第3章 - ⑦ マメダンス

「で、くろこ。どーすんだ? 袋小路に追いつめられたようにしか見えねーぞ」


 礼央は自分たちを包囲する群れを見まわしながら言った。


「逃げ場ならあるんだよ、礼央くん。それに袋のネズミなのは、実はあっちなんだ」


 くろこが目を細めて不敵に微笑んだ。それは今までの子ギツネならではの愛嬌を感じさせる笑みとは異なる、勝利を確信した老獪な策士の笑みだ。


「礼央くん。今君が背にしている棚の左端を見てよ。そこに赤いスイッチがあるはずだ。見つけたらそれを押してみて」


 教えられた場所を探ると、スイッチはすぐに見つかった。


「おう、これか!」

 スイッチを押すや、礼央たちが背にしていた書架が両側にスライドした。


 あとは何をすればいいのか、くろこに指示されずともわかる。礼央たちは背後に出現した空間へと飛びこんだ。


 追っ手たちが続こうとするが、書架はすぐに閉ざされ、彼らを締め出す。

 中はやはり書物で埋め尽くされた、準備室と寸分違わず同じ作りの一室だった。


「上出来だ、礼央くん! さあ、ここからが見ものだよ!」


 くろこがそう宣言すると、大仕事を終えたばかりの可動式書架にさらなる異変が生じた。

 激動の半日を過ごし、たいがいのことには動じなくなった礼央にも、それは新たな驚きをもたらすにたる現象だった。

 金属製の棚と収蔵された書物がいきなり動物の皮のように柔らかく歪んだのだ。

 確かな質感を持って存在した書架が消えた――


 いや、違う。消失したのは先ほどまで礼央たちのいた部屋そのものだ!


 準備室と思いこんでいたものがぐにゃりとたわんで、巨大な茶巾のような塊へとみるみる変貌していく。

 その奇妙な茶巾は、礼央たちの前で踊るようにリズミカルに弾んでみせた。


「クズちゃん、なに、あれ?」

「ごめん、ミッキー。わたしにも何がなんだか……わからないの」


 度肝を抜かれたのはなにも礼央と美月だけではない。葛葉でさえも初めて遭遇する状況に、茶巾の滑稽なダンスをただ呆然と見守るしかない。


「葛葉ちゃんも彼とは何度か会ったことがあるはずなんだけどね。まあ、彼の本気を見るのは初めてかな」

「彼? まさか!」

「そう、そのまさかさ! 仕上げは終わったかい? まめだ」

「ああ、ばっちりだぜ! 一匹残らずオイラの腹ん中さ!」


 茶巾が宙に大きく跳ね上がって一回転したかと思うと、次の瞬間、それは中型犬ほどの大きさの動物へと変じていた。――タヌキだ。


「キツネの次はタヌキかよ。あー、それにしても……、デケぇな」

「おめーが礼央か。話は聞いたぜ。カタブツ太一と入れ替わるなんて、とんだ災難だな。あとジロジロ見てんじゃねーぞ。おっと、そこの嬢ちゃんは別だぜ。何なら触ってくれてもかまわねえ。嬢ちゃんの立派なそれとの触りっこってんなら、なおさら歓迎だ」

「あ、いや、わたしは! み、見てないから!」


 顔を赤らめた美月があわてて手を振るが、視線はまだ下半身に釘づけのようだ。


「セクハラやめないと、ぶった斬るの」

「おっと、恩人に対してひでぇ扱いだな、葛葉。なに、オイラはそこの嬢ちゃんにはちょいと注目してんのよ。といってもお胸のことじゃあねーから、そう怖い顔すんなって。なに、おめーらの芝居の練習をちょいと覗かせてもらったのよ。ぶっちゃけ、役者の演技は話しになんねえ。だがよ、本と演出は中々のもんだ。嬢ちゃん、あんた見こみがあるじゃねーか。将来、大物になるって、オイラが太鼓判を押してやらあ」

