第5章 - ③ 人形くらべ

 強い風が吹く屋上に、太一は立っていた。


 現在の時刻は午後十一時五十分。学園の隅々を知りつくした生徒会長とはいえ、日付が変わる頃合いに、屋上に足を踏み入れるのは今回が初めてだ。


 幽閉から脱してしばらくは自分がどこにいるのかわからなかった。地面に縦長に描かれた『H』の文字。周囲に設置された風向指示器と消火器具。ヘリポートであることのあかしがなければ、別の建物に移されたと思ったかもしれない。


 そして、殺風景な場所ゆえに、ヘリポートの中央に描かれたそれは異彩を放っていた。

 アルミの床に描かれたセーマン――五芒星である。中心には護摩壇ごまだんがわりの小さな壷が置かれ、火がくべられている。周囲には六壬式盤りくじんちょくばんなどの陰陽師特有の道具も揃っている。


 簡易ながら儀式場としての準備は整っているようだが、肝心の術者の姿が見えない。


 状況から察するに無貌以外に術者は考えられないが、はたしてどこに行ったのだろうか。どうしたものか思案する。この場を離れ、礼央たちとの合流を急ぐか。それとも、脱出にも用いた礼央の左手――姫子の残影――の力を借りて、このセーマンを破壊してしまうべきか。


 しばし考えたのち、まずは儀式場に展開された術式を調べて無貌の狙いを確認しようとしたが、五階へと続く扉の開く音によって即刻の中断を余儀なくされた。


 現れたのは儀式場の主、無貌だ。ひとりではない。少女をふたり連れている。


 ひとりは意識を失っているのか、無貌の左肩に抱えられている。太一側からは足しか見えなかったが、おそらく葛葉。心臓をわしづかみにされたような強烈な不安感に襲われる。


 そして、もうひとり。自分の意思で無貌の傍らに立つピンクの派手な迷彩服を纏った少女。彼女も顔見知りだ。


 ――メリッサ。飛び級制度の利用者であり、分野は違えど呪術のスペシャリスト。太一とは共通点が多い。


「なんだ、太一。自力で脱出できてんじゃん? やるねえ、さすが壱絆の御当主様」


 物言いこそいつものからかうような調子だが、太一にむける眼差しは刺すような鋭さ。浮かべる笑みも不敵そのもの。


「……ふざけるなよ」

「怖い顔しちゃって。レオそっくり! レオの身体なんだし当たり前かあ」

「ふざけるなと言っているだろ! メリッサ!」

「うわっ、その怒り方なんて、かなーりレオぽいわ。あんた、その身体すっげえ似合ってんじゃん。お互いずっとそのまんまでも問題なさそうね。なになに、それっていわゆるふたりは身体の相性バッチリですって、やつですかぁー! ヤらしーなぁ!」

「貴様、これ以上の愚弄はっ!」


 それは事前の動作を、一切察知させない見事な攻撃だった。

 先ほどまで戯言ざれごとをたれていたはずのメリッサが、突如太一にむかって突進。手にしたコンバットナイフが太一の喉元を狙う。


「許してもらうつもりなんてないですよーだ」


 かわしきれないと判断した太一は、ナイフの横腹めがけて左の拳を叩きつける。

 硬質の物体同士がぶつかり合う甲高い音が鳴り響いた。


「そのナイフ! まさか!」

「ふーん。脱出の秘密はその左手ってわけ! ホンモノだったら折れてたわ。でもね、おあいにく様。こいつはホンモノよりも頑丈なニセモノなの」

「オーク材、カシの木か!」

「大正解ッ! 鋭いなあ、太一は! でもでもぉ、呪力をビンビンにコメコメでギンギンのこいつはもっと鋭いぜえ! なんてねっ!」


 メリッサはバックステップで体勢を立て直したあと、すぐさま太一の腹部めがけてナイフを閃めかせる。

 太一も後方へ飛びすさりかわそうとするが、


 ――!


 メリッサの宣言通り、迷彩服が鮮やかに切り裂かれた。痺れるような痛みが太一を襲い、腹部に一筋の線が刻まれる。その色は深紅。


「どーよ、ドルイドの力は? 陰陽道に負けてないでしょ」


 太一は驚きに見開いた目で、メリッサをまじまじと見つめる。


 カシの木の賢者――ドルイド。

 古代ヨーロッパ、ケルト民族の指導者的存在である彼らは宗教、行政、司法さらには芸能に至るまでありとあらゆる分野をこなしたという。失われることなく現代に継承された古代技術の結晶が、メリッサの手にした木製のナイフだ。


 お気に入りのお人形を友達に見せびらかす子どものように、メリッサはそのナイフをかざす。口元に浮かぶ笑みは、悔しかったらあなたもご自慢のお人形を見せてごらんなさいと言わんばかり。


 ――なるほど、そういうことか。


 太一はメリッサの意を汲み、腹をくくった。妹を救うためには、彼女との戦闘はさけられないらしい。


「良いだろう。その術くらべの申し出、受けて立とう」

「太一のくせに、ものわかりいいじゃん。一度試してみたかったのよね。西洋魔術と東洋呪術、どっちが強いか。フェイスレスさんも気になっちゃうよね。くらべてみてもいいですかぁ? あ、それと、無貌様って呼んだほうがいい?」


