第4章

第4章 - ① 土蜘蛛

 その異変は、礼央が西中島に最初の報告を終えた直後に始まった。


 突如、美月が両腕で葛葉の首下を押さえつけ、軽々と宙に吊り上げたのだ。プロレスでいうところのネック・ハンギング・ツリー。間違っても美月のような非力な少女が可能な技ではない。


 くろことまめだも突然の出来事に身動きがとれず、呆然とした表情を浮かべている。


 ――鬼はどーした! 何やってんだよ!


 鬼恩丸は床に転がっていた。持ち主の意志と無関係に動く刀とはいえ、不意をつかれればなす術などない。呼びかけても応答がなく、小鬼たちは完全にのびてしまっているようだ。


「嬢ちゃん、どうしちまったんだよ! おい!」

「しまった! 美月ちゃんに取り憑いていたのか!」

 まめだとくろこが声をあげる。


 美月の両目が朱に染まったかと思うと、高々と持ち上げた葛葉を、礼央たちめがけて力まかせに投げつけた。礼央とくろこはとっさに横に跳んで回避したが、対応が遅れたまめだは葛葉と共に壁に叩きつけられ、そのまま気絶してしまった。


 さらに、意識を失ったはずのまめだが、身体を大きく震わせ、大きく開いた口腔から大量の赤蜘蛛が溢れ出させた。


 その蜘蛛一匹ずつは、魂を持たぬ死骸。彼岸花に似た蜘蛛のなれの果てが、あたかも一個の生命を持つ生き物のように美月のもとへとむかう。彼女のもとまで辿り着くと身体をよじ登り、見る間に美月を包み込んだ。


 そして、今ここに真に土蜘蛛と呼ばれるあやかしが顕現した。


 ◆


 その後、狭い準備室から身動きのとりやすい図書室へと逃げたものの、途中でくろこまでも捕らわれてしまった。


「ヤベェ、おれひとりじゃさすがにどうにもできねえ」


 西中島との通話を終えると、礼央の口から、らしくない弱音がこぼれた。

 救援を要請したものの、西中島たちが駆けつけるには、あと十分はかかるだろう。それまではひとりでこの窮地をしのがなければいけない。


 まめだの活躍によって、蜘蛛を撃退し一息ついた礼央だったが、今となってはそれが早計であったことを思い知らされている。悔いても仕方ないが群れで行動する敵ならば、一匹残らず殲滅できたかどうか、しっかりと確認しておくべきだった。


 身を隠したカウンターから頭だけをそっとだし、図書室の様子を探る。

 今や図書室内の至るところに巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされていた。巣の中には、意識を失ったくろことまめだが絡め取られている。


「……うっ、……あっ、ミッキー……」


 巣の中心部に捕らわれた葛葉の呻き声が礼央の耳朶に届く。意識はかろうじて保てているようだが、全身を粘着質の糸で拘束された彼女に反撃の手段はなさそうだ。


 いっぽう、美月だが、

「クッ、クッ、クッ! あわてるな、壱絆の小娘。ことが終われば美月とやらと共にあの世に送ってやるわい」

 室内にくぐもった少女の声が響く。先刻まで美月と呼ばれていた少女のものだ。


 だが、口調は老人そのもの。言葉の端々から悪意が滲み出ており、聞くもの全ての肌を粟立たせずにはおかない。


 葛葉の傍らで一匹の巨大な蜘蛛が八つの赤いぼうを燃えるように輝かせて蠢いていた。しかも、良く見ればその蜘蛛の身体は無数の子蜘蛛の死骸を寄せ絵のように集めてできている。このおぞましき存在こそが、美月をのっとっているものの正体だ。


「なに、貴様が殺生石を今ここで生めばそれですむことよ。どうせみな、死に果てるのだ。どれ、一刻も早く逢いたいとは思わぬか。のう、小娘」


 葛葉とほぼ変らない体躯の蜘蛛が少女の身体に八脚を這わせた。白く透き通った少女の頬や太ももの上を醜悪な蜘蛛の脚が蠢く。さらには嬲ることそのものを楽しむかのような囁き。礼央はかつて感じたことのない不快感を抱いた。


「ちくしょう……。調子にのりやがって」


 自由に行動できるのは礼央のみだが、この状況も土蜘蛛がわざと礼央を泳がし、弄んでいるような余裕が感じ取れた。


 救援要請も敵の手の内。むしろここで一気に礼央たちの勢力を叩き潰したいがために、わざと連絡させたのだろう。それでも敵の狙い通りの行動をとらないことには、礼央とて打開策すら見出せない。悔しいが、蜘蛛の思惑にのるしかないのだ。


 ――何とかして、報いは受けさせてやる!


