第5章 - ⑧ 天狐
「元より、わかりあうつもりなどない。全てを蹂躙してくれよう!」
宣言と同時、九尾が骨壷の蓋に手をかける。
「「「――させるか!」」」
大和や烏天狗たちが呪符で阻もうとするも、いともたやすく、どくろの右手によって振り払われてしまった。
その間に九尾は骨壷を解放。壷の中から闇が溢れ、屋上一帯を包み込んだ。
傍らに立つ太一やメリッサすらまともに視認できない完全な闇だ。
「――唯一、我を
聞こえてくるのは九尾の声と巨体が蠢き軋る音だけだ。何がおこなわれているのか、礼央には予測もつかない。
「レオぽん、もしかして今ちょっとビビってる? なんも見えねない。手も足もでない。そんなふうに考えたりしてない?」
怖気づいてるかだって。打つ手がなくて諦めてるかって……。そんなの聞くまでもない。答えはわかりきっている。
「その答えなら――ノーだ! 光なら見えてる! そーだろ」
そう、目で見なくとも見えるものはある。感じとれるものはある。九尾に屈する……、座して死を待つ……、そんなヤツはこの場にいない。全力で抗う。
おれたちの意思こそが――光だ!
「そのとーり! レオぽん、よく言った!」
メリッサが叫ぶ。その瞬間、闇を裂いて、六条の光が射した。
「ったく、ハチどもって言ったのに、一匹しか飛んでこないんだから。でも、これで揃ったわね」
屋上を強力なサーチライトで照らしだしたのは、市ヶ谷のチヌークと新たに現れた五機の戦闘ヘリ。こちらはAH―64Dアパッチ・ロングボウ。現行機最強と称される空の戦車が、チヌークを囲むように等間隔を保ってホバリングしている。
礼央は不意に上空に浮かんだヘリコプターを線で結べば、夜空に図形が描かれることに気がついた。五芒星――セーマンだ。
そして、セーマンの中央に座す輸送ヘリが屋上へと何かを投下した。
パラシュートが開き、それはゆっくりと地面に着地する。西中島がその前に立つ。
それは三角型をした護摩壇だ。このタイプの護摩壇は古来より押し寄せる外敵や災いをもたらす悪鬼を調伏するために用いられることが多い。
「愚かな。この上、
九尾が様々な九字を結印しながら叫ぶ。印の意味を知らない礼央でも、どくろを操り護摩壇を破壊するための動作であることは一目瞭然。当然、呪のプロたちの対応は迅速で、烏天狗と大和、そしてメリッサはさっと前に進みでるや、どくろの動きを鈍らす牽制を放つ。一方、太一と葛葉、くろこは西中島の脇に立ち守りを固めていた。
どちらに行くべきか思案しかけた礼央だったが、西中島の指示により、すぐさま護摩壇のもとへと駆け寄る。
「で、こっからどーすんだ?」
「礼央くんも太一もいい加減、もとの身体に戻りたいでしょ。その儀式をやろうと思うの」
西中島の提案に、礼央は驚きの表情を浮かべる。
「今かよ! さきにあいつぶっ倒さなくていいのか!」
「ぶっ倒すために、今やるのよ。と言ってもその方法に気づいたのはついさっきだけど。それに九尾を倒すのはそれぞれベストコンディションがいいでしょ」
西中島はあっさりと言ってのけた。
「そりゃ、そーだけどよ。……わかった。やるよ。おれはどうせ素人だ。方法はプロに任せる。で、何をすればいい?」
「もっとも古典的かつ簡単な魔法の解き方よ。あんまり時間も稼げないし始めるわよ。それから葛葉ちゃんには別のお願いがあるんだけど……いい?」
礼央に対する軽口まじりの態度と異なり、西中島は葛葉へ真剣そのものの表情で問いかけた。太一が息をのむ気配が礼央にも伝わった。しかし、葛葉に逡巡はない。
「わかってるの。覚悟は――できてる」
◆
「ほんとうに、いいのか?」
太一は今一度、葛葉に念を押した。太一は知っている。葛葉がその力を忌み嫌っていたことを。行使することによるリスクを。太一とて葛葉にその力を使ってほしいわけではない。
むしろ、率先して永遠にこのような場面がこないように様々な工作をしてきたくらいだ。
年齢や性別まで偽り、壱絆家の当主らしく振る舞うことで、葛葉から周囲の視線をそらそうとした。一族の中でもっとも優れた素質の持ち主は太一であると暗にアピールした。全ては葛葉の真の力を隠さなければならなかったからだ。
「いいの、お兄ちゃん。わたしはこの力を――妖狐因子を誇れることのために使うことができて嬉しいの。やっと恥じることじゃないって思えたの。胸をはって、お兄ちゃんに、そして先輩にも本当のわたしを見てもらいたいの」
太一は黒真珠のような葛葉の瞳をじっと見つめ、そこに一点の曇りもないことを見てとると、そっと囁くように言った。
「わかったよ、葛葉。くろこ、よろしく頼む」
「うん、任せて太一様。なんとしても使命はまっとうするよ。でも、葛葉ちゃん。肝心のアレは大丈夫?