 メリッサがナイフを太一に突きつけたまま、目線だけで無貌に問う。


「好きにしろ」


 無貌の返答は素っ気ない。突如表れた協力者をいきなり信頼することなどできるはずもない。ただ、目的達成の道具として少しでも役に立つならそれでいいという冷たい響きだ。


「どっちの問いもオッケーってことにしておくわ。この余興は成立ってことね。いくよ! 太一!」


 宣言と同時に、コンバットナイフにこめられた呪力が急激に増幅し、ナイフが眩い光に包まれる。

 振り上げられたナイフがまたしても迷彩服を切り刻んだ。が、切り裂かれたのは太一のそれではなかった。細切れになったピンクの布地が風に舞って飛ぶ。


 メリッサの装いが一瞬でタンクトップとホットパンツに変わる。露わになった純白の素足に、洒落たデザインの編み上げブーツが映える。ピンクの上下は大小様々な文字のような図柄がランダムに配置されており、先ほどまで着用していた迷彩服に似ている。より身軽に動けるようにするための衣装チェンジ。いや、違う。それだけではないことを太一は肌で感じとる。


「その図柄、ドルイドのオガム文字…….だけではないな。ルーンにカバラまで。ありとあらゆる西洋魔術を混ぜあわせているのか」

「留学と出向の成果ってやつかしら。陰陽道ってホント面白いわね。道教に神道、修験道、さらには密教までも貪欲に取りこんだごちゃまぜ感がとても刺激的。勉強になったわ」


 現在、太一たちが用いる陰陽道は、厳密には奈良時代や平安時代の陰陽道とは異なる。中国伝来の五行思想にもとづく陰陽道。それが、密教や修験道といったライバルである別系統の術者と、公私関わらず様々な場で交流を持つことで、影響を及ぼしあい、さらには似た要素が混同されることで独自の変化をとげた技術体系だ。


 メリッサの衣服に仕込まれた術は、現代陰陽道がたどった複雑怪奇な歴史を、西洋魔術に擬似的にあてはめて組み上げられていた。太一はその大胆な発想に内心は舌を巻かずにいられなかったが、表情には出さず強気な態度を取り繕う。


「その言いようだと我が国の陰陽道を全て理解したつもりのように聞こえるな。陰陽の歴史と闇の深さをみくびってもらっては困るぞ、メリッサ! 一年足らずで到底学びとれるようなものではない!」


 太一もまた全力を持って応えるべく、左腕に念をこめる。


「呪符の持ちあわせがないからそいつに頼ろうってわけね。でもさあ、それって元々レオのじゃん。借り物でなんとかしようなんて、そっちこそみくびらないでほしいわね!」


 挑発しつつ、メリッサは太一へと突撃。一気に距離をつめ、ナイフを続けざまに振るう。


 この攻撃を予測していた太一は、まずは冷静に回避行動に専念。右斜めと左斜めに振り下ろされた二撃をすかさず一歩、二歩と下がってかわし、三撃目の刺突を右によけるとそのまま勢いを殺さずメリッサの左側面に回りこみ反撃へと移る。狙いは純白の素肌をさらした脇腹へのボディーブロー。


 メリッサは太一の動きを察するや、前方に突きだしたナイフを素早く引き戻す。

 賞賛に値する身のこなしだが、そんなリーチの短いナイフでこの一撃をどう防ぐつもりだ。

 太一は鬼気を纏った渾身の左拳を振りぬく。

 脳内に思い描く数秒先のイメージは地に伏したまま起き上がることができないメリッサ。


 しかし――


「……甘いわね」


 夜気を激しく揺るがす衝突音とメリッサの一言が、太一の想像を打ち砕く。


「ほう――」


 無貌がかすかに賛嘆の声をもらしたのを、太一は聞き逃さなかった。それまで、さもつまらなさそうに状況を見ていた怪人といえど、この攻防には目を見張るものがあったか。思わず苦笑がもれそうになるが、グッとこらえてメリッサをねめつける。


 メリッサも負けじと返し、ふたりの視線が、火花を発しそうな激しさで交わった。

 ふたりの視線は自然とお互いの武器へと移っていく。


「ヤドリギか」


 ヤドリギとはその名の通り、他種の樹木に寄生することで知られる常緑の低木である。メリッサは、そのドルイド信仰において、不死の象徴であり魔除けにも用いられる植物を、同じく神聖視されるカシの木にからみつくように生じさせることで、得物をコンバットナイフからショートソードへと一瞬のうちに変化せしめたのだ。

 木剣を受け止める太一の左拳もまた素手ではない。


「ふーん、さしずめ鬼の篭手ってところかしら。材質はっ――! そういうこと! こいつは傑作だわ」


 太一の左腕、拳からひじの辺りまでを覆った石の篭手は、お嬢様のお眼鏡にかなうに値する品であったようだ。あなたのお人形もなかなかに素敵じゃないとばかりに、メリッサは目を輝かせる。


 溶岩をハンマーで砕き削り出しただけの、研磨の手間を惜しんだような荒々しい外観に反して、細部は個別に稼動可能な五指など、機能性に優れた作りになっている。

 もちろん、その素材は普通の石ではない。


 ――殺生石。

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