第5章 - ⑤ 秘密


 ◆


「ここまでだぜ、無貌さんよ。あんたの計画はこれで潰れたはずだ。ここらで観念してこっから出てってくんねえかな」


 礼央が無貌の前に立ち、降伏を勧告した。両手に構えたアサルト騎銃、腰に下げたハンドガン、どちらも弾丸は補充済み。注意深く様子をうかがい一定の間合いを確保する。


 無貌の目的はいまだに想像もつかないし興味もない。もしかしたら無貌なりに理念のようなものがあって行動しているのかと思わなくもないが、そんなのは知ったことではないという気持ちのほうが先に立つ。


 重要なのは、入れ替わった礼央と太一の身体を元に戻し、平穏な日常を取り戻すこと。そのために必要な勝利条件が今まさに揃おうとしている。


「メリッサ。ありがとよ。またまた作戦大成功だ。お前、演技力すげーな。マジモンの裏切りかと不安になっちまったぜ」


 計画を立案したのはやはりメリッサだった。礼央が声を掛けると、メリッサは親指を立て、自信に満ちた笑顔を返した。憎らしいほどに見惚れそうになる完璧なドヤ顔だ。


「これぐらいちょろいっつーの。わたしを誰だと思ってんの、って言いたいとこだけど、わたしも美月ちゃんに感謝しないとね。安静にしてなきゃならない状態なのに、短時間でのシナリオ作りに協力してくれて助かった。それと、この堅物と葛葉ちゃんにも」

「わたしが気づかなければどうするつもりだったんだ。服も肉体も切れる。しかし、傷は負わないかわりに血糊が吹きでる。そんなナイフで攻撃されれば誰だって戸惑うだろう。君の計画はいつも危ない橋を渡るものばかりで困る」

「石橋叩いた瞬間に構造まで把握できる太一だからこっちも全てを賭けれんのよ。ま、あんたが自分の血と血糊の違いにも気づかないボンクラだったら、それこそわたしの実力だけで屋上から叩き落せちゃうんだから、結局狙い通りにはなんのよ」


 そう言いながら、メリッサは再びサイズをコンパクトな形に戻したカシの木のコンバットナイフを器用にくるくると回してみせる。


「どうよ、血糊に混ぜた特製パナケアの効能は。昼に受けた傷、もう治ってんでしょ」


 パナケアとはカシの木より生じたヤドリギより生成するドルイドの秘薬であり、あらゆる怪我や毒に効く万能薬とされる。


「ああ、おかげさまでね。それにしてもパナケアなんてよく準備していたな。そのナイフだけでもかなり手間がかかりそうだが」

「べっ、別に、そんなのどーだっていいじゃない」

「礼央がメリッサの金的をまともに受けて気絶しちゃってね。万一後遺症とかないようにって、調合してたんだ」

「ソーマ! なに余計なことをベラベラと! 違うからね、レオ! あんたに別のドッキリを仕掛けてやろうと準備してただけなんだから!」

「キ、キンテキ?」

「おう。こいつマジでヒデーんだよ。男の一番大事な部分に容赦なくゴンッだぜ。ゴンッ! まあ、あれでも手加減してたのは二回目のやつでよくわかったし、その金的でこうして形勢を逆転できたわけだけどな」


 唖然とした表情を浮かべる太一に礼央が昼の事件を説明した。メリッサの得意技を存分に活用する計画を立てたことも。


「覚悟はしていたが、やはりに気づいたのか?」


 太一とそばに立つ葛葉が途端に表情を曇らせた。礼央を見つめる眼差しは真剣だ。

 礼央も気を引き締め、ふたりに向きなおる。


「ああ。心底、驚かされたよ。《《男同士で入れ替わったと思ったら、女の身体だった》んだからな》」


 ◆


 礼央の発言にこの場で一番の衝撃を受けたのは、誰あろう無貌であった。


 壱絆家の兄妹が実は姉妹であり、当主が――女であるという事実は、無貌の計画を根幹から決定的に打ち砕いた。男と女――陽と陰。二種の異なる妖狐因子が揃うからこそ練り上げた計画。それが陰と陰――どちらも同じでは意味がないではないか。