くろこが重い空気をはらうためか、葛葉を茶化してみせる。反閇とは邪気祓いの呪術を行なう際の歩行法で、踊りの所作のようなものだ。
「バカにしないでほしいの。これでも演劇の練習で少しは見れるようになったんだから」
「じゃあ問題ないね。さっそく始めよう」
笑みをもらす葛葉とくろこを前にして、太一もふんぎりをつけることができた。絶望的な状況だから、忌まわしい力にすがるのではない。希望をつかむために、過去から受け継いだ力を行使するのだ。希望を信じる意志さえあれば、力にのみこまれまいとする意志さえあれば、妖狐因子など恐れるにたるものか。
「じゃあ、今から天狐を解放するわ。それから礼央くんはしばらく後ろをむいてること。いいって言うまで振りむいちゃだめよ」
礼央が西中島の指示に従い「おう」とあわてて後ろをむくのを確認すると、太一は葛葉と護摩壇を挟み、距離をおいて向きあった。葛葉の側にはくろこが寄りそうように立つ。
太一の手には礼央から返された懐中時計。その上蓋を開き、天にかざし、和歌の初句を
「――恋しくば」
「「――尋ねきて見よ 和泉なる」」
葛葉とくろこが二句と中句をつなぎながら、能や狂言のような独特の足捌きで、一歩、二歩と太一のもとへと近づく。彼女たちの歩みにあわせ文字盤の長針と短針もゆっくりと逆回転を始める。
「――信太の森の」
太一が四句目を唱える間にも、葛葉とくろこは舞うようにして歩みよる。時計のキツネたちが文字盤を駆けまわる速度も増し、かすかな光を帯び始める。
「「「――うらみ葛の葉」」」
結句を三人で唱和し、そのままその場でぐるりと一回転。
さらに、葛葉が辺りに響き渡る拍手を打った。
突如、護摩壇から炎が爆ぜて噴きあがった。懐中時計が放つ光芒もすさまじいまでの輝きだ。炎と光は唸りをあげ、それぞれが葛葉へとむかった。
一見すれば、火炎と光線が葛葉を襲うかのような光景。しかし、太一に焦りの色はない。なぜならこれはもとよりそういう儀式。壱絆家が葛葉に施した封印を焼き祓う解呪の儀礼。炎が葛葉の身体を蛇のように這い、その身に纏った黒衣の制服を焼きつくした。
炎に包まれながら――葛葉は舞を踊る。炎が下着すらも灰にかえ、一糸まとわぬ姿となってなお、呻き声ひとつ漏らさず舞い続けた。
太一は儀式にその身をまかせる妹をただ見守ることしかできない。眼前で繰り広げられる美しくも恐ろしい光景をただ見ているしかできない。
それはある種の妄執にかられた絵師が一度は描くことを求めてやまない悪夢を、そのまま具現化したような情景だ。月のない夜空のような黒髪を焼き、新雪のような透きとおった肌を溶かさんと炎蛇が踊り、裸身の少女も毅然と舞う。
いつしか、炎蛇と少女は溶けあい、その姿を変えていった。
濡れるような黒髪は川面に映した銀の月よりも白く輝き、幼さを残した身体つきはふくよかさを増し大人へと近づく。透き通った肌には薄く銀色の体毛が、頭部にはとがった耳のようなものが、腰からは尾が生じた。
そして、その整った容貌に艶然とした笑みが浮かんだとき、変化は終わりをつげた。
白狐。
これこそ、本来の葛葉の姿。
太一と葛葉。妖狐因子を受け継ぐ双子の姉妹。だが、受け継いだ因子の濃度は均一ではなかった。太一は親族から聞いた話を思い出す。ふたりが生まれた日のことを。
妖狐因子を色濃く受け継ぐ双子の誕生は、当然のことながら壱絆家にとって一大事。中でもふたりの誕生はかなりの大騒動を引き起こしたのだという。晴明の血を継ぐ家系であるため、これまでも因子を多く有し、呪の才に恵まれた子が生まれることは珍しくなかった。太一もまたそのひとり。おそらく太一のみなら、その日は壱絆家にとって吉日であっただろう。
だが、葛葉は違った。葛葉の血に顕現した妖狐の気はあまりにも濃すぎた。
ゆえに、葛葉は誕生時、人の姿をしていなかった。
キツネだ。人とキツネの双子としてふたりはこの世に生をうけた。
その後、両親の手によって因子が封じ込められ、なんとか人の姿をなさしめることに成功したものの、本来の異形を知る親戚などからは忌み子として畏怖される存在となった。
太一は、葛葉に好奇と軽蔑の入り混じった目をむける親戚から、葛葉を守ることこそ使命と思い、幼少期よりそうして過ごした。それは両親が亡くなってからも変らなかった。葛葉のために生きなければ、封印を守らなければ、それが両親より封印の懐中時計を託されたおのれの使命と自分に言い聞かせて今に至った。
封印を解いた今、後悔は微塵もない。葛葉はもう守らなければならない存在ではなくなった。共に立ち、共に闘う存在だ。兄を演じる必要などもはやない。
「葛葉。わたしと礼央の儀式が終わるまで、九尾の相手をしてくれないか」
「任せて。なんなら、わたしとくろこだけで倒しちゃうの。行こうか、くろこ」
「オッケー。葛葉ちゃん。ぼくたちの最終変形――友情合体といこうか」
言うなり、くろこが葛葉に抱きつくように飛びついた。葛葉はくろこを受けとめると、大きく地を蹴って跳躍する。そのまま宙で一回転を見せたかと思えば、次の瞬間には葛葉とくろこの姿が掻き消えていた。
かわりに現れたのは一匹の巨大なキツネ。
神獣――天狐。
ヘリのライトに照らされて輝く銀色の体毛と黄金の瞳が妖しくも優美な煌めきを放つ。そのまま悠々と宙を舞い、グラウンドへと降り立った。
「さあ、九尾! 決着はキツネ同士でつけましょうなの!」
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