第3章 - ⑧ 淑女はふたつの顔を持つ


 ◆


「そう、かなり大変だったようね。ご苦労様。こっちもまだはっきりした成果はないわ。一応、気になる史料はいくつか見つけたけど、今回の事件に直接関係しているかどうかはまだ何とも言えない段階ね」


 史料室の机の上には、複数の文献が広げられていた。

 江戸時代の読み本や浮世絵、幕末の度重なる政変や騒動を克明に記述した覚書、果ては米国における南北戦争に従軍した兵士の記録など、その内容は多岐に渡り、一見して繋がりはなさそうに思える。

 共通点はこの地域に関する史料ではないということ。


 なぜ郷土史の史料を保管する施設に、無関係の文献や記録が収蔵されているのか?

 西中島にもその理由はわからない。この文書がどこまで今回の件に関係しているのかも疑問である。管理が杜撰なだけで、まったく無関係という可能性も否定できない。


 何かが引っかかるのだが、まだ考えはまとまらない。

 あれこれ考えてもすぐに結論は出なさそうだ。今は礼央の報告にあった水無瀬美月の保護を優先したほうがいいだろう。


「じゃあ、一度合流するとしましょう。わたしたちもすぐにそっちにいくわ。ちょっと待ってて。詳しい報告はまたあとで」

「レオぽん、なんだって」

 西中島が通話を終えるなり、メリッサが問いかけた。


「あら、メリッサ。そんなに礼央くんのことが心配? 彼なら無事よ。けっこう危なかったらしいけど、豆狸に助けられたって。まめだっていう子なんだけど、可愛いのよ」


 重くなりそうな雰囲気をさけたくて、あえてからかうような物言いをする。


「べ、別に心配なんてしてないわよ! ツキのない奴だから、そりゃ、ケガとかしてないかなとかぐらいは思うけど……」

「フフ、またまた、わかりやすい態度をとっちゃって」


 この早熟な少女は自分を崇拝するものに対しては決して隙を見せないように振舞っているが、西中島や礼央に対するときのみ、年相応の素顔を覗かせることがある。

 西中島はそのような表情のほうが、女王様然とした態度よりも魅力的に感じるのだが、もし面とむかって伝えれば彼女はどのような反応を見せるだろう。怒るだろうか。案外照れるかもしれない。照れるこの子を観察できるなら試してみる価値もあるかなとは思う。


 表向きは星辰学園高等部に在籍する飛び級の天才留学生。だが、西中島は彼女の正体を知っている。その華奢な肩にのしかかる重圧も。


 星辰学園内に密かに存在する陰陽師養成科の、対西洋魔術関連相談役。

 呪術を科学的、言語学的に解析し、技術として再構築せしめた西洋魔術界の異端児。それがメリッサ・ビアスの正体。西中島にとっては手のかかる問題児であると同時に、気心の知れた同僚でもある。


「どうして、サバゲー部の出し物のこと、わたしや運営の連中に隠そうとしたのよ? メリッサと大和くんのお願いならなんとかなったでしょ」

「ちょっと普通の学園生活のマネゴトしてみたかっただけよ! 権力に頼るなんてつまんないじゃない! そ、そんなことよりっ! やっぱりこの史料だけど、怪しいわよ。ぱっと見は無関係だけど、すべて時期が一致してる。地域と関係ない書物に限って、どれもこれもだいたい百五十年前のやつよ」

「ふーん、礼央くんの前ではあくまで普通の少女でいたかったんだ、メリッサは。うんうん、わかるわ。わたしも彼の前ではごく普通のスクールカウンセラー兼部活顧問でいたかったし」


 西中島は、この話はこれでおしまいとばかりに、史料室に置かれた書架を見渡した。

 確かにメリッサの指摘のとおりだ。宗門人別改帳しゅうもんにんべつあらためちょうなどこの地方の人の流れがわかる史料にまじって置かれたそれらは、当時の人々の生活を知るために収蔵されていると解釈可能。

 だが、そういった趣味品の類は江戸時代後期から末期の品目に限られている。


「ところでさ、うちの神社って、いつごろ建立されたんだっけ。この部屋のどこを探しても関連文献が見つからないんだけど」

「星辰神社を建てた人物の経歴はほとんどわかってないのよね。貿易によって財を成した富豪の寄進って書いてあるだけ。明治中期にはすでに神社は存在していたようだけど、どういった経緯によるものかは不明……、ってことは江戸時代はどうだったのかしら?」