「あ、ありがとうございます」


 まめだの思いがけない一言に、美月は表情をやわらげ一礼した。演劇について褒められることがこの少女にとっては最上の喜びであることが、礼央にもわかった。


「ミッキー、別に頭さげなくていいから。まあ、助けてくれたのは確かだし、そっちのほうはわたしもお礼を言わせてもらうの。ありがとう」

「なあに、礼ならいらねえ。こちとら酒と芝居のために勝手に手を貸したまでよ。職員室の惨状を見ただろ。無惨に転がった酒瓶をよ。心は痛まなかったかい? 飲まれなかった酒ほど哀れなものはねーやい。オイラ、酒を粗末に扱う奴は人間だろうがあやかしだろうが許せねえのよ」

「よく喋るタヌキだな。って、こいつの中に吸いこまれた連中は大丈夫なのか。まさか、喰ったとかいうんじゃねーだろうな」


 悪いやつではなさそうだが、相手はモノノケ。一抹の不安を覚えた礼央は疑問を口にする。


「オイラ人間なんて喰わねえ。あいつらはどっか別の部屋に飛ばされて、そこでおねんねしてらあ。蜘蛛のみオイラの腹ん中で溶かされるってワケよ」

「まめだにはね、空間を操る力があるんだよ。八畳程度の広さならまるまる一部屋作り出すことだってできるのさ」


 くろこの言葉に、礼央は周囲を見渡す。図書準備室と同じ作りだと思ったのは厳密には間違いということか。この部屋こそが本物の準備室で、先ほどいた場所は精巧に似せて作られた準備室の偽物ということなのだろう。


「準備室をそっくりそのままコピーしたっていうのか。なんか、妖怪っぽくない能力だな……。妖力ってよりは超能力っぽいぜ」

「そうだね、まめだの技能はちょっとSFっぽいかな。まあ、異空間と繋がってるのはこいつのふぐりだから、科学というにはアレだけどね。どちらかというと、すこしふしぎのほうのSFかな」

「なんでも収納できる四次元ふぐりってね。マメえもんと呼んでくれてもかまわねえ!」

「確かにスゲーけど、マメえもんの出すひみつ道具は使いたくねーわ。てか、さっきまでおれたちは、お前のアレの皮に包まれてたのかよ」


 あっけにとられた様子の礼央がよほど面白いのか、まめだはさらに軽口を重ねた。


「どうだい、オイラのキンのたまホームは? 居心地バツグンだったろ!」

「あんまり調子にのらないでなの。これ以上、下品な発言を繰り返すと、その自慢のホームを更地にするの」


 葛葉が自称マメえもんの下半身に刀をむけた。どうにも下ネタ耐性が低い。


「待て、待て、落ちつけって、葛葉! こいつも悪いヤツじゃねーし、許してやれよ。世話にもなったしな。と、礼がまだだったな。ありがとよ、マメえもん。ってか、おれもまめだって呼んでもいいか?」

「礼央ー、お前いい奴だな。オイラこそ感謝するぜ。おう、好きなように呼んでくれ。オイラたち、しんゆうだあ! 心の友って書いてしんゆうだあ!」


 まめだが目を潤ませ、礼央に手をあわせる。その仕種は愛嬌にあふれていた。


「キー、オレたちもこいつのふぐりになんざ触れたくねー。勘弁してやれ」

「そ、そうだよ、クズちゃん。タヌキさんが可愛そうだよ」

「ごめん。ちょっと取り乱したの……」


 小鬼や美月にもなだめられ、しぶしぶ葛葉が刀を納めた。まめだと一緒に礼央も胸を撫でおろす。男としてはやはり他人事とは思えない危機である。礼央自身、メリッサによる痛烈な一撃を食らった身だ。半日の間にいろいろありすぎて今やかなり昔のことのように思える。壁に掛けられた時計を見ると、すでに十時半を過ぎていた。


「で、これからどうする。礼央くん、葛葉ちゃん。一応、図書室で無貌に関連する史料調べというのが当初の目的だったけど」

「ミッキーを安全な場所に送り届けるのが先決だと思うから、西中島先生に連絡取りたいの」

「だな。あっちは何か手がかりを見つけたかもしんねーし」

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