第5章 - ⑨ 炎舞輪廻の彼岸花
◆
「あれが、葛葉だってのか」
「ああ、正確には葛葉と、くろこ――わたしに受け継がれた、わずかばかりの妖狐因子が合わさって顕現した天よりの使い――天狐。神獣だ」
運動場に舞台を移し、激しい攻防を繰り広げるどくろと天狐を屋上から眺め、礼央は息を呑んだ。
面に宿った力を全て解放してどくろを操る九尾の攻撃は苛烈を極めるも、天狐はその金の目であらかじめ動きを予測していたかのようにかわし、逆にメリッサたちと連携して反撃する。九尾も巧みな防御でかわし、一進一退の様相を呈していた。
「あなたたちも儀式をすますわよ。いい? さっき説明した手順通りにやるのよ。葛葉ちゃんに比べたらはるかに簡単でしょ」
「お、おう……。そりゃ、そうだけどよ」
西中島の指示を聞いた礼央だったが、戸惑いを隠せない。
それは太一も同じ様子で「他に方法はないんですね」と念を押すが、「ないわ」ときっぱり言いきられてしまった。
「やるぞ、太一! とっとと片づけようぜ」
「そうだな。で、どちらからするのだ。……こういうことは、普通、男の子からだと思うんだが、その身体が入れ替わってるとしてもだな……。中身が、ほら……」
太一が顔を赤らめてみせたりするので、礼央はどうにも複雑な気分になった。今ここで女の子らしい仕種をされても困る。
「あー、もお、いいから目をつむれ、目!」
礼央はそう叫ぶと、自身も目をつむり、太一の――自らの身体を引き寄せて、そっとくちづけをした。
目をつむれば日頃見慣れた自分の顔にキスするぐらいどうってことないはずと考えた礼央を、突然遊園地のアトラクションに乗ったかのような身体全体をぐるぐると揺さぶる感覚が襲った。しばらく耐え忍び、衝撃がおさまるのを確認してから、ゆっくりと目を開けた。
そして――彼は新たな動揺に襲われ、いたたまれなさに打ちのめされた。
初恋の少女が――恥じらいを浮かべた表情で、礼央を見つめていたからだ。
どうしたらいいかわからなくなって、飛びのくようにその身を離す。
「ら、乱暴だな、その、初めてなんだぞ」
「すまねえ、おれも初めてで……」
「はいはい。ラブコメタイムはあとでゆっくりね」
「してねーよ!」「してませんよ!」
西中島のからかいに、礼央と太一の声が合わさる。礼央は不覚にも笑いがこぼれ、かえって落ち着きを取り戻すことができた。
「とにかくあのデカブツと九尾をなんとかして、無貌のことを知らなくちゃならねえ」
「もう顔の見えない、目的もわからない見知らぬ不審者じゃない。顔も名もあるならまずは話を聞いてみないと公平じゃない。その上でさらに意見が対立するようなら、お互い納得するまで闘って結論をだせばよい」
「こんな時でも生徒会長様は生真面目だな。だが、悪くねえ考えだ。よし、行こう!」
「ああ!」
うなずきあうと、礼央と太一は屋上から天狐の背中目がけて飛び降りた。天狐は屈みこみ、ふたりを受けとめる。その間に生じた隙は西中島による屋上からの通常弾による射撃と上空からの烏天狗の呪符で牽制。
礼央と太一が無事に背に乗ったのを確認すると、天狐はどくろへと突撃を敢行する。ふたりは銀色に光る毛をしっかり握り、振り落とされないように耐える。
どくろと天狐が衝突する衝撃に耐えきると、立ち上がり白銀の野原を一息に掛けぬける。目指すは九尾。
「くるか、妖狐の血の余りものでしかない貴様が。偽りの当主が我の前でこの上、なにができよう!」
「なめるな! わたしの名は太一、すなわち、
「ほう、笑わせおるな! ならば未熟者の術とやら、ことごとく打ち破ってみせよう」
「なめるなと言っているだろう、九尾。なぜ、わたしだけを見る。なぜ、わたしの友を見ない!」