 メリッサが何気なく発した問いに、ハッとする。無貌が最初にあらわれた場所は星辰神社だ。生徒会の面々との戦闘が発生したのは、無貌としても予定外の事態だったはず。となると神社そのものに用があったとしか思えない。


「気づいた? ヒーさん。ほかの史料から推測するしかないけど、江戸時代後期にかけてはまだ神社自体が存在していない可能性が高いみたい。なんもない山があるだけよね。この付近の人の流れが活発になるのは明治に入ってから。じゃあ、神社も同じ時期にできたって考えるのが自然じゃない?」

「そうね、そして、地域史と関係のなさそうな幕末期の史料の数々……」

「ねえ、神社のご神体ってなに? ヒーさんだったら知ってるんじゃない? それとも、ボスから口止めされてるのかな?」


 メリッサが皮肉めいた笑みを浮かべて問う。


「別に隠していたわけじゃないのよ。学園長や運営の連中もメリッサを信頼しているわ。ただ、学園のデリケートな部分のひとつだからね。って、これ以上の弁解はよしておくわ。――『遺骨』よ。ある貴人の遺骨。詳しい素性はわたしも知らされていない」


 『遺骨』というキーワードに、メリッサは怪訝そうな表情を浮かべた。そして、しばし思案にくれると、西中島に意味ありげに問いかけた。


「ふーん、『遺骨』ねえ。で、ヒーさんは、それが妖狐因子の生みだす瘴気を収める器になると思う?」

「メリッサは無貌の狙いが神社のご神体って考えてるわけ? うーん、遺骨で瘴気を封じるってのは、正直ピンとこないわね。むしろご神体の持つ霊力は瘴気の増幅器としての役割に使ったほうが……、ああ、そうか! そういうことなのね!」


 西中島が推論の一端を理解したとみると、メリッサはさらに思いつきを披露する。


「無貌は妖狐因子を外部に持ちだす気がない。使用目的はわからないけど、ここで一気にそのエネルギーを解放してしまうつもりじゃないのかな」

「無貌はプロの暗殺者。誰かの依頼のもとに行動していると思ってたけど、今回は完全に自分の目的のため。後先は考えてないってことね」


 さらに、メリッサは言葉を選ばず、想定しうる最悪のケースを告げた。


「もし無貌の目的が達成されれば、この学園そのものどころかこの地域一帯がまるまるふっ飛ぶってことよね。ヒーさん、もちろん、わたしはそんなことさせる気ないわよ。で、実際のところ無貌はご神体を手に入れたと思う?」

「おそらくまだ入手してないはずよ。これまでもご神体を狙う不心得者はいたの。だから、この学園を新たに建設することで秘密裏に陰陽師を集め、ご神体も学園内のどこかに移したと聞いた。なら、最有力候補はあそこね、メリッサ。この学園においてもっとも強力な結界によって守られた場所――」 


 西中島はその場所の名を口にした。


 ――中央棟五階学園長執務室


「なっるほどー。わたしたちのボスの仕事場かー。じゃ、目指す場所もわかったわけだし、レオぽんたちと合流しましょうか」


 答えを聞くと、メリッサは一転して表情をゆるめた。目的達成のためにあえて余裕の態度でことにあたる。それは西中島が認める彼女の強みだ。


「それから、あともうひとつ。読んでて思ったんだけどさ、この史料だけ特殊っていうか……」

「なんなの? って、確かにこれは……、表には出せない代物のようね」


 メリッサから渡された史料を前に西中島は唸る。それには幕末期に発生した事件の報告とともに、陰陽道に伝わるある呪具について詳細に記述されていたからだ。


 そのとき、西中島のスマートフォンが再び振動した。礼央からだ。何か伝え忘れたことでもあったのだろうか。報告を聞くや、西中島は表情を引き締めた。


「すぐにいくわ!」


 叫ぶように一声発し、通話を終える。


「大変よ! 葛葉ちゃんたちが蜘蛛の手に落ちたわ!」

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