との距離を詰めようとした礼央だったが、その動作は途中でさえぎられた。
金縛りにあったように身体が動かせない。呼吸ができないわけではないが、口を動かせないので息苦しい。
葛葉を見ると、宙に格子模様を描きながら、何ごとかを一心不乱に繰り返している。それは「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と、唱えているように聞こえた。
――あー、これ聞いたことあるなー。昔、映画で見たわー。つーか、おれもよく真似した。
かつて見たり読んだりしたフィクションの数々が礼央の脳裏をよぎる。退魔師が様々な悪霊と戦うアクション映画とか、現代に生きる忍者が活躍するゲームとか。
――さっきから陰陽師とか言ってたけど、葛葉ももしかして、影響されたタイプだったりするのか。いや、おれは今まさに金縛り状態。これ、ホントに効いてるな。つーことは、ひょっとしてマジモンですか?
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