「おれを忘れてんじゃねえぞ。九尾! おれの名は礼央! 稲置礼央だ! 結局、お前は『一』しか見ちゃいねえ。『一』を見て『全』を――人の『善性』を否定した気になっているだけなんだ! てめーはよ」
礼央が太一を追い越し、篭手を解放し、一気に九尾との距離をつめる。
「誰が何をほざくかと思えば、素人か! おとなしくしておれ!」
「いーや、おとなしくすんのはてめーのほうだぜ!」
自分を路傍の石としか見ていない九尾に対して、礼央は不敵に口角を上げてみせる。絶対的な自信に溢れた会心の笑みだ。
礼央の背後で、太一が天にむけて呪を発する声が轟く。
「太乙の名において九星に命ず! 我が前に座す邪を縛り、祓いたまえ! 九宮を巡りて我に邪を滅させたまえ!」
太一の呼びかけに応えるように、暗雲が分かたれた。空に瞬く星々が顔をだし、いっせいに輝きを見せる。北極星を中心に、ありとあらゆる星が天にきらめき、その光が地に――ただ一点、九尾の元に降り注ぐ。
「――動けぬだとっ! 力が――、呪が――、失われ……」
「てめーは、おとなしく殴られろってんだ!」
礼央の篭手による渾身の左ストレートが、九尾の面をとらえ、凄まじいまでのエネルギーが荒れ狂った。ダイヤモンドを削るためにダイヤモンドを用いるのと同じ理屈。殺生石の産物である篭手ならば、源翁心昭の槌と並ぶ面への対抗手段となりうる。
「――ぐぅっ! うぉぉおう! なんの、これしき! これしきで我を砕けると思うなよ」
「てめーとの話は終わりだ、九尾。話が聞きてえのは無貌、いや、無貌なんて名前じゃねえはずだな、あんた。おれは礼央、あいつは太一。それに、葛葉、メリッサ、ヤマト、ヒノさん。おれたちにはそれぞれ名前があるんだ。おれと太一は身体が入れ替わっても、結局おれはおれで太一は太一だった。それぞれにやることをやった。ここにいる奴はみんなそうだ。身分を隠し、偽ったりしていても、自分であることになんの揺れもない。自信を持って自分を貫いてる。あんたも貫いてきたものがあるんだろ。九尾に操られて……、それでも揺るがしたくなかった自分ってやつが。あんたの名を教えてくれよ。このおれに!」
◆
闇の中、誰かが名を問う声に気づき、彼女は意識を取り戻した。ここはどこだろう、わたしはなにをしていたのだろう。記憶の混乱に戸惑う。そして、この声はどこから聞こえてくるのだろうか……。
辺りを見回す。暗くてすぐには判じることができなかったが、ここはよく見知った相馬の屋敷。炎にまかれたあの日のままだ。天井が落ち、柱が崩れた無残な有様。そうだ、あの日もわたしは生き埋めになり、瓦礫の中からなんとか這いだしたのだった。
他の巫女たちは命を落とした。裏切り者の手にかかった者もいれば、柱の下敷きになった者、火と煙に巻かれそれっきりの者もいた。生き残りは彼女ひとりだけ。
なぜ、このようなことになったのだろうと、彼女は考える。
玄鳳様が周りの忠告を無視して庭に曼珠沙華を植えたせいだろうか。火事を招くといわれる花だ。ゆえに
曼珠沙華の野に捨てられた、人ともキツネとも判別がつきかねる奇妙な捨子。吉兆をもたらすはずなどありえぬではないか。ならば、これはわたしのせいか。幼き日はただ無邪気に助かろうともがいたことを思い出す。なんとかここから這い出て、おっちゃんを――ああ、あのころは無礼にも玄鳳様をおっちゃんなどと呼んでいたのだ。
気がつくと場所が移り、いつしか屋敷の外へと出ていた。街全体が燃え盛っている。身体も幼き童のものへと変じている。
目前には倒れ伏した虫の息の玄鳳様。満身創痍の身体を引きずって、
おっちゃんは……、玄鳳様は……、かすかに唇を動かす。何かを叫ぶように、訴えかけるように。何を伝えたいのかはわからないわけではなかった。おのれの死期を悟っていることを。その上で彼女の身を案じてくれていることを。