「どーやら、さすがのあんたでも腰ぬかしたみてーだな。仮面越しからでもわかるぜ。ま、あんたの目の前でくらった股間の膝蹴りだけどよ。ありゃ女の身体でもフツーに痛かった。念のためファールカップもつけてたんだが、カップがヘコんでんだぜ。男だったら失神程度じゃすまなかったかもな」


 違う――そのようなことではない。そのようなことではないのだ。計画が――願いが! わたしはこれからどうすれば良いというのだ。


「さて、無貌さん。ぼくのほうから少し質問させてもらってもよろしいでしょうか。ご承知かとは思いますが、葛葉ちゃんの術はあなたの意思と関係なく真実を語らせますので、あしからず」


 相馬原の小せがれがしゃしゃりでてきたか。今は貴様ごときにかまっている場合ではないと怒りに燃える無貌であるが、術の拘束力には抗えない。それ単体ならば短時間で術を破る力はあるものの、さらに太一と烏天狗の術を絡めた十重二十重の縛めは易々と解除しきれるものではなかった。


「まず、あなたのお面ですが、それは『九十九つくもの面』ということでよろしいでしょうか?」


 無貌は首を縦にふり、肯定を示す。


「ヤマト、こいつの面のこと知ってたのか?」

「ああ、九十九の面は相馬家に伝わる秘宝でね。相馬家が絶えたあとは相馬原家が継承するはずだったんだけど、幕末のごたごたで永らく失われていたんだ。伝承に残された特徴から、もしやと思ったんだけど、実物とご対面できるなんて感動だよ。ただ本物の九十九の面となると、相馬原家としてはちょっと立場が複雑だ」

「ん、どういうことだ?」

「これは相馬原家としては秘しておきたいことなんだけど、仕方がない。みんなに話しておくべきだな」


 そう前置きして、大和はその名を口にした。


「――白鬼しろおに。幕末史の闇の中に埋もれたこの名前を知っている人はこの中にいるかな?」


 礼央は知らない名前だ。幕末もののドラマや小説は好きだが初めて耳にする。壱絆のふたりも同様の反応だ。だが、ただひとり反応を返した者がいた。


「その名前、つい最近見た気がするわね。史料室にあった資料!」

「そうか、メリッサはあれを――『禁門の変における相馬屋敷焼失の被害報告』を読んだんだね。そう、白鬼。幕末の世に生きた陰陽師。相馬家となんらかの関わりがあったらしいが、詳しいことはわかっていない。禁門の変の折に一度消息を絶ち、数年の潜伏を経て復活した最強の呪術暗殺者の通称だよ」

「じゃあ、まさか! こいつが! ヤマトはこの無貌こそがその白鬼だっていうつもりか? 幕末から時を越えて生き永らえてきたと!」

「ああ、そうだよ。礼央も今日一日で陰陽の世界の恐ろしさは痛感しただろう。中には延命の外法も存在する。そして、九十九の面は外法をなすために用いられてきた道具なんだ。かつて白鬼は九十九の面を手にし数々の幕府要人を暗殺したという。日本国内の動乱が終わったあと、海外に渡ってさらなる活躍の場を求めたとしても不思議じゃない」


 ――ああ、その名を気やすく口にするな。よりにもよって相馬の血をひく貴様が。

 無貌はふとこれまで以上に激しい怒りが沸きあがるのを感じた。


 ――なにもわかっておらぬ。その名の意味も。九十九の面の持つ真の力も。

 そう、まだ終りではない。面がある。そして、太一の――いや礼央とやらの左拳に宿った鬼の篭手。まだ可能性は残されている。我が望みはまだ潰えたわけではない。


 ああ、なんだ。囁きが――どこからか囁きが聞こえる。

 もっと怒れと。もっと怨めと。ああ、この声はどこから聞こえるのか。やけに馴染みのある声だ。そうだ、この囁きは聞き慣れた――ずっとずっと耳元で響き続けていた――九十九の鬼の叫びに違いない。

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