 もしもの時に備えて美月に子蜘蛛を張りつかせておき、土壇場で発動させる用意周到さ、弱者を弄ぶことに喜びを見い出す卑劣さ。どこをとっても腹の立つ奴だ。


 今や、礼央の手に残された武器はハンドガンのみ。鬼恩丸も乱戦時に投げ捨てたライフルも蜘蛛の巣に絡めとられてしまった。手強い敵に相対するには余りにも心もとないが、やらないわけにはいかない。


 礼央は覚悟を決め、自分に言い聞かせる。


 ――おれは葛葉を救い出す! もちろん美月も、くろこもまめだもオニも! おれの手が届くところで仲間と認めた連中が苦しんでるなら、手を差し伸べる。この学園のどこかにいる太一を助け出して、無貌とかいう奴はぶっ飛ばす! 相手があやかしだろうがなんだろうが関係ねえ。そうだ。ガキのころから常にそうしてきた。その信念だけは昔も今も変わっちゃいねえ!


 ◆


 ――昔も、今も変わってないの! 何もかもあのころのままなの!


 カウンター越しに、こちらの様子を窺う礼央の目を見て、葛葉は確信した。

 どのような困難な状況にあっても退くことを考えない、ただ運命に立ち向かう意志に満ちた眼差し。


 ――わたしたちが憧れた礼央が……、

 ――わたしたちが会いたかった先輩がここにいるの!


 複数の感情が混ざり合い、強いうねりとなって葛葉の胸中に渦巻いた。


 正と負、相反するふたつの感情のぶつかり合い。そのひとつがまぎれもない歓喜であることを葛葉は自覚する。しかし、胸を突き刺すような痛みをともなう感情の正体は……。


「クッ、クッ! 教えてやろうか小娘。貴様があの小僧に何をしたか、わしは知っておるぞ。貴様らのあやまちを」


 土蜘蛛が葛葉に耳打ちする。まるで黒い念を言の葉に変えて、体内に吹きこもうとしているかのような物言いに顔をしかめる。しかし、その言葉には記憶の奥底に眠った何かを刺激する効果があった。


「心を、勝手に覗かないで……」

「まあ、そう申すな、小娘。気になっておるのだろう。封じられた記憶が。わしが封印を解く手助けをしてやろうと申しておるのだ。任せておけ」


 獲物の抵抗などそしらぬ顔で、土蜘蛛は囁きをやめない。

 言葉に合わせて葛葉に絡めた脚もゆっくりと移動していく。それまで頬を撫でていた脚は下方へ、太ももをいやらしく這っていた脚は上方へと向う。


 やがて二本の脚は、少女の胸元で重なりあい、いったん動きを止めた。

 二脚は一度、少女の身体から離れてゆっくりと宙に浮くと、勢いをつけて一気に降下し、そのまま葛葉の胸元へと突き刺さった。


「そうら、これが壱絆の血族が閉ざした罪の記憶よ! 存分におのがごうにさいなまれ、殺生石を生むがよいわ!」


 ◆


「――葛葉っ!」


 絶叫が木霊した。


 葛葉の胸に巨大な蜘蛛の脚が深々と沈むのを阻止しようと、土蜘蛛目がけてBB弾を放ったものの、その攻撃は子蜘蛛の死骸でできた身体に、さざなみ程度の揺らぎを発生させただけに終わった。


「小僧、こりぬ奴だな。何度、試そうが効かぬものは効かぬ!」


 そう、魔を祓うはずの弾丸が土蜘蛛に対してはなんの効果も発揮しないのだ。

 みんなを助けると意気こんだものの、エアガン以外にあやかしへの対抗手段を持たない礼央にとっては非常に厳しい状況だ。


「おとなしくそこで小娘が苦しむさまを見ておるがよい。なに、お前にも関わりのある話よ。記憶を封じられてるようだがな。こやつがあげる呻きを聞けば思いあたることもあろう。それでもなお小娘を守りたいと思えるかどうか、楽しみよ!」


 耳障りな哄笑が響き渡り、礼央は悔しさに歯噛みする。


 ――確かに土蜘蛛の言うとおりにおれは無力だ。


 そして、蜘蛛に呑まれた美月と、巣に絡めとられた葛葉。このふたりの少女の有り様が、胸の奥深くにしまわれていた大切な何かを強く刺激する。


 苦痛にさいなまれる少女たち。ある夏の日に出会った年下の少女。そして、幼馴染との思い出。


 ――夏の日の出来事……。そうだったのか。葛葉と太一は、あのときの――


 今まで忘れていた記憶の断片がより集まり、奔流となって押し寄せてくるような錯覚。目眩にも似た感覚に耐えながら、礼央はついにあることに気づいた。

 スマートフォンを取り出し、急いで西中島に確認をとる。


「すまねえ。ひとつ聞きたいんだけどよ」

 すぐさま本題に入る。

「葛葉と太一は、――双子なのか?」


『……、ええ』


 一拍の間を置いて西中島が口にしたのは、肯定だった。


『礼央くんの言うとおり、太一もメリッサと同じ飛び級制度の利用者よ。本当は葛葉ちゃんと同じ十四歳。いわゆるお家の事情ってやつでね、双子であることを隠す必要があったの。今、それを問うということは、思いだしたのね』

「ああ、ヒノさん。あんたは最初から知ってたんだな。あんたなんだな、おれの記憶を消したのは」


 陰陽道という世界の存在を知ったのは今日ではなかった。あやかしに出会ったのは初めてではなかった。


 一風変った雰囲気を纏った双子と出会い、仲良くなったあの夏の日から全ては始まった。


 

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