あたり一帯火の海なのだ。童の身で生き残ることなど叶わぬと思った。それよりは習いたての術で少しでも玄鳳を癒してさしあげたほうが良いのではないかと考えたのだ。
しかし、結果として命を救われたのは彼女だ。玄鳳のもとに辿りついた瞬間、その呪は発動した。玄鳳さえ意図していなかった呪のようだった。対象に火の加護を授けるまじないだ。
その呪が発動したあと、玄鳳様が晴れやかに微笑んだことを鮮明に覚えている。
――ああ……、おぬしにその名を授けてよかった。そう、おぬしは炎に愛され、加護を受けておるのだ。炎の巫女よ、生きよ。
そう囁いてこと切れた。もはや話す力などなかったはずではあるのだが、彼女はそう思うことにした。
その晩はひたすらに泣いて過ごし、夜が明けるころにはすべてに達観したような、哀しみと憎しみがないまぜになったような何とも言えない心持ちになった。
これからどうすればよいのか、どう生きればよいのか、方針は定まらなかったので、まずは我が主人を殺めた者どもへの復讐から始めることにした。
復讐のためには呪具がいる。主人が使っていた呪具なら常に懐に入れていたはずだ。そうして巡りあったのが九十九の面――九尾だった。
主人に救われた命を、むざむざと九尾に巣くわれてしまった。
なんと滑稽な話なのだろう。九十九の面の力に頼って復讐を果たしたのちは、玄鳳様をこの世に
ああ、名を問う声が聞こえる。なんだったのか。我が主人が授けてくれた名は……。
――おぬしは炎に愛されて……。
炎の中で産み落とされた。曼珠沙華が咲き乱れる野の中――うねる炎の中から玄鳳様が見つけだしてくれた。
ならば、わたしの名は――
◆
――うねび
か細く囁くような声が、礼央の耳朶を打った。思わず聞き返す。
「うねび。おのれは燃えさかる炎より生まれし火の巫女――うねびよ!」
「うねび――いい名前だじゃねえか。どーだ、自分を取り戻した気分は? まだ、九尾にその身を任せるつもりか?」
礼央はそっとうねびに問いかけた。返ってくる答えは目をみればわかる。
もはや生気に欠けた瞳ではない。一番大切な芯を取り戻した者の瞳だ。
「こやつ。我が束縛を、長きに渡る我が支配を解き放つというのか……」
九尾がうめく。もはや残す面の右半分も全体にひびが入り、あと一撃か二撃加えれば、完全に破壊できるだろう。だが、その必要はない。
「すまぬ。少年よ。それに壱絆の姉妹よ。おのれを愚弄する者に身を任せるなど……、信念なき者の言に左右されておこないを決めるなど、もはやするまい。おのれの愚かさごと九尾を燃やし尽くしてくれよう。離れよ、少年」
礼央がとっさに後方へとさがると、突如、うねびの纏うコートが燃え上がった。
「ぐぅ、うおおおぉぉぉぉおおおお!」
九尾の絶叫が轟く。
「おのれの炎は妖狐の血そのものが燃えたぎる炎よ。殺生石すら――九尾すら――跡形もなく融かしてくれよう!」
うねびが骨壷を抱きしめる。すると、どくろから黒い煙が立ち上り、するすると骨壷へと吸い込まれ、壷の中で白骨へと姿を変えて収まった。
「玄鳳様。申し訳ありませなんだ。うねびの炎にて共に旅立ちましょうぞ」
やがて、炎がうねびの全身を包みこみ、姿を変えていく。
「お、おい。あれって……」
炎がとったのは巨大な鳥を思わせる姿だった。あまりの荘厳さに礼央は胸を打たれる。
炎の鳥――鳳凰。
雄大に翼を広げたその鳥は、闇夜に咲いて煌々とした輝きを放つ彼岸花のようだ。
玄鳳の遺骨とうねびが炎の中で溶けあい生まれた鳳凰は、ゆっくりとその翼をはためかせ、夜空の星々の中心にあっていっそう輝きを放つ北極星目指して飛び立っていった。
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